目を覚ませばあなたがいる | ナノ

 春の日差しが体育館の窓から差し込み、楓の身体を包み込んだ。驚くほどの晴天で、桜の花びらがひらひらと散っている。

『生徒会長からの挨拶、緑間楓』

 司会を務めるやけに硬い教師の言葉に、楓はゆっくりとパイプ椅子から腰を上げた。ゆっくりとお辞儀をして、壇上へと上がっていく。真新しい制服を着た新一年生たちがずらりと並ぶ。品の良さそうな後輩たち。着飾った両親たち。なかには涙を流している親もいて、楓はバレないようにこっそりと笑った。帝光中学校、というのは非常に名の知れた私立中学校だ。そこに我が子が入学したとなれば、たしかに喜ぶのかもしれない。楓は書いておいた紙をブレザーのポケットから取り出して、マイクのスイッチを入れた。すっと目を開いて、前を向いた。ずらりと並ぶ生徒たちの中に、カラフルな色の髪の毛が見える。そしてその中に、綺麗な綺麗な、クロムグリーンが存在していた。目が、合ったような気がした。なんとなく、そんな気がした。私はすこしだけぬるんだ口角をにこりと上げて、息を吸った。

「新入学生のみなさん、ご入学おめでとうございます」

 真太郎が、すこしだけ、笑ったような気がした。遠すぎて、よく見えなかったけれど。



 入学式も終わり、楓は真太郎のクラスへと向かった。すれ違う生徒たちが必ず二度見してくることを来にもせず、ただただ歩いた。目的のクラスにつくと、まったく周りのことを考えずにドアからひょこりと顔を出した。目立つ目立つ、クロムグリーンの髪の毛。すると、私が声をかける前に真太郎が目を開いた。

「ね、えさん!」
「おつかれ真太郎。堅苦しい式は疲れたでしょ?」
「そんなことより! 俺は生徒会長だったなんて聞いてない」
「あら、言ってなかった?」

 とぼけて首を傾げる楓に、真太郎ははぁ、とため息を吐いた。自分の姉だからこそ、こういうときはあえて突っ込まないほうがいいことを知っている。楓の口元が楽しそうに緩められていることが、「あえて言わなかったのだ」と語っていた。すれ違う男子生徒が楓に見とれているのがわかり、真太郎は少しだけ気分が悪くなる。顔には出さないが。

「お母さんは先に帰るって。夕飯はどこかお祝いに食べに行くらしいわ」
「……そうか」
「私は生徒会で残らなきゃだから、一人で帰ってね」
「……わかったのだよ」

 うっすらと、眉間にシワを寄せた真太郎に思わず楓が笑った。

「またね」
「あぁ」

 ひらりと手を振ると、真太郎もこくりと頷いた。素直で可愛い、可愛い弟。突き刺さるような好奇の視線をものともせずに、楓は歩いた。足取りは軽い。けれど、気分はひどく沈んでいた。弟を見る女子の目線に、気分が悪くなったのだ。あの“見てくれ”だ。注目されないほうがおかしいのだ。きゅっきゅ、と上靴を鳴らして歩く。もし彼女ができたらどうしようか。そのときは。

 ――どうしてくれよう。

 でもきっと、楓はどうすることもできない。彼を愛する人間として、彼を思う“姉”として、祝福の言葉だけを告げるのだ。綺麗な笑みを貼り付けて、心で汚く罵声を吐いて。可愛い子ねと褒めながら、自分の心を殺すのだ。鋭利なナイフで切り裂いて。涙も出ないほど。「緑間」。ふいに後ろから、名字を呼ばれる。彼とお揃いの、名字を。楓はゆっくりと振り向いた。そこには同じ生徒会の男子生徒が、すこし気まずそうに笑っていた。

「ちょっといいかな」
「……うん、大丈夫」

 彼の仮面の裏に隠れた好意に気が付かないフリをして、楓は優しく微笑んだ。心の中で、めんどうだと嘆きながら。

13.02.11