くそったれ、虫歯が痛い | ナノ

「はじめまして、黄瀬涼太ッス!」
「……どうも、名字名前です」

 赤司くんの横に並び、私にきらびやかなスマイルを浮かべるのは、例の黄瀬涼太だ。綺麗に作られた笑顔を私に向けたまま、右手をすっと差し出した。私もそれに答えるように、右手を出す。軽く握って、すぐ離した。

「まぁあんま絡む機会もないと思うけどよろしく」
「え、あ、はぁ……」
「名字、選手とはしっかりコミュニケーションを取れといつも言ってるだろ」
「赤司くん、一度も言われたことないよ」

 思わずため息をはくと、黄瀬くんが身内ならではの空気にきょとんとする。「ごめんね黄瀬くん」と一応謝ると、「大丈夫ッス」とこれまた綺麗な笑顔が返ってきた。モデルなだけはある。すると赤司くんがあたりを見回して、「灰崎」と声を出す。その単語にわたしの肩が揺れたのを、黄瀬くんだけが見ていた。呼ばれた灰崎は遠目からでもわかるほど嫌そうな顔をして、持っていたボールを黒子に渡してこっちへと来た。

「黄瀬に似たタイプの人間だから、紹介しておくよ」

 にっこりと。それこそ完璧と言わざるをえないほどの綺麗な笑顔で、私はまた涙腺を突かれたような気分になる。ひどく惨めな気持ちになる。黄瀬くんはその笑顔にうっすらと顔を赤く染めて頷いた。たしかに同性から見ても惚れ惚れするような笑顔だ。

「……あんだよ」
「今日から一軍に入った黄瀬だ、挨拶をと思ってな」
「ドーモ、黄瀬涼太ッス。よろしく」
「灰崎ショーゴ。よろしくするつもりはねーよ」

 がん、と重みが加わり、ああ、また頭を肘置きにされているのだと理解する。その様子に黄瀬は目を丸くした。赤司くんは変わらず笑っているけれど、だからこそ、怖い。

「重いよ灰崎」
「うっせーよブス、タオルよこせ」
「あんたまだ休憩じゃないでしょ。黄瀬くんに挨拶すんだんだから、はやく黒子くんと連携練習してきなさい」

 そう言って頭の上に置かれた肘をはたき落とす。「灰崎」。赤司くんがゆっくりと、拒否を認めない声で名前を呼ぶと、観念したのか頭をかいて「へーへー」と私から離れた。遠くなる背中に思わずため息をはくと、黄瀬があの、と声を出す。顔を見上げると、うっすらと苦笑いを浮かべていた。

「二人は付き合ってるんスか?」

 その質問に、私よりさきに赤司くんが笑う。

「はははっ、だったら面白いな」
「わたし、付き合うなら黒子くんみたいな子がいいわ」
「え!?」
「灰崎なんて、……道路の脇の吸い殻よりどうでもいいよ」

 どうでもいい。繰り返した言葉は、私の中で反響する。気にすることはない。灰崎だ。灰崎なんか、どうでもいい。それでも気にかけてしまうのはなぜだろう。“癌”を、取り除いてほしくないと思ってしまうんだ。でもそれを決めるのは私ではない。
 赤司くんは私の言葉に満足げに「そうだな」と言った。
 わたしだってわかってる。彼が入ってきたということは、灰崎が排除されかねないということだ。次になにか問題を起こしたら、どうなるか。私だって、灰崎だって、わかっている。

「じゃあ、教育係の紹介をしよう」

 ねぇ灰崎。私はあんたのこと、嫌いじゃないよ。でもきっとそれは、言ってはいけない言葉なんだろうね。胃から込み上がってくる不快感をこぼさないように、私は口をきゅっと縛って笑みを浮かべた。黄瀬くんがうっすらと、目を開く。ああ、きっとこの人は、彼の居場所を奪っていく。まるで灰崎のワザのように、自分のものに、してしまう。黄瀬くんが、何かを言いたげに口を開いて、ちょっとだけ息を吐いて閉口した。彼はやけに真剣な表情で、私を見つめていた。



 黄瀬は、どうやら仲良くなった人間の名前に「〜っち」をつける人間らしい。すっかり疲れきった様子で「名前っち」と呼ぶ黄瀬に、「どうぞ」とタオルを投げつける。床にベッタリと座る黄瀬が、ふらふらの手で受け取った。

