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 伯爵様ことカミュ先輩は甘いものが大好きだ。生活の一部、いや、体の一部といっても過言ではないほどに彼は甘いもの――所謂お菓子――に目がなかった。カミュ先輩の故郷に甘い菓子が少ないらしく、その反動からか、甘味を求める欲求からか、日本に展開するありとあらゆるお菓子をふんだんに買い漁っている(ただし美味しいものに限る)のだが、先輩自身が生来の甘党ということも合わさり、甘いもの……即ちお菓子を求める探求心や執着心にはどこか恐怖を感じるものがあった。
 しかし、残念なことにお菓子を前にしたカミュ先輩には威厳や覇気といったものが全く感じられなくなる。かっこいい伯爵様には程遠く、ただのお菓子好きな人というか、お菓子を求める探求者というか。とにかく、お菓子に関しては物凄い闘志を燃やす人だった。それに、普段の偉そうなカミュ先輩よりもお菓子大好きなカミュ先輩のほうが何十倍も扱い易いのだ。お菓子で釣ったり、お菓子をちらつかせたり、お菓子で誤魔化しさえすればどうにかなっていた。そのくらいカミュ先輩はお菓子が大好きだった。
 そして、本日。晴れやかな午後の昼下がり。わたしはカミュ先輩の屋敷の前に来ていた。持ち物は両手に抱えた籠とその中に入っているマーマレードとマーマレードで作った山のようなお菓子である。
 実は実家から大量の夏みかんが届いたのだ。今年もいっぱいとれたからというお母さんの手紙付きで。しかし、いくらなんでも段ボール三箱は送り過ぎだろう。一人で食べるにしても限界があるし、知り合いに渡すにしても限度がある。だから、急遽その夏みかんたちを砂糖と煮詰めてマーマレードにしたのだ。そして、甘いもの好きのカミュ先輩のためにマーマレードの菓子まで作ってしまった。要するに、好きな人に喜んでもらいたくて張り切ってしまったのだ。
 わたしはカミュ先輩から渡されていた合鍵を使い、屋敷の中に入った。一応、呼鈴は押してみたのだけれど、反応も返答もなかったため最終手段である合鍵を使った。

「お…お邪魔しまーす。あのー、カミュ先輩? いらっしゃいますか?」

 玄関の扉を開け、中を覗き込むように室内を見渡しながら問いかけるように声を発した。辺りはしんと静まり返っており、静かな空気だけが漂うそこにわたしの声がやけに大きく響いた。
 やはり留守なのだろうか。今の時間帯なら屋敷にあると思ったのに。わたしは籠を抱え直し、そっと籠の中に視線を落とす。そうして少しの間、その場に佇んでいた。しかし、一向にカミュ先輩が現れる気配は感じない。出直すしかないか、そうぽつりと零し、足を一歩動かしたときだった。

「貴様、ここに来るときは連絡をしろと言っておいただろう!」

 そんな声が頭上から響いた。わたしは反射的に平伏した。

「ひぃ、ご、ごめんなさいっ! ごめんなさい! 許してくださいカミュ先輩っ!」

 ぎゅっと目を瞑って、何度も頭を下げる。だが、直ぐにわたしは目を開けて、威厳たっぷりの言葉をぶつけてきた相手を視界に捉えた。

「カミュ先輩っ! いらっしゃったんですね!」
「黙れ……喚くでない」
「ご、ごめんなさい……」
「……なんの用だ。俺は読書で忙しい。手短に話せ」
「は、はいっ」

 わたしは勢いよく頷くと、マーマレードとお菓子がふんだんに入った籠をカミュ先輩の前に差し出した。

「あのっ! こ、これを、カミュ先輩に献上したく思います!」
「ほう。いい心がけではないか…。して、これはなんだ?」
「はい! マーマレードです!」
「マーマレードだと? 一体どういうものだ?」
「夏みかんで作ったジャムです! 柑橘の香りとジャムの甘さがすごくマッチしていて美味しいんですよ! あと、カミュ先輩のためにマーマレードのお菓子も作りました!」

 わたしは何種類も作ってきたお菓子をカミュ先輩に紹介した。カミュ先輩は興味深そうに聞いてくれている。

「これがマーマレードのパイで、こっちがマーマレードで作ったパウンドケーキと果肉入りのゼリー。それからこれが…」
「なるほど。ジャムには様々な使い道があるのだな。こんなにたくさんの菓子が作れるとは。興味深い」
「よ、喜んでいただけましたか?!」
「ま…まあ、悪くない」

 カミュ先輩の悪くないは高評価の別称だ。わたしは頬が緩むのをどうにか堪えながらカミュ先輩をテーブル席に座るよう促した。カミュ先輩は仕方ないといったふうに席につく。わたしは手慣れたそれで菓子を更に盛り付けて、フォークとナイフをセットした。そして、カミュ先輩が好きな紅茶を淹れて、その中に一匙のマーマレードを加えた。

「どうぞ! マーマレードのパイとマーマレードの紅茶ですっ!」
「マーマレードの紅茶だと…? 紅茶に合うものなのか?」
「もちろんです! ジャムを入れる紅茶をロシアンティーというんですけど、ホットにもアイスにも合うんです。さっぱりした味わいになっていると思うので飲みやすいかと存じますっ」
「ふむ」

 カミュ先輩はパイに手をつける前に紅茶に手を伸ばした。ソーサーからカップを取って、口元に運ぶ。そして、一口含んだ。

「どう、ですか?」
「ああ。あまりしつこくはないな。想像以上だ…。なかなかではないか」
「本当ですか?! よ、よかったー」

 わたしがほっと息をつくと、カミュ先輩がにやりといやらしく笑った。わたしは首を傾げた。

「貴様も味見をしてみるか?」
「へ?」
「遠慮はいらん」

 そう言うと、カミュ先輩は口に紅茶を含ませて、わたしの唇に自分のそれを重ねてきた。そして、唇の隙間からカミュ先輩の舌と紅茶が侵入してくる。口内に紅茶とマーマレードの香りが漂い、頭がぼんやりとした。わたしはカミュ先輩の成すがままに扱われ、わたしの唇を充分に堪能したカミュ先輩は満足げな顔で唇を離した。

「美味かろう?」

 わたしの顔を見つめながらそんなふうに訊ねられた。けれども、美味しいかどうかなんて分からなかった。わたしは顔を真っ赤にさせながら叫ぶように声を発した。

「あ、あじ…なんて……分かりませんっっ!」

 その言葉にカミュ先輩は口角を上げた。

「ほう。もっとして欲しいと言っているのだな? 意外と積極的ではないか」
「な、な…! ち、ちが、違いますー!」

 迫ってくるカミュ先輩から逃れるためにその場から逃げ出そうとするけれど、しっかりと腰を掴まれているため身動きがとれない。わたしは腕をばたつかせて、カミュ先輩の胸に手を添えて、なけなしの抵抗を示した。それを目にしたカミュ先輩が顔をしかめた。

「貴様…。俺に刃向かうつもりか?」
「いいい、いえっ! そんなことは!」
「だったらこの手をどけろ。無駄な抵抗はするでない」
「う、」
「こっちに来い、名前」
「っ…はい」

 わたしは観念してカミュ先輩の腕の中に収まった。逞しい腕の力にドキドキする。カミュ先輩の体臭というか、香水というか、紅茶とマーマレードに上手く溶け込んだ香りに包まれる。ふわふわとした感覚に襲われ、わたしは夢心地になった。いい香りだなあと思いつつ、迫り来るカミュ先輩の綺麗な顔を見つめながらそっと目を閉じた。

13.06.29