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ある雨の日、お父さんを迎えに行って欲しいと母親に言われて日向子は駅へ向かっていた。
雨がザアザアと勢いよく傘を打ち付ける。傘の外からする音はほとんど聞こえないほど強い雨の中、日向子の耳は「ねぇ」という声を拾う。
呼び止められた、そう思い後ろを振り返るが誰もいない。日向子は首を傾げて辺りを見渡すが、やはり誰もいない。
気のせいだったかと体の向きを戻し、駅へと向かおうとする。
「ねぇ」
また、声がした。
「だれ?」
「こっち、こっちだよ。僕を見つけて」
青年と思わしき眠たげな声だった。少なくとも日向子には聞き覚えのない声。左手にある路地に入ったところからする声に日向子は答える、不思議と怖くはなかった。
「一人でいる時に裏路地に近寄っちゃいけないんだよ」
「傘を貸して欲しいんだ。君は二つも持っているでしょ?」
父親の黒い傘を指されているような気がして、日向子は持っている手にぎゅっと力を込める。
「これはお父さんのなの」
「どうしてもダメ?」
「ごめんなさい」
「じゃあ、君の傘へ入れてくれない? どうしても行かなきゃいけないところがあるんだ」
でもこの雨じゃとても行けない。声に悲しみを乗せて彼は言う。
大事な用事があるんだろうか。出先で降られてしまって困っているのかもしれない。ちょっとかわいそうかも。
そう、気の毒だと思ってしまった。
「ありがとう」
にゃお、と足元から声がする。
足元を見れば耳の折れた橙色の猫がいた、目が合うとまるで挨拶をするかのようにもう一鳴きする。
「猫ちゃん……?」
にゃあ。
急に現れた猫に目をぱちぱちさせる日向子に"そうだよ"と言わんばかりに鳴く猫。
さっき聞こえた声は猫だったのだろうか、ううん、男の人の声だったと思うけど。でもいま目の前に現れたのはこの猫ちゃんで、ええと?
日向子はしゃがみこんで考え込むが、なんだか余計混乱してしまう。しばらくうんうんと唸るが「まぁいいか」と考えるのをやめてしまう。
それも無理はなく、不思議な事がよくあるこの町では「考えても分からないことは存在する」そういった考えが普通のことだった。
「猫ちゃんどこへ行きたいの?」
そう日向子が聞けば、猫は日向子の右足にぐりぐりと頭を押し付ける。
「右……あ、神社?」
今いる位置から神社へ向かう、しかも裏路地を通らないでとなるとちょっと面倒……。なんて思っても、そう!と猫が鳴けばしょうがないなぁという気がしてしまう。
猫はそんな日向子の心情を知ってか知らずか、しゃがんでいる膝に足をかけ日向子の上へ登ってくる。止める間も無くひょいひょいと肩に登られて仕舞う。
あぁ……お洋服がどろどろになっちゃうな……。
しかし両手が傘で塞がっていては登ってきた猫を降ろすことはほぼ不可能だ、猫に降りる気は全く無いようで少し冷たい体を日向子の首元に擦り寄せ機嫌良さそうに喉を鳴らした。
「そんなに大事な用なの?」
にゃん。
そうだよ、と猫が言う。言ってる気がするだけ。
「しょうがないなぁ」
ちゃんと借りは返してね。なんて猫には分かるはずもない冗談を言って神社へ向かう。
神社へと続く石畳に足を取られないよう気をつけながらいくつもある鳥居をくぐりぬけ、狛猫の横を通り過ぎるとようやく本殿へと到着する。
「おじゃまします」
ぱちんと手を合わせ1、2秒ほど祈って顔を上げる、肩に乗っていた猫はいつのまにか本殿の階段に立っていた。
「ここまででいいの?」
そうだよ、ありがとう。と猫がひと鳴きする。
人助け、ならぬ猫助けを行った日向子は誇らしい気分になって「またなにかあったら助けてあげる!」と猫に声をかけた。
しかし猫からの返事はなく、いた方を見るともう既にその場にはいなかった。
ちぇっ、もう行っちゃった。私も行かなきゃ。
「あれ、お父さんの傘どこ?」
お祈りするときに邪魔だからと本殿に立てかけていた父親の傘がなくなっている、周辺を軽く見ても傘らしきものはなかった。
先ほどの猫が持っていってしまったんだろうか。
「ダメって言ったのに……」
またなにかあったら助けてあげる、とは言ったけど今じゃないよ〜!
迎えに行く予定だった時間もとうに過ぎ、父親の傘も無くしてしまった日向子は両親2人から叱られ、心配され、お小遣いが減らされた。
そんなことはつゆ知らず、雨もやんだ空の下で真黒なコウモリ傘をくるりと回したのは橙色の髪をした
"青年"だった。
「今どき珍しい、いい子だったなぁ」
そう言って、くあっと眠たげにあくびをした青年は機嫌良さげにまた、くるりと傘を回す。
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