切原と丸井.10000


つないだ手




 昨夜から雨雲が立ち込めて、今朝は雨になった。家を出た時はぱらぱらと小降りだったけど、次第に雨脚が強くなっている。今日辺りこの雨が雪に変わるかもしれない。期待でも懸念でもないけど、そう思った。


 はじめて握った先輩の手は、さっきまで試合をしていたから、そのせいで熱かった。俺はその時はじめて先輩と出会ったと言っていいくらい、先輩のことを知らなかった。髪色こそ奇抜とは思ったけど、先輩は背丈がない方だから他に紛れてしまえばあまり気にならなかった。それに、その頃の俺の頭はあの三人を倒すことだけに占められていて、他のことを考える余地がなかった。外は雪が降っていて、室内コートでもその寒さが十分身に沁みる。ただ、先輩の手の熱さだけ、いやに印象的だった。

 それから、何となく先輩を目で追うようになった。不思議なことに、先輩はいつも笑顔だった。普段はもちろん、試合に負けた時でさえ、笑ってる。俺みたいな後輩に負ければ、皆苦虫を噛んだような顔になるのに、先輩は「強いなぁ」と言っていつも笑った。
 先輩の手は冷たかった。でも、試合が終わると先輩の手は暖まっていた。その手が暖まっていると、俺は嬉しかった。テニスが先輩の冷たい手を暖める。テニスが先輩にとって必要なことの気がして、嬉しかった。


 いつの間にか雨空が雪空に変わって、放課後には雪が舞った。小さな結晶は、地面に落ちるとすぐに溶けてしまい、ところどころを黒く濡らして、どんどん侵していった。雪が降るほどに手が冷えていく。寒い部室で着替え、室内コートへ向かった。大したことない距離なのに、爪先まで冷えてしまった。
 室内コートの前まで来ると、ボールの弾む音が聞こえた。既に自主練習をはじめた部員がいるみたいだ。早くテニスがしたい。この冷えた手が暖まるように。
 鉄扉を開いて中を見ると、見慣れた人が見慣れない姿で、コートに立っていた。ワイシャツの袖を捲って、制服のままで、先輩がボールを打ち返している。球威が弱いのは戦略かな、それとも時間がそうさせたのかな。好機に、先輩はスマッシュを打った。ボールはコートの隙をついて、地に沈んだ。それが決勝点だったらしく、相手をしていた一年は苦い顔をした。ネット越しに握手をして、先輩がサイドベンチに戻ろうと振り向いた時、目が合った。
「赤也、」
 久しぶりに聞く声が、俺の名前をスムーズに呼ぶことに感動を覚えた。まだぎこちさなが生まれるほど時は経っていないけど、もう随分と離れてしまったような、錯覚があった。
「元気にしてたか?」
 腰に手を当てて、笑顔で言う。そこで、自分がずっと立ち止まったままでいたことに気付いて、室内に踏み込んだ。
「してました。先輩、来るなんて珍しい」
 しみしみ、歩くと爪先が痛んだ。
「もう、こんな時期だろ?これで最後かなって思ってさ」
 悲しい言葉を笑んだまま、先輩は何でもないみたいに言う。先輩にはきっとなんでもないことだろうけど、俺はその言葉一つで、すべてが終わってしまった気がした。

「な、試合しようぜ」
 もちろん、そのつもり。俺たちはその為に出会ったと言っても過言じゃない。テニスが、はじまりだった。そして、テニスで終わり。二人をつなぐものは、黄色いボールの弾む音。俺は、最後まで先輩の後輩のまま。それでいい。

 勝手に震える喉を咳払いで静めて、ネット際につく。差し出された先輩の手を強く握った。
 先輩の手はやっぱり熱かった。冷えた全身に熱が回る。
「赤也、手、冷たいな」
 手を、放しがたい。ずっとつかんだままでいても、先輩は抵抗せずそのままでいてくれた。

 これで、終わる。他の何もはじまらない。

 先輩の手が俺の手を暖めて、俺の手は先輩の手を冷やした。やがて同じ温度になって、つないだ手が溶け合ってしまえばよかった。




2007 町田
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