「おはよう」
「あ、おはよ……っ、どうしたの?」
「んー、と…ちょっとね」


私の気持ち悪いくらい腫れた目を見た瞬間、教室が一瞬にして静かになった。やっぱり来なければよかった。こんな私を見て放っておいてくれるほど大人な人は今この教室にはいなくて。うまいごまかしもできずに、私は苦笑して席についた。友達はまだ心配そうに私を見ている。そんな友達の視線を遮るように隣に座ったのは、栄口くん。今日の朝練はもう終わったみたい。


「おはよう。栄口くん」
「あ、はよ」


栄口くんは大人だ。私の顔を見ても顔色一つ変えず、いつもみたいに笑顔で挨拶してくれる。だから、栄口くんは好きだ。それからは栄口くんと会話をすることもなく、ごく普通な時間が流れていった。


………


放課後、もう教室には誰も残っていなくて、一人窓の外を眺めながら黄昏れていたそんな時、教室のドアが開いた。ドアの方を見ると、そこには栄口くんが。


「あれ、部活は?」
「終わったよ」
「もうそんな時間?帰らなきゃ…」
「昨日雨降っててグラウンド使えなくて、早く終わったんだ。だから大丈夫」
「そう?じゃあいいけど」


栄口くんはいつもの笑顔で黄昏れている私の隣に座った。ほんのり香るのは、制汗剤だろうか。とにかく私の本能を擽った。


「いい匂いするね、栄口くん」
「そう?」
「うん。これは…レモン、かな?」
「当たり」
「私、好きだなこの匂い。何かお腹減る」
「はは、つけてよかった」


そう言った後すぐに栄口くんの顔が近付いてきた。気付いた時にはもう唇は重なっていた。突き放さなきゃいけないのに、レモンの香りがそれをできなくする。ぼうっと酔いしれていると、唇をこじ開け、舌がにゅるりと入ってきた。


「ンッ…ふ、む!」


さすがにこれは、と抵抗するも、あまりの気持ち良さに力が入らない。栄口くんってキスが上手い。それでもさすがに苦しくなって、空気を求めて唇を離した。名残惜しそうに、唾液が糸を引く。


「んはっ…、何…急に」
「彼氏と別れたんだよね」
「何で、知って…」
「今日自分の顔、鏡で見た?」
「そ、れは…」
「だから慰めてあげようと思ってさ」
「帰る…!」


今の私はそんなに惨めに映っているのだろうか。そう思うと悔しくなって、立ち上がった。帰ろうと一歩踏み出したとき後ろから腕を引かれ、直後、視界が反転した。見えるのは、少しの天井といつもの栄口くんの笑顔。


「なに…」
「言っただろ。慰めてあげるって」
「いいってば…!」
「じゃあ、お願い。慰めさせてよ」
「な、んで…そこまで…」


そう言うと栄口くんは悲しそうに笑った。見てるとこっちまで悲しくなっちゃうほど、切ない笑顔で。思わず目には涙が浮かんでいた。そしたら栄口くんは、泣かないでって目の下に触れるだけのキスを落とした。


「ずっと好きだったんだ」
「え…?」
「彼氏がいることも知ってたし、言うつもりもなかったんだけどね」
「……」
「だから、俺を利用していいよ。彼氏を忘れるなら、何だってするから」


「だから、俺を好きになって」なんて栄口くんがまた悲しく笑うから。私まで悲しくなって涙は頬を流れていった。ねえ栄口くん、何だか悲しいね。


「栄口く、ん…泣かな、いで…」
「泣いてないよ」


違う、違うの。泣いているのはあなたの心。






   
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