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「チエちゃん、待って、ほんとうにこっち行くの?」
「そうよ、日向子! あんなひどいこと言った男子を見返してやらなくっちゃ!」

薄暗い路地をなにも怖いことなんてないと言ったふうにズンズンと進んでいく友人であるチエの後ろを必死に着いていく、なんでこんなことになってしまったのか。
 ことの発端はその日のお昼、同じクラスの男子に日向子がからかわれたことだった。

「泣き虫日向子! お前いまだに母ちゃんと寝てるんだろ!」
「ひとりでお部屋で寝てるよ!」
「うそつけ! お祭りで泣いてるお前みたいな怖がりがそんなわけ無いだろ!」

なんであの時の孤独感もなにも知らない人間にそんな事を言われなきゃいけないのか、幼い日向子が大切に握りしめていたプライドが傷つき、声を張り上げて否定をする。

「怖がりじゃ無い!!」
「じゃあ袋小路商店街まで行ってこいよ」
「それは……!」

 出された場所はつい最近、もののけが出るから行ってはいけない、という約束を父親としたばかりの場所だった。相手だって親から同じことを言われているだろうに、その場所を出す相手に腹がたった。
けれど父親との約束を破るという宣言もできず、言葉に詰まってしまう。

「ほら!」

嘘つきだ! と人を指差すその男子がずっと嫌いだった、いつもいつも日向子に突っかかってきては最後には日向子を泣かすのだ。
その時も例外ではなく、すぐに視界が滲んでしまった。そこで日向子に助け舟を出したのがチエだった。

「日向子ちゃんにひどいこと言うのやめてよ! 肝の小さい男ね!!」

しかしチエには致命的な点があった。気が強い上に、負けず嫌いなのだ。

「肝が小さいのは日向子だろ!」
「小さくないわよ!」
「じゃあ袋小路小学校まで行ってこいよ!」
「のぞむところよ!」

そこからはもう売り言葉に買い言葉、日向子が口を挟む間もなく話は進み冒頭のとおり、袋小路商店街へと向かうのだった。

 大通りを通るより目的地に早くつける道があるから早く済ませてしまおうとチエが選んだ道は夏休みだと言うのに薄暗く、どこかひんやりとした路地だった。
プールの後の夏の風とはたいてい気持ちのいいものだが、この路地に漂う空気に対してとてもそうは思えなかった。ぶるりと一度身震いをし、繋いでいる手を離さないように力を込める。

 おかしい、日向子はすぐにそう思った。狭い路地を抜けて大きな通りへ出ても人っ子一人居らず、相変わらず太陽がどこにあるか分からないような薄暗さだったからだ。

くすくす。

くすくす。

かすかな笑い声がどこからか耳に届くたび日向子はキョロキョロとあたりを見回すが、相変わらず人影は見当たらない。
目的地である袋小路小学校の方へと進めば進むほど暗さが増していくような気さえしてしまう。

「チ、チエちゃん、帰ろう? ここ、なんかヘンだよ……」
「大丈夫! あたしこの辺には詳しいの!」
「そうじゃなくって……!」

何かがおかしいと分かるはずなのに全く足を緩めないチエに日向子は嫌な予感を覚える、そしてそれは日向子が繋いでいた手を離そうとしてもガッシリと掴んで離すそぶりもないことから確信へと変わる。

「チエちゃん、足が痛いよ、私もう歩けない」
「大丈夫! あたしがいるから何も怖くないよ!」

歩くのをやめようとすると握られている手に力が込められ、チエの歩く速さがあがる。

「チエちゃん、手、痛いよ。はなして……!」
「大丈夫! もうすぐ痛くなくなるから!」

掴んでいる力がさらに強くなり、日向子の手にチエの爪が食い込むほどだった。

痛い、怖い、離して、はなして……!!

