a teacher And a student


5月

 渡邊のゴールデンウィークは、「部活」と「競馬」の二言で済む。授業や、職員会議といった教師の仕事がない以外は、普段の生活と何ら変わりない。最終日には、通常通りのボケ講座やツッコミ講座ではなく、「総合お笑い講座」を開講した。そう大層に銘打っても、実際にはボケとツッコミの二講座を組み合わせただけだが、ゴールデンウィーク中、部活に課題に頑張った(だろう)部員たちの労いを兼ねて、堅苦しいことなく楽しくやった。
「やっぱり財前は来えへんかったなぁ」
 レギュラーの中で唯一財前だけ今日の部活に出席していなかった。昨日までの通常の部活動、つまりテニスをする時には参加していたから、お笑い講座に興味がないのだろう。それとも、嫌われているとしたら…、そう考えるのは渡邊の性に合わないため中断した。

「こない楽しいんやから来たらええのに。もったいない」
 ベンチの隣りに座った一氏が嬉しいことを言ってくれる。
「せやろ?お前はええ子やなぁ〜」
 バンダナからはみ出ている頭頂部をぐりぐりと撫でてやると、髪の毛が酷く乱れてしまった。一氏は渡邊の腕を押しやると、手櫛で懸命に直す。
「けど〜そういうクールなところが、光のミ・リョ・クよねぇ〜」
 渡邊と反対の、一氏の隣りに座った金色が、口元に人差し指を当て、体をしならせながら言った。
「何や小春!浮気か!」
「いや〜もう、ユウくんたら独占欲強いんやからぁ〜!アタシは蝶々さんやで。つ・か・ま・え・て!」
 言うなり、一氏の額を口元に添えていた指で一つつきして、スキップでその場から去った。
「こ、小春〜!」
 一氏もその後を追い掛けて、行ってしまう。若者は無闇に元気で羨ましい。ベンチにぐったり凭れて、すっかり老人気分で部員たちを観察する。そうしていると、白石たちがやってきた。
「オサムちゃん、この後みんなで焼き肉行こか言うてんのやけど」
「言うても俺は奢れへんでぇ。こないだ、お前に返したばっかりやんけ」
 このゴールデンウィーク中に夢を賭けた馬券も当たらず、財布は依然として隙間風が吹いている。
「オサムちゃん、あん時の金か?返すの遅すぎるやろ」
 スピードスターの異名を持つ忍足謙也が、心底信じられないと言う顔で見る。

 この忍足に金を貸すと早く返ってくるが、借りると取り立てがうるさい。スピードに関しては自分にも、相手にも厳しい忍足に、金を借りないことは部の暗黙の了解である。

「しゃあないやろ。やってオサム、貧乏やもん」
「オッサンが自分んこと名前で呼んだり、もんとか言いなや」
 忍足の鋭いツッコミが飛ぶ。仮にも教師である渡邊の頭を遠慮なくど突くのは、今日までの成果と喜んでいいのやら、難しい。
「オサムちゃん、安心してや。前回は俺らも食い過ぎた思て、今回はワリカンにしようっちゅう話なんや」
 渋る渡辺を見かねた副部長の小石川健二郎が説明してくれた。
「何やお前ら、気利くやんけ。そんなら、ええわ!行こか」
 言うなり、渡邊は立ち上がった。そんな渡邊を見て、部員たちは現金なやっちゃと呆れた。

「ほな、みんな焼き肉行くで!」
 白石の号令に皆が集まる。

 結局その日は、白石の無駄のない焼きと、忍足のスピードサーブで食べ過ぎてしまい、財布はさらに薄くなった。


 面倒な中間テストが終わると、全国お笑いIQテストが生徒たちを待っている。全国と銘打ってはいるが、行っているのは四天宝寺のみ。実質的には校内テストと変わらない。これも、四天宝寺ならではだ。
 このお笑いIQテストというもの、教師は先に行われた中間テストよりもその結果を重視する。中間テストで赤点を取った者には分厚いプリントの束を渡して、ひたすらそれを解かせるだけだが、お笑いIQテストで思わしくない結果に至った者には、三日三晩徹夜のお笑い合宿が行われる。どんなプログラムが組まれているのか、合宿の監督に当たったことのない渡邊には見当もつかないが、冴えなかった生徒がクラスの人気者になったという噂もあるくらいだから、軍事訓練のように厳しく的確なものなのだろう。一度詳しく聞いてみようかと思っているが、勇気が出ず、未だ実行には至っていない。男子テニス部は、渡邊が甲斐甲斐しく指導していることもあり、ほぼ全員が高いIQを叩き出している。特にレギュラー勢は優秀で、一見何も考えていないような金太郎や、お笑いとは無縁に見える石田銀も華々しい数値を修めた。
 しかしながら、勉学にも是非ともその才を発揮してほしいものだ。

