amor dulce

「ホンマは人間を作るつもりやったんや」
 俺が目覚めたとき、謙也さんはそう言うたけど、ちゃんと手順を踏んだとしてもあないせっかちな人がまともに作れたとは思えん。うまい具合に人間に見えていつばれるんやろうかって怯えながら外で暮らすより、未完成でとても人間には見えへんこの体で、小さくて狭い森の奥のこの小屋に住んでいる方がええ。何度もごめんな、と言って謙也さんは俺をこの小屋に連れてきた。俺はこんな形やし、当然のことやからどうでもええと思ってんけど、謙也さんは親みたいなもんやから心苦しいんかな。
 でも、俺は外に出るわけにはいかん。小麦粉と、砂糖と、ココアと、甘いモン全部。それが俺の主成分。手の先はクッキーやし、目や髪の毛はチョコレート。なんでそんなんで人間作ろうと思ったんか、甚だ謎やけどまあこうやって動くくらいにはモノになったんやから謙也さんって結構すごいんかも知れへん。お菓子でできたおかしな体。体のどっかが欠けるまでは湿気ることもなく、俺は命を存続できる。別にいつ死んでもええねんけどな。死んだら謙也さんが食べてくれるって言うてた。

「そんなん言うても暇や」
 食べる、寝るっちゅう人間の習慣もなく、俺は何となく毎日を過ごしとった。ジグソーパズルは何度も作って飽きたし、スケッチブックももろたけど、あんまり絵のセンスがあらへん。ちゅうか、筆が握りにくいんやこの手。他にも色々もろたけど、すぐに飽きてしまう。ほなまあ、毎日外見ながら朝が来て、昼が来て、夜が来て、また朝が来るっちゅうのを眺めとった。それが一番時間を潰せた。
 そんときも、いつもみたいに窓から外を眺めとった。細雨が森を濃い青緑に見せる。ドアからノックの音が聞こえる。近い内に来るて言うてたし、謙也さんかなと思いながら、ドアの方へ行く。その間もこんこんと控えめなノックが続く。謙也さんと違うな。少しドアを開いて、様子を見る。冷えた空気が体温を奪うんやろう、軽装のそん人はか細く震えとった。
「突然すんません。森ん中迷ってしもて、そしたら雨に降られてしもて…図々しいと思うんですけど、しばらく雨宿りさせてもらえへんでしょうか」
 震えとるところ、申し訳あらへんけど俺はこん姿を人前にさらすわけにはいかん。
「すんませんけど、家ん中入れられる状況やないんです。道に沿ってけばそれほどかからんで街に抜けますから、それでよろしゅう頼んます」
「そこを何とか、お願いできへんでしょうか!あの、俺目が悪うて何も見えへんのです。せやから、家ん中見たりもしませんし、じっとしとります。歩くんも遅くて、ずっと迷ってしもて…ホンマに雨が止むまででええんで、どうか入れてもらえへんでしょうか」
 目が見えへん?ホンマやろうか。ドアを開けて姿をさらす。精神の正常な人間ならば、俺のこの姿を見れば絶対に声を漏らす。
「あの?ええんでしょうか?」
 何も言わへんかった。目が見えてへんのはホンマのようで、ドアの開く空気の流れを感じてそう言うたみたいや。目が見えへんのやったら、無碍に断る必要もあらへんやろう。
「何もお構いできへんですけど、それでええならどうぞ。」
「あ、ありがとうございます!」
 そん人は勢いよく頭を下げて、手を伸ばしてドアの位置を確かめつつ、遠慮がちに中に入った。そして、入ってすぐの位置でドア口の端に避けて立ち止まってしもた。
「あの、何してはるんです?」
 不審に思って、声をかける。びくっと肩を張った。
「あ、いえ、お邪魔したらアカンかと思いまして」
「そない遠慮せえへんでええですよ。ホンマ家ん中汚いだけやから、見えへんのやったらくつろいでもろてええです」
「そんな、ええんですか…?」
「ええて言うてるやないですか」
「せやったら、あの、座らさしてもろてええでしょうか?歩き通しで、ちょっと疲れとりまして…」
「ああ。せやったらこっち来て座ってください。何やったら横になってもええですよ?」
 こっちと言っても、そん人には当然分からへん。戸惑っている手を引いて、ベッドに座らせる。俺は寝えへんけど謙也さんが来たときに泊まってくこともあるから、ベッドがある。布団がちょっと湿気っとるかもしれへんが、まあええやろ。
「ホンマ、ホンマすんません。ちょっと横にならさしてもらいます」
 ぺこぺこと細かく頭を下げて、そん人は言った。なんだか華奢に見える体を横たえて、小さく丸まるとすぐに寝息が聞こえた。ちょっととは言うとったけど、かなり疲れとったんやな。迷うような森の中でずっと気を張っとったんやろう。
 部屋の中に、謙也さんでもない他人がおる。変な気分や。しっとりと濡れた髪は色素が薄く、緑ががかっとる。謙也さんは黒髪だったんが、いつだか金髪になっとった。聞いたら、わざとそうしたんやと言っていた。おしゃれらしい。こん人もおしゃれでこない色をしとるんやろうか。寒かったら可哀そうやと思って、ストーブを焚いたった。


