paradox



 男物のワイシャツを着せて、女の子とする。目を閉じて、髪に鼻を寄せて花のようなシャンプーの匂いを嗅いで、満たされた気になる。ほとんどその子たちとは一度きり。違う肢体にあの子を重ねて、恋をする。
 ワイシャツの持ち主を知る妹は、悪趣味だと僕に悪態をついた。少し前までは可愛いばかりの妹だったのに、残酷だ。たとえ、叶うはずがないとて彼女の常識から逸脱した僕の思いは、受容されなかった。
 だけど、やめられないんだ。



 部室のミーティングテーブルに乱雑に脱ぎ捨てられた制服。真夏の炎天で、朝でも薄ら汗をかくほど。ワイシャツからは微かに、あの子の香りがした。思わず手を伸ばして、しまった。抱き締めてみると、嘘みたいに切ない気持ちが溢れてきて、こんな風にあの子と恋をできたらと、叶わぬ願いを想ってしまう。
 ガチャリと、部室の扉の開かれる音がして、咄嗟に僕はあの子のワイシャツを自分のカバンの中に隠してしまった。
 入ってきたのはあの子と仁王。仲良さげに談笑している。そういえば、二人は同じクラスだ。
「あれ、幸村くん来てたの!今日は調子いいの?」
 あの子は笑顔で僕のもとに駆け寄ってきたけれど、仁王は遠巻きに僕を見ている。
「うん、様子を見に来たよ」
 心臓が飛び出そうなほど拍動していた。それを悟られないように意識してゆっくりと喋る。
 術後でまだ体力の戻らなかった僕は、部活参加を許可されなかった。しかし、見学という条件ならば良いという判断を、医者に食い下がってもらった。少しでも時間が無駄になるのは惜しい。
「そっか!でもあんまり無理しちゃダメだよ。今日は暑いし、日差しは避けた方がいいよ、それから…」
 あの子には気取られなかったようだ。深く考えるあまり俯いて、旋毛が見えるのが可愛らしい。
「ふふふ、ありがとうブン太。じゃあ少しだけ覗いたらすぐに帰るよ」
「そうして」
 あの子はニッコリ笑った。然り気無い風を装って、部室の扉へ足を運ぶ。顔にきっと色は出ていないだろうが、カバンの取っ手を握る手には汗をかいている。
「お疲れさん」
 仁王に声をかけられ、僕はああ、と答えた。扉を閉めると部室の中の音がこもって聞こえてくる。
『あれ、俺のワイシャツ…』
 顔を俯き歩を早め、その言葉の先が聞こえない内に立ち去った。



 翌日の部活に顔を出すことは、やはり憚(はばか)られた。状況から見て一番に疑うべきは僕だし、事実、そうなのだから。あの子は僕を軽蔑してるだろうか。それとも恐怖、嫌悪、憎悪…。目を覚ましていると神経が磨耗する。堂々巡りする思考を止めるために、一日を寝て過ごすことにした。カーテンを引いた薄暗い部屋の中で、白く仄かに光る夏のしるし。瞼にあの子の笑顔を浮かべてから目を閉じた。


 夢の中で、僕はあの子に愛されている。息の苦しくなるようなキスをしあい、あの子のワイシャツを脱がせる。夢の中では、あの子の体は女の形をしている。ほんのり色づいて、艶やかな肌は僕を受け入れて、本当には聞いたことがないけれど、優しく甘える声であの子が「幸村くんが好き」と囁いてくれる。世界はパステルカラーのグラデーションに煌めいて、僕たちを祝福している。それは、とてもとても幸せな夢だ。


 目覚めたあと、現実を受け入れることができない僕の愚かなことに、胸が苦しくなる。あの子は女ではないし、ましてや僕を受け入れてくれる筈がない。パラドックスをどうにか埋めようと、こんな夢を見る。愚かだ。欲求を露にした自分、現実に残るあの子を穢したあと。

「最低だ…」

 掠れた声で自嘲した。



 足取りは重く、頭痛もするが、部室に向かう。いつまでも逃げることはできないし、それなら早い方がいい。軽蔑の目を向けられたら、僕の息は止まるかもしれない。けれども、何も言わずに屈折したままでいるよりは、自分の想いごと告げてしまって、あの子をすっかり忘れてしまうほうが楽かもしれない。どちらにしても卑怯であるが、少し自分が可愛い。部室に踏み入れる足が、錆びたようにギシギシと軋んだ気がした。
「おはよう」
 レギュラー全員が着替えの最中だった。わざとそのタイミングを見計らった。挨拶をしたら、皆がこちらを向いた。十四の視線の中にはもちろんあの子の視線もあったが、嫌な感じではない。それよりも仁王の目に冷たいものを感じた。その視線を避けるように弦一郎や蓮二の元に歩み寄る。
「今日は加減がいいのか?まだ体調が優れないようなら無理せず、」
「大丈夫」
 弦一郎が言うのを遮った。
「大丈夫だよ。今日はきっちりしごくから、皆そのつもりで」
 笑顔で言うと、赤也の不満の声が響いた。
 ユニフォームに着替えながら、あの子の方を伺う。露骨な視線はやらず、蓮二と話しながら耳をそばだてる。あの子はロッカーが隣のジャッカルと話していた。
「一昨日さぁ、変なことがあってよ」
「変なこと?またくだらねぇ話かよ」
「ジャッカルの癖に、くだらねぇとは何だよ」
 あの子はジャッカルの綺麗な形の頭を叩いた。ポカッと軽い音がした。
「ミーティングテーブルの上にワイシャツ脱いどいたらさ、部活終わった後なくなってたんだよ」
 一瞬ビクリと肩を揺らしてしまった。鞄に添えていた手に、忽(たちま)ち汗をかいた。蓮二が不思議そうな眼差しをくれたので、何でもないとはぐらかして会話を続ける。
「そりゃ変ってか、ちょっとヤバいんじゃね…?」
「うん。間違えたら気付くよな。てか、まず間違えるとかねぇと思うけど」
 鞄の中にきちんと畳んでしまっておいた、自分のものではないワイシャツを握る。
「つかそもそもそんなとこ脱いどくなよ。ロッカーあんだろ」
「便利だろぃ?いつも置きゃいいのに」
「やだよ、狭くなんだろ。てか自業自得とはいえ盗難だろ、言わなくていいの」
「ん、ま、気にしねぇ」
「そんなんでいいのかよ!」
 あの子があまりにあっけらかんと喋るので、僕は罪の告白の機会を失った。だけど、心の底ではそのことに酷く安堵していた。言えば確実にあの子の中の僕のイメージを貶めるだろうことを告げなくていいのだ。
 言わなければきっと罪にならない。言わなければあの子の中の僕は守られる。言わなければあの子に嫌われることはない。
 自分の保身にばかり気が回る。この時、あの子の隠した秘密に気が付いていたら、藁くらい掴めたかもしれない。いつものようにあの子を眺めていたら。だけど鈍い僕は気が付かず、溺れて、堕ちていった。