「ほな、これが課題や」
 バサッとかさばるプリントの束を生徒の机に置く。平生無表情の財前だが、この量にはさすがに眉間を歪めた。
「今度は寝やんと、きっちり解いてくれや」
 財前のテストは記名と、最初の数問を解いたきり白紙だった。聞けば、それを書いたところで睡魔に襲われ、抗わず、従順に従ったのだと言う。財前のクラスは渡邊の受け持ちで、どの単元から、どのような傾向で、どんな感じの問題が出るか、懇切丁寧に教えた。普段は赤点必至の生徒に感謝されるくらいに。余程の奇跡が起きない限り、このクラスは補習を免れるはずだった。余程の奇跡は、灯台の足元にあったのだった。
 確かに、理科のテストは最終日の最後の時間に行われた。日差しも朗らかで、午睡に最適な気温だった。それに、昼食後だった。寝るのも仕方がない好条件である。これが、財前でなければ深慮する必要はないのだが…。
 財前は、アルミ製の細身のペンケースから、アルミのシャープペンシルを取り出すと、片肘を突いて気怠げに問題を解き始めた。筆致は淀みない。
「早く終わったら、先生がこけしやろう。二こけしで、どや?」
「いらんスわ」
 小気味よい調子で切り捨てられる。さすが、四天宝寺の生徒。お笑いの土壌は豊かだ。これで、無視でもされれば不安は的中だったと、心底悩むところだった。

 財前は、己を嫌っているかもしれない。

 人の心は鏡、そして教師だって人間だ。嫌われている相手を好む人間はそういない。そういう趣向か、さもなくば心が沖縄の海のように寛大な人間か。残念ながら、渡邊の心はそれ程澄んではいない。道頓堀よりは大分綺麗ではあるが。
 まだ、苦手という範疇で済んでいる。それでも、先生としては不出来かもしれないが。

 紙に文字を刻む小さな音が、静かな教室をより静謐に感じさせる。渡邊も持参した手元の書類に目を落とした。


 暫時過ぎて、財前に声を掛ける。
「青少年、調子はどないや?」
 解答の済んだプリントは右に避けてあるらしく、財前は手元のプリントの枚数をぺらぺらと数える。
「あと、4枚で終いです」
 予定していたよりもかなり早いペースだ。
「なんや、ホンマ財前くん天才やんか!寝てまうなんて勿体無いわ」
「ほんなら、赤点の評価取り消してください」
「それはグレート・ティーチャー・オサムでもできへん話や!」
 少々ネタは古いが、せっかくボケたと言うのに、財前は呆れたように肩を竦めるだけで、また解答に取りかかってしまった。渡邊は少し残念に思って、片肘を立てて、財前の様子を見守った。持ち込んだ書類は推敲を終え、後は財前のプリントを待つのみだ。
 財前も、お笑いIQテストで見事な数値を収めていた。渡邊のお笑い講座に出ていないのが、勿体無い。お笑いに対する情熱は、きっとあるのだろう。普通のテストで午睡をしても、お笑いIQテストはやり抜いたのだから。もちろん、通常のテストにも情熱を傾けてほしいのだが。

「なぁ、財前。お笑い講座来えへんか」
 つんつん頭に呼びかけると、財前は怪訝な目を上げた。
「お前、才能あるのに勿体無いで」
 お笑い講座は任意参加のため、普段はこんな風に積極的な勧誘はかけない。そのせいで敬遠されたら、元も子もないからだ。だと言うのに、声をかけてしまった。
「一氏とか先輩も、来たらええのに、て言うてたで」
 これ以上距離を広げたくないという保身が、頭の隅にある。あわよくば、誰にも好かれたいという甘え。軽く言えばいいものを、今自分は必死な顔をしているかもしれないと、渡邊は思った。
 財前は立ち上がり、プリントの束を掴むと教壇へやってくる。
「考えときますわ」
 素っ気なく言うと、バサッと仕返しのようにプリントの束を机に置いて、教室から出て行ってしまった。呆然とその背を見送り、はっとしてプリントの束に目を落とす。解答欄は全て埋まっているが、記名欄が空だ。

「…これじゃあ、こけしはやれへんわ」
 言いながら、知らず、口角が緩むのだった。



先生と生徒、5月
20100510-20100517



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