目を覚ませばあなたがいる | ナノ

 緑間真太郎は、父親の再婚相手が連れていた“姉”のことが好きだった。初めて見たときに、彼は思った。ああ、きっと、僕たちはトクベツななにかでつながっていると。小さい頃は、そのトクベツなモノがなにか理解することはなかったが、中学校入学を控えた彼はもう理解していた。それが、血のつながりだと。
 実際、親子間で“血”は繋がっていないのだときいたことがある。流れているのはまったく違う血。一緒なのは遺伝子だ。彼と彼女は、確かに半分ずつ遺伝子がお揃いになっている。姉と父親を見ていれば、それはわかる。顔つきも確かに似ているが、頭の良さや言葉の端々からにじみ出るオーラというものが、やはり似ているのだ。
 真太郎は鏡に写った父親と同じクロムグリーンの瞳を撫でた。楓とは違う瞳。楓は、小百合と同じ、色素の薄い瞳だ。

「……楓」

 そう呼べたらどれだけ満たされるか。噛み締めた下唇の痛みは真太郎に現実を突きつけるようだ。愛おしいという重い想いは真太郎を深く深く落としていく。大きく開いた唇から、もう一度、味わうように名前を呼んだ。彼女の名前を、音を確かめる。

「楓」

 真太郎のつぶやきは、静かな自宅に吸い込まれ消えていった。朝六時。まだ楓が起きることのない、早い時間の秘め事。



「おはよう姉さん」

 真太郎はいつものように姉を呼ぶ。自室から降りてきた楓は、瞼をこすりながら「おはよう真太郎」と静かに挨拶を返す。まだパジャマ姿な楓に、小百合が笑う。

「休日だからってのんびりしすぎよ」
「たまにはこういう日もあるわ」

 その言葉に、柊二が頷いた。「休日くらいだらけたい気持ちはよくわかる」。小百合がくすくす笑う。真太郎は、ぬるくなってしまったカフェオレに口をつけた。苦味と甘味が混ざり合った、姉の好きな飲物。真太郎のとなりに座った楓が、「一口頂戴」と手を伸ばす。

「仕方がないのだよ」
「ふふ、ありがとう」
 
 手渡すと、楓はふにゃりと顔を崩した。その笑顔が、真太郎はとても好きだ。柊二にも、小百合にも、自分にも似ていない笑顔が、たまらなく愛おしい。テレビを見たり、普通に笑うときの笑顔は恐ろしいくらい綺麗で、似ているのに。こういうときの笑顔は、彼女だけのものだった。小百合は食器を洗いながら今流行のラブ・ソングを口ずさみ、柊二はいそいそとネクタイを結んでいた。彼はこれから出勤なのである。真太郎はぽちりとテレビをつけた。元気な女子アナの声が聞こえてきて、朝を思い知らされる。早朝から、このテンションの高い女の声というのは少しだけ不快感をいだかなくもないが、緑間家は、この番組を見ることが習慣になっているのだ。残り僅かになったカフェオレを飲み干した。

『今日のおは朝うらな〜い!』

 次々と読み上げていく女子アナの声を聞きながら、真太郎は、姉の横顔を盗み見た。頬杖をついて画面を眺める楓が、“蟹座”の言葉を聞いて顔をほころばせた。口元に小さく笑みを浮かべて、嬉しそうに言うのだ。

「真太郎、今日は四位ね」

 真太郎は、それだけで幸せだった。占いの順位で一喜一憂してくれる姉が、愛しくてたまらない。ぎゅうぎゅうと心臓が動き出し、自分が生きている、と感じる。だが同時に、この幸福のまま死ねたらいいのに、とも思う。このまま、彼女が隣にいて笑ってくれる時間が、進まなければいいのにと。
 運命を呪ったことはない。神を信じたこともない。でももし彼女と一緒に生きていける未来が、あるとしたら。姉弟として出会えたように。そんな運命があったならと。真太郎は願わずにはいられないのだ。

『そんな蟹座のラッキーアイテムは、コーンポタージュです!』

 だからもし、占い師がそれを『神の導き』だと言うのなら。それを運命だと指すのなら。真太郎は信じるのだ。彼女の隣で生きていけるように、それに従うのだ。

「姉さん、今日のお昼はコーンポタージュを作って欲しいのだよ」
「言うと思ったわ」

 人事を尽くして天命を待つ。もう、姉弟として生まれた運命を変えることはできないのだ。ならば、自分の手でたぐり寄せるしかないだろう。真太郎は、テーブルの下で自分の手を握った。きっとそんな未来が訪れることを、ただ願うことしかできない自分に苛立ちながら。彼は毎日、未来の為に今の自分を捧げるのだ。

13.01.12