くそったれ、虫歯が痛い | ナノ

 本当にたまたま、自販機の前でテツヤに会った。あいつは俺の顔を見ると、一瞬だけ眉をひそめた。俺は特にそれにたいしてリアクションせずに「よぉ」と声をかけておいた。テツヤはぺこりと頭を下げて「どうも」と淡々とした声で挨拶をした。隣に立ち、小銭を入れて自販機を動かした。光るボタンに視線を巡らせていると、テツヤが小さく「灰崎くん」と俺の名前を呼ぶ。

「……名前さん、部活辞めたんです、知ってましたか」
「おー、知ってたっつーか、なんとなくわかってた」
「そう、ですか」

 ガチャン。出てきたペットボトルを手にとって、テツヤの顔を見た。どんよりとして、幸薄そうな顔が余計に幸薄くなっているさまは、笑えるようなものではなかった。
 あの日、名前は笑って屋上を出ていった。明日カラオケに行こう、と意味深なコトを行っていたくせに、あれ以来あいつからのメールもないし、会ってもいない。屋上にも来ないのだ。そして「あーやっぱり辞めたんか」と思った。なんとなく退部していく奴にはそれなりの“雰囲気”があるのだ。あのときの名前から、それはなんとなく感じていた。金のない俺の財布は、やはりカツカツのままだ。かろうじて自販機の飲み物を買える程度の小銭。電車賃も、ましてやカラオケにいける余裕などない。
 テツヤは買ったばかりのパックジュースにストローをさした。九月の日差しはまだ強く、じりじりと肌を焦がしそうな太陽を睨んで、俺はテツヤの頭を軽く叩いた。

「中庭行くぞ。日陰のベンチ」
「え?」
「いろいろ言いてーことあんだろ、オタガイに」

 授業の始まりのチャイムがなった。テツヤは小さく頷いて、俺のあとについてきた。



 木漏れ日が鬱陶しい。掌で太陽を隠して影を作る。隣りに座ったテツヤはなにも言わずに、甘ったるいジュースを飲んでいる。

「テメーも辞めたんだろ」

 その言葉に、テツヤがわずかに目を見開いた。

「知ってたんですか?」
「わかるんだよ」

 テツヤは納得いかないという顔で俺を睨んだ。けれど本当にわかるのだからしかたないだろう。手に持っていたペットボトルのキャップを開けて、口に付けた。一気に三分の一ほど飲み干して、キャップをしめる。

「もったいねーなぁ、お前推薦もらえねーんじゃね? 退部まで行かなけりゃいーだけだろうが」
「……いたってもらえるわけないでしょう、馬鹿ですか君は」
「あ?」
「幻の六人目、なんて、もういないんですから、ここには」

 言わなきゃよかったか、と少しだけ後悔した。確かに今のキセキの世代に、幻の秘密兵器なんてものは要らない。自分の力でどうにかなるのに、秘密兵器を持ち出すわけがないのだ。俺は「あっそ」とだけ返事を返した。テツヤはうつむいたまま、自分のスラックスを握っていた。

「灰崎くんは高校、どうするんですか」
「……担任が、必死に推薦取ってきてくれてるよ」
「推薦を?」
「俺の頭じゃいけねーからな、高校。担任が、バスケだけはすごかったんだから、なんとか推薦もらえんじゃねーかってよ。ダイキやリョータがフった高校に俺のこと聞いて回ってる」
「……それ、は」
「すげーだろ、俺の担任」
「もう少し、感謝したらどうです」
「これでもしてるわ」

 なんとかするよ、と担任は笑った。まだ若い教師なのに、随分と頼もしいものだと思った。俺は柄にもなく「頼んだわ」と少しだけ頭を下げた。あいつからそういうふうに見えたかはわからないけれど。
 テツヤは空を見上げながら「僕と名前さんは、同じ高校へ行くつもりです」と言った。いつもの無表情でなにを考えているかわからない目で。

「……そりゃ、良かったわ」

 なにを言うべきかわからなかった。頭上で葉を揺らす枝を見ながら、俺は残りのジュースを飲み干した。
 テツヤも名前も、本当に不器用なやつだと思う。嫌いだと言いつつ、捨てることすら出来ないんだ。手は離したくせに、目はそらさない。ずっと、未練がましく睨んでいるんだ。足元に転がるボールを。「バスケは好きですか」。その問いに、俺は答えることすらせずに笑った。テツヤはそれで満足したようだった。

12.12.09