![]() 仕掛けだらけ、思い込みの魔法。 * * * はじめてすごく好きになった人は、不思議な存在感のある人だった。立派に男なのに、ときどき脆く繊細なおんなのこに見える。乱暴な口調に違和感があって、がんばって演じているみたい。 告白をしたときは罵られる覚悟だった。普通、嫌だろう。男が男に告白されるなんて。この歳にもなれば、告白には性的欲求だって含まれてるって分かる。俺は具体的に行為がしたいわけではなかったけど、キスはしたいと思ってた。先輩の唇は荒れを知らない。まめにリップクリームを塗っている姿を見かけた。 よく先輩を好きだって話を聞く。告白されるのにだって慣れていると思うのに、先輩は顔を真っ赤にして、泣きそうだった。 『本当?』 そう聞かれて、嘘を吐くはずがないと、すぐに答えた。 『本当です』 『俺、…男だよ?』 後ろめたいみたいに、先輩の視線が地面を向く。視線を泳がせるのは俺の方じゃないの? 『そうですね』 他に言葉が思いつかなかった。俺が好きになったのは確かに男だ。上手い口説き文句も言えず、フォローも出来ずに後ろ手を組んで、振られるのを待つ。 『よろしくお願いします』 先輩は丁寧に言って、腰を折った。 * * * まさか恋人になれるとは思わなかった。夢が、奇跡が、現実になった。 先輩は小さいときにかけられたという魔法の話を教えてくれた。泣きそうな顔をして、懇願するような声を出して、叶えばいいのに、と必死に願う姿に見えた。 おんなのこになる魔法。先輩の不思議の正体が分かった。 『先輩は女の子になりたいんだね』 俺はただ、そう言った。変だとも、嘘だとも思わなかった。 『じゃあ、一緒にその日を待とう』 その日が希望の日でも、絶望の日でも、俺は傍にいて、変わらず先輩を好きでいるのだ。 * * * 先輩はおんなのこになったら着るのだと言って、白いワンピースを見せてくれた。胸元に華奢な刺繍が施してあり、見ようによってはウェディングドレスのように見えた。その特別な服の入った箱は、先輩の部屋のすぐ目につく場所に大切そうに置かれていた。そのほかにおんなのこの香りする物はなく、この無垢なドレスが先輩の心の寄りどころなんだろう。 * * * その日が来るのはあっと言う間だった。約束通り、俺は先輩と一緒にいた。 学校に行くフリをし、先輩と落ち合った。それから、学校とは反対側の人のいない空き地に行った。草が伸びっぱなしの空き地は、人目から隠してくれる。大学生の姉の、高校のときの制服を無断で借りてきた。事情を説明しても貸してもらえたか分からない。それでも俺は先輩に着てみて欲しかった。 すらりとした脚をさらけ出して、遠慮がちに立つ先輩は可愛いかった。男の姿ではあったけれど、俺にしてみれば先輩という存在そのものが可愛いので、何の問題もない。 二人で並んで横になって話をして、コンビニで買ったアイスを半分こして食べた。それからはじめて先輩の手を握り、そして柔らかい唇にキスをした。 俺の念願は叶えられた。けれど残念なことに先輩の願いは現実にならなかった。 悲しげに肩を落とす先輩を抱きしめて、慰める。先輩は黙ったまま、静かに泣いた。 その日は忘れられない日になった。 * * * その日以来、先輩の部屋であの箱を見なくなった。以前は楽しそうに話していた、おんなのこになってからの話をしなくなった。先輩から、おんなのこの部分がまるきりなくなってしまった。ノートの一端を破り捨てたみたいに、先輩は無理やり消してしまった。 俺は先輩が男だって、おんなのこだってどっちでもいい。嫌いになりようもなく、俺はただ先輩を好きでいるだけだ。 だけど付き合い方が変わってしまったのを如実に感じた。肌に触ろうとすると、それがいけないことみたいに俺の手を避ける。キスをしようとすると、途方に暮れたような顔をする。先輩は俺のためにも、おんなのこになれなかったという罪悪感を持っていた。 俺はそんなこと望んではいない。言葉で上手く説明できなくて、態度でも表すことが出来ない。かわいそうな先輩はどんどん追い込まれていく。 虚勢を張っている姿が似合わなくて、それならスカートを穿いて恥ずかしそうにしている姿の方が余程似合った。 * * * 制服を勝手に持ち出して、挙げ句汚して返したのを、姉貴にはこっぴどく叱られていた。そのとき、理由は話していなかった。今度はその理由をすべて話す。意外にも、姉貴は素直に受け入れてくれた。生きていると色々な人に会うと、言っていた。そうして姉貴を味方につけて、その日の為の準備を始めた。 * * * 待ちわびた日が来るのはとても遅かった。日々を過ごす中で先輩はすっかり打ちのめされ、今にも倒れそうだった。顔色が悪い。けれど、今日のために笑顔を浮かべている。 「誕生日おめでとう」 「うん。ありがとう」 玄関口でそう言ってくれた先輩を家の中に招き入れて、俺の部屋ではなく、姉貴の部屋に案内する。 「赤也の部屋、こっちじゃないの?」 「そうだけど、今日はこっち」 戸惑っている先輩の背中を押し込む。すでに用意を終えていた姉貴が、床に座っていた。 