幸村と丸井
きみとぼくとかみさま



 柳に電話で幸村くんの病状を連絡してから病室に帰ると、幸村くんは眠っていた。昼食の後に飲んだ薬の中に、誘眠作用があるというのがあったから、そのせいだろう。眠っていたら帰ってもいいと、サイドテーブルにメモが置いてあった。俺を気遣ってくれたのは分かるけど、言葉も掛けずに帰るのは寂しい。ベッド脇のパイプ椅子に座って幸村くんの寝顔を眺める。額に掛かった髪を避ける。寝息が静かで、精巧にできた人形みたいに思う。額を合わせると熱がちゃんとあって安心した。立ち上がり、それから思いついて幸村くんのメモの裏に伝言を書いた。

 窓辺に、幸村くんが吸い殻を入れた缶がそのまま置いてあった。揺らすとまだ中身が残ってたみたいで、液体の音がした。まだ残ってるのに飲めなくなってしまったココア。


(ココアと吸い殻)


 たかが吸い殻の入ったココアの缶をあの人のようだと比喩するなんて、馬鹿らしい感傷だ。テレビボードの引き出しに入っていた残り二本だけの煙草と一緒に商店街のゴミ箱に捨てた。煙草はぐしゃりと握り潰してたから、折れてしまっただろう。もったいないとは思わない。煙草を吸った分だけ損なわれたものの方がもったいない。ゴミの中で転がったココアの缶は中身がこぼれて、ゴミ箱の金網から漏れ出し、地面を汚した。



 手術には我々の全力をもって臨みます。難しい手術ですが、現代の医療技術によれば成功率は7割から8割、手術については大方ご安心いただけるかと思います。しかしながら重度の病気ですから、術後に何らかの後遺症が出るかもしれません。それから、テニスについてですが、…やはり現役に復帰というのは難しいでしょう。

 先生、それは絶対ですか?

 …極めて、難しいでしょう。



 希望と絶望が半分こ。俺たちの望む最低限は叶えられても、幸村くんの望む万全は難しい。

 いっそ全く叶わなければ、その方が。

 いや、それは正しくない。それは俺が望まない。
 幸村くんにとったら完璧でなかったら、意味がない。幸村くんは、絶望の深さを知っているだろう。それに先輩の希望も背負っていた。


 辛いのも、苦しいのも幸村くんなのに、涙が堪えられない。

 ねぇ、先生。かみさまはいじわるだ。


(ねぇ、ドクター)


 幸村くんのいる病室に向かう途中、廊下の窓から中庭を見たら、もうすぐ咲き頃だと幸村くんの言っていた花が、咲いていた。それを幸村くんに話したら、嬉しそうにしていた。
 煙草を捨ててしまったこと、言及してはいないけど、幸村くんは怒ってなさそうだった。言われた通り俺も仁王を怒らなかった。もう煙草を差し入れたりしないで、とお願いはしたけど。

「一日くらいなら、外出許可も下りるから」
 あの約束は本当だったらしい。週末に植物園に行くことが決まった。


 植物園の最寄り駅までは、電車で20分くらい。ぽつりぽつりと話をして、前夜あまり眠れなかった俺はうとうととしてしまった。それに気づいた幸村くんが肩を貸してくれて、俺はとても穏やかに、幸せな気持ちになった。今日はすごく体調が良さそうで、まるで入院が嘘のようだ。あのときに戻ったんじゃないかと錯覚する。
 だけど、細くなった指が現実を表してる。以前はもっとしっかりしていたのに。電車が目的の場所に着くまで、ほんの少しの間だけど隣りの存在だけを感じて眠った。


 植物園の温室はむわっと暑い。天気がいいから、室内の温度も高い。例の花は温室に入ってすぐの大きな花壇で見つけられた。
花壇は全体でアートになっていて、美しい風景を模していた。目的はすぐに果たされてしまった。
 その後はぶらぶらと、大きな植物園を一周する。前も話してもらったのに、すっかり忘れてしまった俺に呆れもせず、幸村くんは花のことを教えてくれた。優しい声が好きだ。丁寧で、やわらかい言葉が好き。あの日がよみがえるみたいだ。

 特別な花を見つけて、俺は立ち止まる。ガーベラだ。
 運命の、恋のはじまりの花。
 幸村くんを顧みる。俺の好きな、きれいな笑顔を浮かべていた。

 ガーベラの花言葉には、希望というのがある。そう、教えてくれた。


(花が咲いたら)


 すべて、うまくいっていると思った。
 そして、これからも続くと。

 素敵な一日だった。
 また一つ君と思い出ができたと、嬉しかった。
 そして、俺は忘れないと。

 甘い甘いシュガーシロップ。
 途切れることなく注がれて、俺は君に浸かる日々。
 だけどそれが止んでしまったら?そんなこと考えてもみなかった。

 あと少しで、終点で、俺たちの街に戻る。
 乗客が少なく、静かだったのはおあつらえ向きの舞台だった。
 別れ話には。
「今日で、終わりにしよう」

 ガーベラの花言葉は、希望。
 そう教えてくれたのはたった数時間前の君なのに。

「なんで」
 涙声で尋ねる。
「ブン太のこと、考える余裕がないんだ」
 幸村くんは俺と目を合わせなかった。

 拒絶を纏う幸村くんに、かける言葉はなく。

 終点を告げるアナウンスが静かに響いた。


(間もなく終点です)



 パンドラの箱を開けて残ったのは、希望。
 そう気付いたのは、幸村くんと別れてからしばらく経ってからだった。
 絶望しない、信じること。希望。常に前進。
 教えてくれたのは間違いなく、幸村くんなのだから。




きみとぼくとかみさま



 『ブン太のこと、考える余裕がないんだ』なんて言ったけど、俺はブン太のことばかり考えている。
 ブン太が考えている以上に、俺はブン太が好きだ。
 テニスがなければ、俺に残るのはブン太のことばかり。
 はじめて話しかけた日、雨の中で泣く姿がひどく印象的だった。
 ブン太は、俺がいると苦しむ。
 俺が入院してから、ブン太は笑わなくなった。
 俺が辛いだけならいい、ブン太まで辛くなるのは耐えられない。
 俺が泣かせているのだと思うと、やりきれない。
 このままでいれば、俺はどうしようもなく執着し、いつか鎖になるだろう。

 植物園に行って、思い出を作った。
 これで、しばらくは俺は大丈夫。

 ブン太にさようならをした。


 かみさま、
 もし俺が殺すのなら、ブン太を幸せにしてやってください。

 死ぬつもりは毛頭ないけど。

 かみさま、
 もし俺を生かすのなら、それだけで十分です。
 俺は生きて、またブン太に告白する。
 また、ブン太に好きになってもらえるように努力するから。

 それまで、待っててくれる?


 いとしい きみと
 ずるい ぼくと

 おねがい かみさま




God, you, and me.
All titles by "joy",thanx
20090903-20091223 Machida




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