忍足と一氏・拍手 イグアナ 2 飼っているイグアナに、好きな子の名前をつけた。イグアナの性別はメスなのに男の名前。家族から非難囂々(ごうごう)だったから、この度改名した。 「ハニーは今日も別嬪さんやなぁ〜」 翔太が話しかけると、水槽の中のイグアナは大きな口を開けた。ご機嫌のようだ。ハニーという新しい名前をくれたのは、俺の好きな子。単純にその子が好きなものの名前だけれど、家族もイグアナ自身も気に入ったみたいだ。前よりも反応が良くなった。 「翔太、俺勉強するから自分の部屋帰りや」 「ハニーちゃ〜ん」 「翔太」 こっちを向こうともしない生意気な弟に、語気を強めて名前を読んだ。 「わぁったわぁった!あー嫌やわー、全く謙にいはキレるんも早い!」 「聞こえとるでぇ」 「聞かしとるんや!」 ぶつくさ文句を言いながら部屋を出て行く。名残惜しいように水槽を見つめながらドアを閉めた。けれどハニーはちっとも翔太を気にする素振りもなく、また私がこの世で一番美しいのよと、言わんばかりの優雅な居住まいで辺りを静観している。いや、腹はでんと地面に触れているが、あれは彼女にしてみれば立っているのだろうか。…深追いはやめよう。 あれから変わったことと言えば、ユウジと頻繁にメールを交わすようになった。これまでは事務的なものだったが、今では私的な話題がほとんどだ。ユウジはハニーを甚(いた)く気に入ったらしく、写メを求めてきたりもする。もちろん快く応ずる。いい写真を見せたいがため、何度も何度も撮り直す姿は滑稽だろう。そのために翔太を追い出した。 一刻も早くメールを返信したい性分だが、そのせいで写真がブレる。だからこそ珍しく慎重に、何度も納得いくまで撮り直す。もっとも、他のやつならここまでしない。相手がユウジであればこそ。恋は人を変えるのだ。 イグアナの写真を撮りながらにやける顔はどうしようもない。 「お前、彼女おったっけ?」 白石に問われて時間が止まる。ユウジに片思い中の身、彼女がいるわけもない。ここは部室で、ユウジも俺たちの会話が聞こえる距離にいる。早々に誤解を解かなければ。 「ハニー言うんは、うちで飼っとるイグアナの名前や!」 「へぇ、お前んちのイグアナ、ハニー言うんやな。秘密やったんと違うん?」 今まで思い人と同じ名前と言うことで、聞かれても秘密秘密で切り抜けてきた。油断して、つい口を滑らせてしまった。これで彼女がいるかもという誤解は解けたが、他の問題を看過していた。ユウジが遊びに来た日も、結局イグアナの名前は教えなかった。自分が付けた名前と同じなんて、明らかな違和感だ。偶然にも当たりとなれば、その場で正解を発表するだろう。しかしそれは不可能だった。何せユウジが帰った後に改名したのだ。 「ホンマにハニーちゃんなん?」 振り返れば、ユウジが首を傾げていた。 「せや」 こう答えたときに、問題点に気づいた。いくら何でも不審に思うだろう。まさか同じ名前だなんて。 「うっそぉ!俺すごない?!何のヒントもなしに当たっとったんやー!天才やん!」 「何やユウジ?名前当てでもしとったんか?」 無邪気に喜ぶユウジに白石が尋ねる。 「謙也が教えてくれへんから、勝手に呼んでたんや!おんなしなんやったら教えてくれたってもええのに!」 ドキリ。背中に嫌な汗。 「いや、ハニーとか普通に恥ずかしいやろ。謙也も照れてたんとちゃうん」 「あ、せやねん!ちょぉと恥ずかしいて!」 白石の助け舟に乗る。 「恥ずかしいて何?!天下のハニーちゃんやで?!」 「うわぁ、恥ずっ!大声で叫ぶんやめてほしいわ」 きゃんきゃんにゃーにゃーと犬猫のような二人の口喧嘩。それをBGMに俺はほっと胸を撫で下ろす。ユウジが素直でよかった。表情豊かなユウジに見とれる。 「あ、なぁ、謙也」 不意に名前を呼ばれた。 「え、なん?」 「またハニーちゃんの写メ送ってな!」 これが、俺の大好きな笑顔。 「わかった。ユウジ」 答えればユウジは満足げだ。 fin 20101008 町田 |