切原と丸井・拍手・パラレル・花緑青つづき
猩々緋


 ここに来た最初は、人間の誰もが嫌いだった。俺を捨てた親も、俺を化け物扱いしていた村の奴らも、俺を見世物にするこの一座の奴らも、同じく見世物にされている奴らも、俺を見て笑う奴らも。みんな、全く、全部だ。その中でも一等嫌いだったのが、この立海の息子の赤い毛の奴だ。同じ奇形のくせに、檻の外で暮らしている。殺してやりたいくらいなのに、毎日話し掛けてくる。体は痛くないか、寒くないか、慣れたか、だって?慣れたくもねぇ、野良犬より酷い。まだ野を駆けずり回って、自分でおまんま探す方がましだ。便所へ行くにも、赤毛の野郎に言わなきゃならねぇ。一発殴ってでもやりたいのに、見張りがいてできねぇ。
 死んじまえ。先ずはお前から死んじまえ。赤毛とは一口も聞いてやらなかった代わりに、毎日呪って暮らした。


「赤也、寒くないか」
 名前を呼ばれると、虫酸が走る。鉄格子の窓に背を向けて寝ころんだまま、答えなかった。目の前はつまらない石の壁の景色だ。
「何かあったらすぐに呼んでくれよ」
 いつもの台詞を吐いて、赤毛は俺の檻の前から立ち去った。

 ガシャアーンッと大きな音がした。仁王の檻の方からみたいだ。緩慢に起き上がって、鉄格子の外を覗く。仁王の檻は斜め向かいにある。赤毛に怒鳴る声が聞こえた。見張りはサボってでもいるらしい。そうでもなきゃ、赤毛を怒鳴ってやる機会なんて滅多にない。仁王の顔はいつもの無表情から、鬼のような恐ろしい顔になって、赤毛は檻の前に立ち竦んでいる。
「相変わらずお前さんの髪の毛は猿公のケツの色じゃのう。目が痛くてかなわん。さっさと丸坊主にして来んか。それとも何じゃあ、奥の檻が一つ空いとったのう。散々笑われモンになっておっ死んだお喋り鳥の檻じゃったか、ありゃあお前さんのために空けてあるんじゃろ?観念して認めるんなら歓迎してやらんこともないがの、そうでもないなら早く去ね!消えろ!死んじまえ!」
 雄叫びのような怒声が響く。それでも赤毛は動かない。この騒動は何かと、檻にいる奴らはみんな様子を覗いていた。
「何じゃあ、耳が聞こえんのか?早く去ねと言うたろうが。ああ、足が竦んで動かんのか?それに、何も言いやせん。外の人間のくせに相当頭が悪いみたいじゃの。とんだお笑い種じゃ!」
 仁王がハッと鼻で笑うと、周りの檻の奴らが声を上げて笑いはじめる。どいつもこいつも赤毛を馬鹿にして。横顔の見える赤毛は、泣きそうな顔をしているくせに、手を握りしめて耐えている。泣けばいい、泣きつけばいい。社長の息子が泣きつけば、仁王は折檻されて大人しくなるだろう。そして憎しみは深くなる。
 場が白けて、静かになるまで赤毛はそこを動かなかった。金縛りが解けたように、足早に去っていく。きっと、縋りに行ったのだ。すぐに誰か来て、仁王は鞭で打たれるだろう。
 だけどそのときはいつまで経っても訪れなかった。
 夕食を運んでくるのはいつもあの赤毛だけど、さすがに応えたらしく、他の奴が運んできた。赤毛はどうしたと他の見世物が聞いているのが聞こえて、どうやら体調が悪いと言って部屋に籠もってしまったらしい。
「人手のいるときくらいしか役に立たない癖に、勘弁してほしいよ…」
 赤毛の代わりの奴は、檻の中にいる誰に言うでもなくそう独り言をこぼした。
 夕飯も終わり、しばらくしてから俺は便所に行きたくなった。便所でも何でもしたいと思ったらすぐにしなければ、切羽詰まって後悔すると、この生活の中で学んだ。棒で鉄格子を叩いて、人を呼ぶ。いつもは赤毛がすぐに気が付くのに、今日は人の来る気配すらない。鉄格子の外を覗いてみるが、外の人間が誰もいなかった。仕方がない。ガンガン、と周りの迷惑も顧みずに鉄格子を叩き続ける。罵声は飛ぶが、いざとなったらお互い様だ。がやがやとした喧騒にやっと気づいて男が来る。
「全く冗談じゃないぜ、何で俺が…」
 人目もはばからず文句を言いながら檻に向かってくる。いや奴らは俺らのことを人だと思っちゃない。誰に聞かれてもいないのか。
「何の用だ」
 赤毛なら俺が言葉を発さないのを知っているから、最初に扉を開くのに。
「……便所だ」
「さっさとしろ」
 答えると大仰にため息を吐かれた。早くするようせっつかれながら便所で用をたす。気が休まらない。待つ間にも男はぶちぶちと文句を垂れている。
「お若様も丈夫くらいしか取り柄のないくせに、調子の悪いなどと言って…ありゃあ仮病だろうに。俺たちのせっかくの暇を潰してくれるぜ…。化け物同士よろしくやってくれりゃあこっちだって気が楽なのにさ…」

 用をたしてから檻に戻ると、俺の考えはまるで変わっていた。
 外の世界に生きて、何一つ不自由のないはずなのに、哀れな少年のこと。

 赤毛は、ブン太は、学校とやらに行く以外はほとんどを檻の見張りとして過ごしている。今日は特に酷かったが、日頃から見世物たちの雑言を浴びていた。それでも見張りをやめないのは驕りなのだと思っていた。たとえ同じ化け物でも、見世物と外の人間とでは立場が違うのだと。
 けれど、外の人間たちの言いぐさで分かる。ブン太は外の世界にも、檻の中にも、どちらにも居場所がないのだ。外の人間には無能の化け物だと馬鹿にされ、檻の見世物には無能の人間だと馬鹿にされ恨まれる。
 蔑まれ、傷つけられても、泣くことさえ許されない。皆に馬鹿にされ、誰も味方のいない、仲間のいない、哀れな一番の笑い物。

 かわいそうに。本物の化け物にさえ、哀れまれて。


 それでもブン太は、何をも憎まない。それさえ自分に良しとしない。だからあのとき泣かなかったんだ。


 翌朝、檻の前に人の立ち止まる音で目が覚めた。横目で見ればそれはブン太で、けれどいつもの言葉を言わない。口をぱくぱくと動かすのに、それは声にならない。
 つらそうな、泣きそうな顔をして、それでも何も言わずに行ってしまおうとする。
「待って」
 一度呼びかける。
「待って、ブン太さん!」
 それでも去ろうとするのを、慌てて名前を呼んだ。
「…な、ぁに?」
 余程驚いたのか、目を真ん丸にしてぎこちなくブン太は言った。
「別に用はねぇけど、一緒に話しましょうよ」


 ここに来た最初は、人間の誰もが嫌いだった。
 だけどたった一人だけ、大事な人ができた。



おわり


20110611 町田




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