くそったれ、虫歯が痛い | ナノ

 その後の部活では、黄瀬と灰崎のスタメンをかけた勝負が行われた。ああ、なんという日だろうか。負けた黄瀬にタオルを渡すと、彼は無言でそれを受け取った。勝った灰崎は、今日の女とバカップルぶりをお披露目して体育館を後にした。
 その様子を思い出して、私はうっすらと笑う。赤司くんは「さっさと帰るぞ」と溜息を吐いて黒子や紫原の背中を推す。その列の一番後ろを、黄瀬と並んで歩く。滴る汗を拭う黄瀬は、灰崎の何倍もかっこいいと思えるのに。「彼女だったの?」。私の問に、彼は横目で私の顔をみてうっすら笑う。

「んなわけんないっしょ、あんなクソビッチ」
「やだ、ゲスいね〜黄瀬くんは」
「知ってるくせに」

 黄瀬は、宙にふらふらと揺れていた私の手を掴んだ。しっとりと汗をかいた、ごつごつした手だった。ふと見上げれば、いやらしく目尻を下げた“黄瀬涼太”がいた。

「傷心なんスよ」
「……バカな女は嫌いじゃないの?」
「名前っちはバカじゃないっしょ?」
「黄瀬」

 強く握られた手が、暖かくなっていく。彼の体温が私へと移る。言いたいことはわかる。

「……私じゃなくてもいいんじゃない?」

 そう言うと、黄瀬は笑った。悪い顔をして、にんまりと笑った。

「名前っちが、いいんスよ」

 それは、灰崎への対抗心? なんて私に聞く権利もなければ度胸もないのだ。彼が私のことを愛していないことはわかっているのだ。好きだけど、愛じゃない。私の手を握るその手が、ひどく暖かくて、なぜだか泣きたくなった。灰崎の手は、こんなに、暖かくないから。私の隣にいつもいたのは、灰崎だったから。
 ねぇ灰崎、黄瀬はスタメンだけじゃなくて、私の隣まで奪ってしまうようだよ。なんて、君にはどうでもいいことかな。

「……保留ね」

 彼の手を振り払ってそう言った。彼は不機嫌そうな顔で頷いた。そのあとは二人でいつもどおり、いつもどおりバスケの話をして帰った。コンビニでパピコを買って、彼に半分あげた。隣を歩く綺麗な金髪に、虚しさを覚えた。



 なんとなく、誰にも会いたくなくて。お昼休みに友達に寝てくると嘘をついて屋上へと行ってみればそこには会いたくない人物その1がいた。風にそよそよと銀が靡く。

「……灰崎」
「うげ、名前かよ」

 声をかけると、くるりと振り向いた。その頬に綺麗なもみじを作った銀髪に顔をしかめると、灰崎は鼻で笑った。貯水タンクの影に隠れるように座っている彼の隣に腰掛けた。灰崎はなにも言わなかった。私はそんな灰崎のもみじマークをまじまじ見た。くっきりと付けられたソレは、完全なる破局の印。

「……食べたらもういらないんだ?」
「よくわかってんなお前は」

 苦笑いを浮かべる私とは対照的に、灰崎は楽しそうに笑った。

「いらなくなっちまった」
「……そう」
「人が食ってるもんは、うまそうに見えんだよなぁ」

 ごろりとコンクリートに寝そべって、彼は目を閉じた。真っ赤なもみじは、この季節には不釣り合いだ。私は座ったまま、灰崎を見ていた。

「しっぷ貼っときなよ。そしたら喧嘩だって思われるから」
「もみじマークは男の勲章だバァカ」
「だっさ」

 そう言って笑うと、灰崎も歯を見せて笑った。彼からしたら私は、たった一人の友人なのかもしれない。彼には確かに“ダチ”がいる。一緒に馬鹿やって喧嘩をして、どこか遊びに行ってナンパをする、“ダチ”がいる。けれどこうやって一緒に存在していられる存在は、もしかしたら私だけかもしれない。
 灰崎は部活の癌で、私にとっては花壇に生えたチューリップだった。そして、私はそれをずっとずっと見守ってきた。鋏をもった王様が、気に入らないと切り捨てるそのときまで。私はずっと、そこに生えているチューリップを見守り続けるだろう。

「灰崎〜、ダッツ食べたい」
「おごってくれんのか」
「おごられる側でしょ、私が」
「死んどけ」

 終わりはもう、そこまで来ていた。

13.03.09