「あっ………!」
 大きく叫んでそん人が飛び起きた。俺は暇やからずっとそん人が寝とるんを見とった。一瞬前眠りの世界にいた人がいきなり叫ぶもんやから、俺は座った椅子の上でガタッと音が立つほど驚いてしもた。
「あ、ああ…俺、あのう、えろうすんません。ホンマに寝てしもて…図々しくホンマ」
 この世の終わりかと言うほど後悔してはる。俺が遠慮せんでええって言うたんやし、横になったらええって言うたんも俺やし。ベッドの上で額ずいて謝らはるもんやから、俺は慌てて立ちあがる。触れることはできへんから、言葉で諭して顔を上げさした。
「そない気にせんでください。ええと、せや、名前聞いてへんでしたね」
「あ、すんません、名乗りもせずに…俺はユウジと言います。あの…名字があらへんのですんませんけど、下の名前で呼んでください」
「ユウジさん、ですか。せやったら俺んことも光って呼んでください」
「光さん、ですか」
「ええと、さんて付けへんでええんで、光って呼んでください」
「でも、」
「人が訪ねてくるん、久しぶりなんです。せやから、友達の気分で呼んでほしいんですけど」
「そうですか…俺なんかでよければ」
「嬉しいです」

 暇を持て余しとった俺には、突然の来訪者は僥倖や。それも目が見えへんと言うのやから、尚ええ。謙也さん以外の人から話を聞く機会は二度とないやろう、俺は話をせびった。ユウジさんは躊躇いがちやったけど、ポツリポツリと話してくれた。
「俺は生まれたときから目が見えへんかったみたいです。せやから、親に捨てられてしもて、そん後は路地裏で仲間たちと一緒に生きてきました」
 俺も幸せではないと思うけど、ユウジさんはよっぽど不幸や。髪の毛の色もおしゃれと違て、天然の色。その色素の薄さが目の悪さにも由来するらしい。
「森の先の街には、新しい仕事を紹介してもろて、それで行くんです。目は見えへんですけど、その分手は器用ですから!これまでも、靴を磨いたり、マッサージしたりして稼いで来たんです」
 ユウジさんは誇らしげに言った。手を見れば、荒れて、ひび割れた労働者の手をしている。人間の手だ。自分の手を見る。ひびもなければ皺すらない、クッキーの手。誇らしいかどうかは分からん。俺の場合評価するんは謙也さんやし。普通の人から見れば美味そうに見えるんと違うかな。
「あ、せや!お礼になるか分からへんですけど、光にマッサージしましょうか?」
 ベッドの端に腰掛けたユウジさんは立ち上がると、手を伸ばして俺を探す。ありがたい申し出やけど、触られるわけにはいかん。明らかに人間の体でない体、ユウジさんにはショックやろうし。
「いやいや、そんなんええです。体凝ったりとかしてへんし、ゆっくり休んどいてください」
 慌てて断る。
「せやけど…なんかさしてください!金の持ち合わせもなくてお礼もろくに出来ひんのです……俺に出来ること何かさしてください!せや靴は?靴磨きますよ」
「申し訳あらへんけど磨いてもらうような靴、持ってへんのスわ」
「ああ…何も出来ひんで…ホンマすんません」
 悪いことあらへんのに。こない謝りっ放しやったら生きとることが悪いみたいやんか。人間のくせに。
「何もせんでええですって、ホンマ。あ…せや、逆に俺がちょっと触らしてもろてもええですか」
 生まれてこの方、謙也さん以外の人間を見たこともなければ、当然触れたこともない。好奇心が沸いた。こっちから触るんやったら手だけの接触で済むし、乾燥しとるんですとでも言えばごまかせるんやないかと思った。
「あ…そう、ですか。その、俺、分かりやすいですか?」
「え?」
「あの、俺こんなんやけど、そっちでは、8ドルくらいもらえるんです…下手かも知れへんですけど、あんまり自信なくて言わへんかったんですけど…それでお礼になるなら使ってください」
 話が噛み合わへん。ユウジさんはべらべらと喋ると、自分の服に手を掛けた。えっと思っとる内に、ユウジさんは裸になってしもた。
「あの、多分手が一番上手いです。舐めるんと後ろはちょっと…あの、苦手やけど」
「えっと、あの、服着てください。ホンマに手とかちょっと触らしてもらうだけでええんですけど」
「え…?あ、あー、あ、せやったんですか。あ、あ、俺…ホンマこんなんしか出来ひんしょうもない人間なんです……ホンマアホですんませんっ、気ぃ悪くせんといてください…」
 裸のまま、またユウジさんは額ずいた。背中に引っかき傷がたっくさんある。それに赤やら茶やら青やらの痣もたっくさん。それを見て謙也さんが言うとったキスマークっちゅうやつかなて思った。性行為っちゅう動物行動に伴って付けるとかなんとか。もっとも俺は何やら色々足らへんらしくて、そん性行為っちゅうやつ出来ひんらしいんやけど。
 性行為っちゅうやつ、普通は愛し合っとる二人がするんやと謙也さんが言うとった。そうや、謙也さんがくれたポルノ小説っちゅうやつにも書いてあった。何ページも何が楽しいんか、ねちっこい性行為っちゅうやつ。それでお金をもろてそれをする女のこと、娼婦って言うんや。せやけど…ユウジさんて男やろ?挿し絵にあった女の絵と体つきが違う。ユウジさんのが細っこいけど、男の絵に似とる。
 そこまで考えて、ユウジさんはそうせんとアカンかったんやと思い当たった。ユウジさんはそっちでは8ドルもらえるて言うとった。つまり、靴磨きやマッサージではそれよりもっとずっと少ない稼ぎにしかならんのやろう。8ドルやって、満足に物も買えへんのに。
 お菓子製の俺でも服を着とる。それに謙也さんが着替えると言うと、俺は後ろを向かされるんに、こん人はいとも簡単に脱いでしもた。そういうことに慣らされたんやろう、ポルノ小説に出とった高級娼婦とはまるで違う。ストリップでもなく明け透けに裸になる姿は哀れやった。
 俺に哀れまれるなんて、ホンマに可哀想や。
 そこかしこ泥っぽくなった服をユウジさんは大事そうに着込む。見えへんから分かってないんやろうな。きっと新しい街に向けて新品だったんやろうけど、今は見る影もない。せやのに、ユウジさんは大事そうに扱う。
「あの、どうぞ」