今すぐにでも涙がこぼれてしまいそうな日向子を引きずるようにしてチエは先へ、先へと進んでいく。袋小路小学校はもう目の前へと迫っていた。

「その子を離してください」

 引きずられまいと踏ん張った足が学校の敷地を踏もうとしたその時、日向子は誰かに体を抱きとめられる感覚と男性の声を聞いた。
繋がれていた手を大きな手で包み込まれると、爪が食い込んでいた感覚はなくなり、チッと舌打ちの音が聞こえた。先ほどまでチエがいた方を向くと、そこにはチエとは似ても似つかぬもののけが居るだけだった。

「またジャマをされた、リンドウ、お前はいつも私たちの邪魔をする」
「貴方たちが生きている人を巻き込むからでしょう」
「フン、まあ、いい。名前は覚えた。日向子ちゃん、日向子、また会おう、今度は迎えに行くよ」

そしたら一緒に遊ぼう。そう言い残してもののけは姿を消した。ほーっ、と日向子は息を大きく吐いた、ずっと呼吸が出来ていなかったような気がする。これでもう安心

バン!

バンバンバンバンガチャガチャガタガタ
叩きつけるような音を皮切りに校舎の扉や窓が一斉にゆれ、音を鳴らし始めた。大きな驚いた日向子は反射的にそちらの方を向いてしまった。
扉や窓のガラスには無数の手形、手の主の姿は見えないままガラスが揺れ、手形が増えていくのを見てしまった。

恐怖に喉が縮こまりヒュッと音が漏れる、張り詰めていた糸がちぎられ、ついにわんわんと泣き出してしまう。
こわいたすけてくださいおうちにかえりたい、うわごとのようにそう口に出し、日向子は自分を抱きとめていた人物にしがみつく。

「少し失礼しますね」

ふわっと体が持ち上がったかと思うと風が体にぶつかりはじめた。景色が流れてゆき、しがみつかずとも振り落とされることはなさそうだったが、その速さに思わず背中に回した手に力がはいる。

 スピードが緩み、やがて日向子を抱えてる人が立ち止まるとその場にしゃがみ、日向子を地面に下ろした。
そこで日向子はようやく自分を助けてくれた人の顔を見ることができた。若草色をした髪の毛と瞳、形の良い眉と垂れた目は柔和な印象を受けるが、日向子にとって今大事なのはそこではなかった。帽子を挟んで頭に生えている猫の耳、それは目の前に立つ青年が人外のものであると察するに余りあった。

日向子の顔からサッと血の気が失せ、青年から離れようと暴れ出す。しかし先ほどの衝撃で腰が抜けてしまい、腕も震えて力が出なかった。離れようとする日向子を青年は止めようとせず、日向子が落ち着くまでそばで待ち続けた。

「落ち着きましたか?」

ぶんぶんと日向子が首を振る。

「そうですか……。でも、出来るだけ早くここから立ち去ったほうがいい」
「来ないで……!!」

抱えていた膝をぎゅっと抱きしめ、外を遮断するように、殻に閉じこもるように小さくなってしまう。
どうやらガタガタと震えている子供を無理やり連れて行こうとする様なヒトではないらしい。

「僕はあなたを傷つけたいわけじゃないんです」
「うそだ!」

何も聞かない、何も知らない! そう頑なな態度を続ける日向子に青年、"リンドウ"ともののけに呼ばれていたヒトは困った様に微笑むしかなかった。

「リンドウ!」
「真珠、どうしてここに?」
「子供を助けに行ったって聞いたから、って、え、日向子ちゃん?」
「知り合いかい?」
「えぇっと、知り合いっていうか……」

名前を呼ばれたことで日向子が顔を少し上げる、明るくなった視界に入ったのは駄菓子屋にいる猫と同じ水色の髪と金色の目をした青年だった。
知らない人じゃないか! ワッとまた顔を伏せ、今度は耳まで塞いでしまった。

