烏は胡桃の殻なんか到底割れっこないから、道路の上に転がして車が踏みつけたところを美味しく頂く。 狡賢くて、強い烏は嫌われても平気で、自分の大事な光りモンだけ守ってられる。 俺はそんな烏になりたかった。 幸村は、俺を殴ることで皆に知らしめた。丸井を傷付ければどうなるか。わざわざ教室まで訪ねてきたのは出回っている噂の性質の悪さを知っていたからだろう。俺は悪く言えば当て馬にされて、見事幸村の作戦の成功に貢献した。 烏が胡桃を割るために人間を利用するように、俺は幸村に利用された。 幸村は狡賢い、それに強い。クラスのやつ等は、俺と丸井の間に何かあったことは会話や雰囲気から察することができたかもしれないが、誰もその真相は知らないはず。だから、真実を知らない皆の目に映った幸村の、周りを脅して俺を殴ったという印象は決していいものじゃないだろう。けれど幸村は、それで嫌われようが恐れられようが平気なんだ。それで丸井を守っていられるなら。 もう、机の落書きが増えることも、小さな声が響くこともないだろう。 それからどうなるかは分からないが、きっと皆この状況には飽きてきている。退屈な日常を打破するに丸井は必要な人間だから、きっとどうにかして元に戻るんだ。 馬鹿みたいなお遊びはもう終わり。 なんて、幸村は鮮やかなんだ。 そして俺のみっともないこと。 本当にその鋭い嘴(くちばし)で刺して、殺してくれればいいのに。 丸井が優しい事なんてとっくに知っていたのに、こんなに優しいなんて。 初めて会った時からずっと、見てきた。無意識だったけれど、ずっと目で追っていた。俺にも、宝石みたいに輝いて見えた。丸井は綺麗で、優しくて、強くて、不思議だ。俺みたいな矮小な心の人間にはとても眩しかった。 好きなんだ。そう、意識したころにはもう遅い。 丸井は幸村のものだった。 悔しくて、悔しくて、 最低の方法で手に入れようとした。 烏になりたかった。 でもそれは叶わない。 俺は彼にはなれない。 当り前のことなのに、苦しい。 黒の髪は、烏の濡羽色というらしい。 けれど、俺は烏にはなれない。 そんな俺にとって黒は、罪と秘密の色。 家に帰ってすぐに髪を脱色した。 それによって何かが変わるわけではないけれど、俺の中で罪の贖(あがな)いを誓う為に。 白は黒を払拭してくれる筈だ。 そして、烏とは似ても似つかない髪色になった。 次の日、丸井は学校に来た。 傍らには幸村がいて、体を支えられて教室に入ってくる。丸井は右足を引きずるようにしている。俺が倒した時に足を挫いたんだろうか。 頬にはまだ湿布が貼られている。きっと腹の痣も消えてはいないだろう。 胸が痛い。 幸村はゆっくりと机まで導いて、椅子を引いてやり、懇(ねんご)ろに座らせてやる。いちいち手つきは優しくて、丸井に対する愛情が感じられる。幸村に対して丸井は少し気恥ずかしそうにしながらも、喜色を目に浮かべている。 幸村は、徐(おもむろ)に丸井の顎を引き上げると、その唇に口づけを落とした。その様子を見ていた者は目を瞠り、丸井も同じように驚いていた。幸村は少し微笑んで、丸井の頭を胸に抱え込んで抱き寄せると、周囲に視線を送った。威嚇するように鋭い眼差し。俺は特にきつく睨まれ、昨日殴られた頬が疼くようだった。一周すると、また愛しさを浮かべた目に戻り、丸井の髪に唇を寄せる。 その光景は絵画のようで、息を呑む。 きっと皆、散々抱いていた嫌悪感さえ忘れている。神聖、という言葉が似合うくらい美しい光景だった。 最後に丸井の頬に唇を落とす。丸井の顔は紅潮していた。 「また、後で」 そう言って、幸村は出て行った。 丸井は俯いていて、辺りは沈黙。 俺は、丸井の元へ歩み寄る。 意識して歩けば、足音に気づいたようで、丸井が顔を上げた。机を挟んで対面する。俺の姿を確認すると、丸井の体はびくりと震えた。 「丸井、ごめん」 そんな言葉で贖えるとは思わないけれど。丸井は身を竦ませて、泣きそうな表情を浮かべている。 俺はズボンのポケットを探った。出てきたのは昨日の内に入れておいた携帯用除光液の一袋。姉貴が床に放置していたもの。大抵の汚れが落とせると言っていた。袋を破き、シートを取り出す。机の上のハンカチを払って、卑猥な落書きを擦った。 きちんと消えた事に安堵した。それからシートが真っ黒になるまで擦って、全面綺麗にした。 机に落としていた視線を上げ、丸井の顔を覗く。眉は垂れ、目は怯えているものの、口は少し微笑んで、曖昧な表情をしていた。 「…仁王、ありがと」 丸井は綺麗で、優しくて、強くて、不思議だ。 俺は嬉しくて泣きそうになった。 i wanna be a crow |