 おずおずとユウジさんが手を差し出してきた。俺はその腕をクッキーの指でつついてみた。細っこい腕がビクッとする。それから手のひらで撫でてみる。
「触ってて痛ないですか。俺の手乾燥しとるでしょう?」
 何か聞かれる前に先手を打って尋ねる。
「あ、ホンマえらい乾燥してはって…俺は大丈夫やけど、光は痛ないです?」
 ユウジさんは易々と信じてしまった。


 俺はこんなんやから、よく生まれた意味とか生きとる意味とかを考える。結果はいつも同じで、謙也さんが作ったから以上に答えを導けない。甘いモンばっかで作られたから、考えも甘いんや。
 いつかどっかが欠けて、お菓子に戻ったら、謙也さんに食べてもらう。俺の一生はそんなモンやと思とった。せやけど、今日まで足も、手も、髪の毛すら欠けることもなく生き長らえてきたのは、こん人に会うためやったんかなあて思う。

 くぅと、控えめにユウジさんの腹が鳴った。
「あの、すんません。お水もろてもええですか?」
 水を差し出してやると両手で持って、美味しそうに飲んだ。すると、今度はぐうぐうと大きな音がした。ユウジさんの頬が赤く染まる。
「お腹減ったんですか?」
「あっ、あー…、いつもは水飲んだらええんですけど…ちょっと休んだから…言うこと聞かへんで困ります…」
 鳴り続けるお腹を押さえて、困った顔をした。俺は何も食わんから、この小屋に食料はない。この人は、同情を引くなんちゅう狙いもなく、腹が減ったも、食べ物がほしいと言い出せへん。
 握りにくい筆も我慢して、紙に謙也さんへの伝言を残す。
「ユウジさん、お菓子食べたないですか?」
「お菓子、ですか?」
「パンとかあらへんのですけど、クッキーやら、チョコレートやら、お菓子やったらたんまりありますから、食べたってください」
 指をユウジさんの鼻先に差し出した。
「甘い香りがします…俺、お菓子とか食べたことあらへんし…きっと美味しいんですね」
「せやったら、尚食うてください。きっと美味いと思います」
 きっと食べると思ったんに、ユウジさんは首を振ると、俺の手を遠ざけてしもた。
「大丈夫です。街に抜けたら、仕事先の人に多分食べさしてもらえると思いますから!」
「でも」
「ホンマに、あの…、返せるモンも何もあらへんですから、ここにこうして置いといてもらえただけで、ホンマにありがたくて、…せやからこれ以上いただけません」
 三度目の土下座。何でこの人はこんなに可哀想なんやろ。立派な人間やのに、お菓子に何度も謝ったりして。ビターチョコレートとホワイトチョコレートで出来た眼球から、甘い砂糖水が零れる。
 街での新しい仕事って言うたってどうせろくでもない仕事に決まっとる。目が見えひん言うのに森の中を歩かされるなん、命すら軽んじられとる。無事に森を抜けたって、どうせ仕事の質は変わらんのやろ。ユウジさんは体を切り売りせな、生きられん。退屈かもしれんけど、俺の平和な生活と取り替えたげれたらええのに。
「ユウジさん、トリック・オア・トリートって言葉知ってます?」
「え…、とりっく、あ、お?」
「トリック・オア・トリートです。これを言うとな、誰でもお菓子がもらえるんですよ」
 本当はもっと複雑やけど、今は必要ない。ユウジさんは不思議そうな、ぽかんとした顔をした。
「トリック・オア・トリート…知らへんでした、不思議な言葉ですね」
「今言いましたね、ほなクッキー食べてください」
「えっ」