「おつかれ、だいじょぶ?」
「きっつい。まじきっつい」

 仲良くなったきかけは覚えていないけれど、黄瀬が「絡みないって言われたのがムカついて、どんな奴かなって近づいたら居心地よかった」からだと言っていた。よくわからないけれど、隣にいた赤司くんが「あの灰崎が懐くくらいだからな」となぜか笑っていたのが印象的だった。彼の口から、灰崎の名前が普通に出ることは非常にマレだからだ。
 黄瀬にドリンクボトルを渡し、未だミニゲームが行われているコートを見渡す。メンバーチェンジで黄瀬と交代で入った黒子くんが、ボールをスティールした。それを受け取った灰崎が、シュートを決めた。あれは確か、三年生の先輩の3Pだ。

「……今日は調子良さ気だな」
「わかるんスか?」
「ん? まぁだいたいね。灰崎は顔見れば一発。黒子くんも雰囲気でなんとなくね」
「……へぇ」

 黄瀬は、いがみあう青峰と灰崎を見ながらすこしだけ目を細めた。「……ホントに付き合ってないんスか」。その言葉に彼を見れば、やけに挑発的な目が私を捉えていた。アーモンド型の金色の瞳。

「……付き合ってないってば」

 そう言って苦笑いをしながら、内心で「めんどくせぇな」と吐き捨てた。こういうやりとりは、はっきり言ってしまえば煩わしいことこのうえないのだ。すると黄瀬は、立ち上がって私を見下ろした。トン、と彼の手が壁に添えられ、妙な圧迫感に私は息を呑む。

「じゃあさ、俺と付き合ってよ」

 ほら、めんどくさい。
 男女の間で度々かわされるこういう駆け引きというものが、私は嫌いだ。まどろっこしいことが嫌いだ。好きでもいないのに、こうやって『愛』のまがい物をチラつかせて釣りをする男が、嫌いだ。私は詰めいていた息をはぁ、と吐いた。彼が口角を上げた。

「勘弁してよ」

 そう言って彼の目を睨むと、にんまり笑って言う。悪い顔をして。

「つれないっすね」
「モデルがほいほい彼女作るもんじゃないよ」
「そこはほら、ナイショにしとけば」
「案外ゲスいね、黄瀬くん」
「ひどいっす」

 黒子くんが灰崎と青峰の脇腹にイグナイトをした。私はくすりと笑って、「黄瀬」と名前を呼んだ。「なんすか?」黄瀬もその光景を見て、笑っていた。

「私、付き合うなら黒子くんみたいなタイプがいいから」
「それ、聞き飽きたっすよ」



 次の日、灰崎がギャルと歩いてる姿を目撃した。私はとくに話しかけることもせずにその隣を通り過ぎた。灰崎の腕にしっかりと胸を押し付ける女に思わず笑いがこみ上げて、ブレザーの袖で口元を隠した。灰崎はそれをしっかりと受け止め、笑っている。そして私を一瞥すると、少しだけ不機嫌そうな顔をした。バチリとあった視線を、外す。私はまったく知らん顔をして。灰崎を無視した。

「ねぇ、ショーゴ聞いてる?」
「きーてるきーてる」

 バカみたいな、甘えた声。そういえばそのバカ女、黄瀬のことを追っかけていた女じゃなかっただろうか。ばさばさとしたまつげとキツい香水が私の不快感を煽る。ああ、くそったれ。そう心中で吐き捨てて、私は体育館へと向かう。

「今日の部活終わるの待ってていい?」
「あ?……あぁ、」

 くそったれ。今度は声にだして、小さく舌打ちをした。ずんずんと足を大きく動かして、私は体育館を目指す。
 もう見慣れた光景じゃないか。あいつが誰かの側にいる女を強奪するなんて。あいつがいつも、違う女と歩いてる光景なんて。それでも無性に苛々するのは、昨日黄瀬とあんな会話をしたからだ。ポケットから友人にもらった飴を取り出すと、突然肩を叩かれる。

「……名前っち」

 ぴたり、足が止まる。後ろを振り返ると、黄瀬がいた。にこやかに営業スマイルを浮かべた彼に、ちょっとだけ苛々が収まり、私のそのことがすこしだけ悲しかった。私は眉間のシワを伸ばして、表情をつくることなく「なに?」と言った。飴の袋から綺麗な黄色い飴を取り出した。まったく同じ色をした目が、優しく笑う。

「一緒に体育館行こ」
「……あーうん、そうだね」

 そんなことかよ、と思いながら頷いて、止めていた歩みを動かし始める。ゆっくりと私のペースに合わせて歩く黄瀬に、なんだか少し泣きたくなった。

「名前っち」
「なに?」
「呼んだだけ」
「……あっそ」

 ゆっくりと、廊下を歩いた。春の日差しが私達を刺すように暑い。「夏になるね」。私の言葉に、黄瀬が笑う。「そうっスね」。いつもの明るい、軽い声だった。私の気分も少しだけ、軽くなったような気がした。

12.10.08