「いらっしゃい、丸井くん」 「あ、はい、あの、お邪魔します」 「赤也。先に着替えた方がいいから、アンタの部屋で着替えてきなさい」 「分かった」 紙袋を受け取って、先輩を促す。 「赤也、何?」 「いいから、来て」 俺の部屋に移動すると、俺は電気をつけてカーテンを閉めた。紙袋を先輩に渡す。 「中に入ってる服に着替えて」 「俺が着替えるの?」 「うん」 先輩は袋の中身を取り出し、広げるとそのまま止まってしまった。 「何、これ」 「早く着替えてみて」 「だって、何だよ、こんなの着れないよ!」 「着替えて。それ着て、俺とデートして。誕生日プレゼント、それがいい」 先輩の顔が泣きそうに歪む。悔しそうに唇を噛んで、それから後ろを向いてパーカーを脱いだ。 あらかじめ、誕生日プレゼントは当日選ぶと言っておいた。いざとなって逃げられないように。 Tシャツを脱いで裸になった背中が見える。一緒にパットを入れてあるブラジャーも入っていたはずだけど、先輩はそれをつけないで服を被った。白い布で背中が隠れる。 先輩が夢見ていたような、上等なものは買えなかった。だけど、買える中で一番かわいいと姉貴が言ったものを選んだ。俺はそういうのよく分からないけど、女の勘が言うんだからきっと一番かわいいんだ。 先輩は俯いて、ワンピースの裾を摘みあげた。 「下も脱いで。パンツも、女物だけどボクサータイプだから…それ穿いて。そしたら、タイツも穿いてね」 先輩は静かに、指示に従った。黒いタイツに少年の脚が隠されて、後ろ姿ではおんなのこに見える。 「胸のとこ、浮いてるでしょ?ブラジャーもつけて、そしたら姉貴の部屋に行くよ」 先輩はのろのろとブラジャーを拾い上げて、ワンピースの肩ひもを落として、ブラジャーを胸にあてる。後ろ手にホックをかけようとしているけど、うまくいかないみたいだ。近づいていって、ホックをかけてあげる。覗いた頬が真っ赤に染まっていた。 肩ひもを直した先輩の手を引いて、姉貴の部屋に向かった。 「遅いわよ」 待ちくたびれたみたいで、雑誌を見ながら姉貴は座っていた。「悪い」と謝って、やっぱり固まっている先輩を促して、姉貴の前に座らせた。 「前髪邪魔だから留めるわね。あ、丸井くん肌きれい。眉毛とか整えるけど、大丈夫?」 「あ、は、はい」 姉貴のマシンガントークに気押されて、先輩はカチコチになりながら答える。そのあとの姉貴の手際は素晴らしく、先輩はされるがまま上を向いたり、下を向いたり、アヒル口をしたり。画伯の手によって出来上がったのは、ピンクを基調にしたナチュラルメイクの可愛いおんなのこ。まつ毛をぱっちり上に上げて、頬を染めて、唇はつやつや。肌もきれいだし、唇も荒れていないと言って、姉貴は楽しそうにしていた。先輩は手鏡を見て、ずっと覗きこんでいる。最後にバサッと、ハニーブラウンのミディアムレングスのウィッグをかぶせて、魔法は完成した。時間はかかるし、仕掛けだらけだし、仕上げは思い込みだけど魔法といったら魔法だ。おんなのこになる魔法。 「泣いちゃダメよ、ライナーとマスカラはウォータープルーフだけど、チークとファンデは落ちちゃうもの。それじゃ、デートに行けないわ」 姉貴が先輩の頭を撫でる。先輩は鼻をぐすっと鳴らした。 * * * 華奢な飾りのミュールを履いて、外に繰り出す。もう肌寒い季節だから、肩を出したままの先輩に厚手のカーディガンを姉貴が貸してくれた。ミュールを履くと足が小さく見えるけど、姉貴は先輩とサイズが同じだ。それを言うと怒られるから言わないけど、代わりに「ありがとう」と素直に言って家を出る。俺の態度に違和感があるみたいで、姉貴は変な顔をしていた。 先輩は足元を見ながら歩く。慣れない靴が歩きにくいんだろう。先輩の手をとって、俺の曲げた腕にかける。驚いた先輩は、その腕を見た。 「先輩、前向いて。顔が見えなくて寂しい」 そういうと、先輩は真っ赤になった顔を上げた。 駅前まで行くと、通り過ぎる人が先輩を振り返る。きっと、可愛いおんなのこに目を奪われて、隣りにいる俺に嫉妬している。先輩もそんな視線に気づいたみたいで、また顔を下げてしまう。 「赤也、俺、変なんだろ…やっぱ」 「違うよ。みんな先輩が可愛いから見てる」 「可愛い?」 潤んだ目が見てくる。可愛くて、自慢したくなる。 「可愛いよ」 いよいよ堪えきれなくて、先輩は泣いてしまった。パイル地のハンカチを出して、先輩に渡す。姉貴が先を見越して、持ってけと言ったもの。大通りの道の端に寄って、先輩の頭を抱える。 「お化粧、直さなくちゃね。がんばって」 頭を撫でながら、先輩を慰める。 「赤也、」 「ん?」 「本当は、まだあの服捨ててないんだ。捨てられなくて、とってある」 「うん」 「やっぱり、あれが着てみたい。赤也に可愛いって言ってほしい」 「うん」 これが、正解かどうかはわからない。だけど、先輩は嬉しそうに笑っている。それでいいんだと思う。 * * * 仕掛けだらけ、思い込みの魔法。 俺は先輩に、そんな魔法をかけた。 十四歳になって俺は、可愛いおんなのこと恋をした。 |