 驚いた拍子に開いた口に、指を入れる。ユウジさんは取り除こうと俺の手を掴んだけど、顎を掴んで無理やり咀嚼させた。右手の人差し指がポキッと折れると、腕から先の関節がボロボロと落ちた。
「美味いですか?」
「…はい、はいっ…甘くて美味しいです。俺こない美味しいモン初めて食べました。ホンマに…ありがとうございます…っ」
 やはり空腹は限界やったみたいで、ユウジさんは涙を零しながら俺の腕を食べた。
「ユウジさん、俺二、三日くらい出掛けないとアカンのです。せやけど、近く知り合いが訪ねて来ると言うてたんで、もし俺が戻ってこれんかったら、伝言を頼んでええですか?」
「え?」
 ユウジさんの手の中にさっきの手紙を握らせる。左手もボロッと崩れた。
「この手紙を必ず渡してください。知り合いが来るか、俺が戻って来るまで絶対ここにいてください。食料はさっき言うたように、お菓子しかありませんけど残さず全部食べたってください。クッキーも、チョコレートも、キャンディも、みぃーんなです。それから、水はベッドから出て右側にちょっと行ったとこに瓶があります。そんで便所は、申し訳あらへんけど外でお願いします。寒かったらストーブも使ってもらって構わないです。せやけど、火傷には絶対注意してくださいよ」
「えっ?え?」
 ホンマやったんやなあ。指が欠けたら、もうこんなに崩れてきてしもた。ああ、脚が崩れた。もうちょっとで顔も崩れる。
「もしおらんかったら、承知しませんよ。目の見えない緑髪の男って言うたらきっとすぐ見つかりますから…そしたら…」
「光…?」
「ほなあ…行かな…もう…さよならあ、ユウジさ……」
「光?光…行って、しもた…?」

 もう、喋れんようになった。ユウジさんて騙されやすいんやろうな。俺の渡した紙をぎゅっと握って、俺の言った通り、お菓子を食べはじめた。ベッドの上のお菓子を食べきると、ベッドの下に手を伸ばして拾っては食べる。
 謙也さんは言うとった。俺の魂みたいなんは、このチョコレートの目に宿っとるて。一番初めに作ったのが、この目やったかららしい。せやから、喋ったり、何かしたりは出来ひんけど、この目が食べられない限り、ユウジさんを見守ってられる。もし、この目をユウジさんが食べて、そしたらユウジさんの目が見られるようになったら素敵やなあ。
 あ、ユウジさん、泣き疲れて寝てしもた。

 俺、幸せや。お菓子な体に生まれて、ホンマによかった。ユウジさんも幸せになればええなあ。
 せや、全部食べろとは言うたけど、右目だけでも残しとってくれへんかな。ユウジさんがどうなるんか、見たい。きっと一生見てたって飽きひん。謙也さん、気付いてくれるとええなあ。



『謙也さん、こん人はユウジさんと言います。
 目が見えません。世界一かわいそうな、不幸な人です。
 そんで、勝手にやってしもて申し訳あらへんけど、お菓子をあげました。せやから、俺がこん人の中おると思って保護したってください。
 この人の幸せが、俺の生まれてきた意味やと思いました。なんかよう分からんけどそういうこっちゃです。
 頭の中のキャンディが溶けとるみたいで上手く書けへんです。すんません。
 お菓子に生まれてよかったと思います。ありがとうございます。
 よろしゅう頼んます

光』

fin

2010 町田


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