 僕が選ぶ女の子はみな髪が短かった。そのために髪を切った子もいたらしい。長い髪が少しでも肌に触れると、冷めてしまう。代わりにしているだなんて、そんな酷い話はない。
 妹が悟ったのは、ワイシャツのサイズの事だった。僕よりも十センチほど小柄なあの子のワイシャツはMサイズだった。母の手伝いで洗濯物を干していた妹は目敏くそれに気が付いた。それから、少しずつ探られ、最後には激しく問い詰められた。いつの間に少女から女に育ってしまったのだろう。彼女は鋭かった。過ちもすべて暴かれた。

「お兄ちゃんは病気だわ」
 妹はよっぽど賢明な言葉をくれる。病気、そう、病。薬はない。あるのは余計に病を深くするあの子の欠片だけ。

 愛している、という言葉を理由にすれば白々しいと一蹴し、僕は犯罪者のように見なされた。彼女の言葉はきっとあの子の鏡だ。打ち明ければあの子は、妹のようになってしまうだろう。失うより怖い。


 夢うつつで数日を過ごした。
 あの子を思って、女の子とする。夢でもうつつでも、あの子は女だった。



 仁王の異名と言えば、コート上の詐欺師だ。その悪戯好きは日常でも発揮している。けれど本当は、悪戯なんてかわいいものじゃない。
 仁王は策士だ。

 美術教師に休んだ授業の分の課題を出すように言われ、特別教室の集まる棟へ向かっていた。ここは昼休みには人がほとんどいない。
 美術研究室のドアをノックする。人を呼びつけたくせに教師は不在のようだった。ドアノブを押してみたら鍵が掛かっていなかったので、中に入り、課題を教師の机に置いた。もしも、ここできちんと美術教師が在室だったならば、立ち話にでもなって教室に帰るのが午後の始業間近になって、見なくて済んだかもしれないのに。

 教室へと帰る途中、空き教室で向かい合って話している生徒に気がついたのは、こちらに後ろ姿を見せている生徒が赤い髪をしていたからだ。自然と足が止まり、その光景を凝視してしまった。
 あの子と話をしているのは仁王だった。あの子の背中越しに目が合う。いつかのように冷たい視線だ。嫌な目だ。避けたい。
 僕の様子に気付いた仁王は、くっと不敵に笑うと話を切り出した。
「そうじゃ、ブン太。お前のワイシャツどうなった?」
 その場を逃れようとして進めた足が止まる。鼓動が加速し、掌に汗をかく。手をぎゅっと握って、体が震えるのを堪える。
「あー、やっぱ見っかんねぇや」
「そうか。盗まれたとしたら、犯人どうする?」
 僕にとって核心に迫る問いだ。喉の奥がきゅっと閉まる。
 気持ち悪い。


「気持ち悪ぃけど、でもまぁ俺にはこれがあるし」
 胸元を握るような動作。
「そんなに、俺のワイシャツが気に入ったん?」
 仁王が僕に聞こえるようにか、一際大きな声で言った。
「うん、超気に入った」
「ふ、愛いやつじゃ」
 そう言って仁王はあの子を腕の中に抱き込む。頭を抱えるように、あの子の顔をしっかり胸に押し付けて、そうしてから仁王は僕を嘲るように笑った。

 何故、気づかなかったのだろう。ワンサイズ大きいワイシャツ。いつもあの子を見ていたはずなのに。
 仁王の策にまんまと嵌った。どれほど悔しいか、嫉ましいか、言葉にならない。

 仁王のワイシャツを着たあの子。


 仁王の視線を振り切るように走って逃げた。



 その日見た夢の中で、あの子は男の形をしていた。あの子はワンサイズ大きなワイシャツを着ている。それは僕のワイシャツだ。僕はあの子を力強く抱き締めて、それからキスをする。華奢な体は、柔軟に僕を受け入れて、僕を愛する。苦しいくらい、幸せな夢。愛しくてたまらない肢体。フィルムのように鮮烈な色の世界。

 仁王の姿に僕を被せる。そうして有りもしない現実を夢見て、理想との差異を埋める。
 夢が、現実にすり替わる。そうして何度も、繰り返す。

 現実みたいな嘘。
 焦がれて止まない、パラドックス。
 永遠に叶わない、延々と繰り返す。


パ ラ ド ッ ク ス



20080326-20100101-20101022 町田


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