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カァと烏が一鳴きして庭の木から飛び立っていく。
そのまま夕日に向かっていく烏をぼんやりと眺めている今年十になる日向子は、この時間、秋の夕暮れ時が一年の中で一等好きなのだ。燃えるように赤い夕日に包まれ、焼き芋の売り子の声や豆腐売りのラッパを聞くのが大好きだった。
そんなまだ両の手で歳が数えられる子供にしては渋いお気に入りを堪能していたのに、邪魔が入ってしまう。
「あら大変! 日向子! 日向子〜!」
大好きな母親に名前を呼ばれてしまえば無視するなんてことは出来ない。
「はーい! お母さん! なにー?」
声のした台所へ向かえば、母親がズイと鍋を差し出して言う。
「ちょっとお豆腐買ってきてくれないかい?」
「ええ!? さっき過ぎてっちゃったよ!」
もっと早く言ってもらわないと! とむくれる日向子に母は交渉材料を取り出す。
「おつり使って丸福屋さんや菓子屋さんとこで何か買ってきていいから」
「えっほんとう!? コロネ食べてもいい?」
「いいけど夜ご飯はきちんと食べるのよ、野菜だけ残すなんて許しませんからね」
「はーい! 行ってきます!」
大好きな丸福屋さんのコロネを食べてもいいなんてお許しが出た! しかも夕飯前なのに!
ささやかな非日常に浮き足立ち、鍋とお財布を引っ掴んで日向子は玄関を飛び出していく。
赤木屋のおじさんならきっとまだ駅前にはいるんじゃないかな。
日向子はそう目星をつけ、かけていく。早くしないとコロネが売り切れてしまうから。
散歩していた近所のおじさんを追い抜き、井戸端会議をするおばさまたちの横も抜けてラッパの音へ一直線に向かう。
「赤木屋のおじさーん! お豆腐ちょうだい!」
「お、日向子ちゃん。いいタイミングで来たねぇ、丁度最後の一丁だよ」
予想通りの場所にいたおじさんにお鍋を突き出すとそんな事を言われた、お豆腐が無ければコロネも無くなるところだったと日向子は胸を撫で下ろす。
「良かった〜! お母さんたら赤木屋さんが通っちゃった後に言うんだもの」
「そりゃあ大変だったねぇ。さ、崩れないように気をつけてね」
お金を払い、お豆腐を受け取ると埃を被らないようお鍋に蓋をする。
「うん! それじゃあさようなら!」
「毎度あり〜!」
元気よく挨拶をしてお目当ての丸福屋さんへ向かう。
丸福屋さんは駅前の商店街にある有名なパン屋だ。ふかふかでほんのり甘くて、クリームもあんこも美味しいここのパンがナマエは大好きだった。
"コロネできたて"
店先のショーケースに貼られていた紙を見て更に嬉しくなってしまう。出来たてだなんてなんて贅沢だろう。
まだほんのりあったかいコロネをお鍋の上に乗せ急いで帰る。
その日食べたコロネは今までのコロネとは段違いに美味しかった。
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