足にふわりとした感触を感じ、もう一度顔を上げてみると駄菓子屋のお婆さんが飼っている猫、真珠が膝に前脚をかけて日向子の顔を覗き込んでいた。

にゃあ。
例のニコニコとして見える顔のまま真珠が鳴く、そして初めて会った時と同じようにゴチンと額を押し付けてくる。
ふわふわな肌触りとその奥から感じる体温にじわじわと強張っていた心と体がほぐれていく。

「ごめんなさい……」

日向子にだって助けられたということは分かっていたのだ、しかし恐怖が彼女を頑なにし、全部を敵だと決めつけてしまっていた。

「気にしないでください、僕も急でしたから」
「助けてくれて……ありがとう、ございました」

先ほどまで怯えていた相手から感謝の言葉を聞けると思っていなかったのだろう、青年の目が見開き少しの間あっけにとられていた。

「はい、どういたしまして」

青年は目元を緩ませその言葉を受け取る。

「少しここに滞在しすぎたので、もう出た方がいいですね」

僕の背中に乗ってくださいと青年が日向子に背を向ける、歩く気力ももう無かった日向子は大人しく真珠を抱えてその背中にのった。

「走りながら少し話しますね。まず、もうあそこには近づかない方がいい。」

タッと走り出したかと思うと大きく一度ジャンプをし、瓦の上に足をつける。そこからは忍者のように屋根から屋根へと移動していく。
日向子としてももうあんなに怖い思いはしたくないので素直に頷く。

「それと、もしまた同じようなことがあったら僕の名前を呼んでください。僕はリンドウです」
「リンドウ、さん」
「はい、呼んでもらえれば今回みたいに助けに入れます」

目的地へ着いたのか、屋根から狭い路地へと降りる。背中から日向子を下ろすと、向き直って日向子へ忠告をする。

「そこをまっすぐ進むと福袋七丁目商店街へ出ます、太陽が沈む前に帰ったほうがいい。特に今日は」

居心地が悪そうに下を向く日向子に、リンドウは困ったように笑い言葉を付け足す。

「少し、約束をしてくれませんか?」
「なぁに?」
「今日はグッスリ眠ること、もし起きてしまっても外へ出ないこと」
「さっきのが夢に出てきたらどうしよう」

忘れかけていた先ほどの恐怖を思い出し、日向子の視界がまたうるんでいく。

「夢の中で怖い目に合いそうな時も僕を呼んでください、すぐにかけつけますよ」

ぽん、と日向子の頭にリンドウの掌がのる。
リンドウの発した言葉が嘘であろうと本当であろうと関係なく、安心感を与えてくれる言葉をくれたということが大切だった。まだリンドウを信用しきれていない様子の日向子だったが、それでもおずおずと頷いた。それを見てリンドウも安心したように微笑んだ。

「さぁ、早くお帰りなさい」

路地の明るい方を示しそう言い。大人しく日向子に抱えられていた真珠もぴょんと飛び降り、案内するかのように進み立ち止まっては振り返って日向子を待つ。日向子はそれに従い足をすすめる。表通りに一歩踏み出した時、後ろを振り返ってみたが今通ってきた道はどこへやら、人が通れないほど細い隙間があるだけだった。



 その夜、時刻にして丑三つ時、日向子は大きな音に叩き起こされた。落雷のようなホーンの音が夜を裂き、サイケデリックなネオンが俺はここに居るぞと声を上げる。
その異様な雰囲気に飛び起き、母と父のいる一階の部屋へ飛び込む。

「お母さん、お父さん、起きて、外が怖いよ」

揺すれど声をかけれど父からも母からも反応は返ってこなかった、また一つ、高らかに聞こえてきたホーンの音に怯え日向子は父と母の間に潜り込む。ぎゅっと目をつむり、ただただこの恐ろしい夜が早く終われと願うしか出来なかった。

地獄の窯蓋が開く日である盆、日向子、いや人間の日常が変わったのはそこからだった。


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