目を覚ませばあなたがいる | ナノ

 雪が降った。庭を一面覆い尽くし、景色を真っ白に変えた。白紙に変えた。楓は自分の部屋を飛び出して、真太郎の部屋へと向かう。ドアをコンコンとノックするが、返事はない。「しんたろー」。すこし大きめな声で呼ぶと、やっと「ねぇさん?」とか細い声が聞こえた。

「真太郎、起きて。雪が降ったわ」

 小学生は雪が好き、というのはお決まりである。そして彼女もまた、雪が好きな人間の一人だ。この都会で雪がつもることなんて、ここ数年では片手で足りるほどだ。だからこそ、楽しい。嬉しい。自分の家が自分の家じゃないように、姿を変える。真っ白に、すべてを隠して、なかったことにする色。白。
 がちゃりとドアが開いて、背丈の変わらない弟が現れた。ナイトキャップをかぶった弟にくすりと笑った。

「おはよう真太郎、ご機嫌いかが?」
「おはよう姉さん、まだ眠いのだよ」

 目をこすりながら眉間にシワを寄せ、溢れでてくるアクビを噛み締めた。真太郎はそっと息を吐いて「雪?」と聞いた。楓は「そうなの」と声を弾ませた。

「暗いなぁと思ってカーテン開けたら、雪景色だったの! まぁうっすら積もってるくらいで、すぐ溶けちゃうと思うんだけど。だからはやく知らせてあげようって」
「……ん」

 ありがとう、の意味を込めて首を動かせば、楓はそれを汲み取って笑う。真太郎の手を掴んで、階段を降りる。素足にフローリングの冷たさは少しだけ辛いが、そんなことを構っている余裕などなかった。

「姉さん、まだ着替えてないのだよ」
「庭に出るだけ。だからいいよ、パジャマでも」

 こういうときの楓に何を言っても勝てないことを真太郎はわかっているので、これ以上何も言うまいと口を閉じた。まだぼんやりとする意識の中で、しっかりと、楓の体温だけが伝わってくる。温かい。しっかりとダウンジャケットを着て、ブーツに足を入れた。これならいくらか温かいだろう。
 玄関を開けて庭へと行くと、そこにはしっかりと雪を咲かせた枯れ木の姿があった。地面は白く、塀にも数センチ積もっている。真っ白な、雪景色と言えるものがそこにはあった。

「……真っ白だね」
「……真っ白なのだよ」

 繋いでいた手を少しだけ崩して、お互いの指をからませた。深い意味などはない。ただ、お互いにそうしたかっただけだ。双子ではない。それでもお互いに、“片割れ”だと思っている。真太郎が楓を見下ろした。優しい優しい、綺麗な目をして。

「姉さん」
「なぁに、真太郎」
「もうすぐ、俺は中学生になる」
「……そうだね」
「時間が経つのは、早いな」
「……そうだね」
「姉さん」
「なぁに」
「俺も、帝光に行くことにしたのだよ」

 その言葉に、楓は小さく息を呑んだ。

「……そうなの?」
「帝光は、バスケが強いから。ミニバスの試合のときに、スカウトのようなものをされたのだよ。よかったらこないかと。姉さんが通っている学校だし、断る理由もない」

 絡ませた指が、じんわりと熱を帯びていく。小学五年から、真太郎はミニバスを始めた。そしてどうやら才能もあるらしく、試合では活躍していると両親の口から聞いていた。才能があると、色んな人から言われていると。まさに注目株だと言われているとか。楓はそっと、手に力を込めた。
 楓は、帝光中学校に通っていた。将来は父親のように薬剤師になれたらと思っている。頭の出来もいい。父親が「帝光は俺の出身校なんだ」と言ったとき、楓はすぐに「そこに行きたい」と言った。立派に、しっかりと自立したのだと。両親にそう説明した。柊二はにっこりと、嬉しそうに笑った。「それはよかった」と。その笑顔のウラには「やはり俺の子だ」という感情が隠れていたことを、楓はなんとなくだが気づいていた。
 自立したいのだ。一人で生きれるように。たった一人、結ばれない相手を思い続けられるように。誰かに娶られることのないように。“片割れ”のことを思い生きていこうと、お互いに言うことなく別々の場所で決意をした。知らない間に、同じ決意を。

「真太郎と一緒に登校できるね」
「……そうだな」

 そのときは、手をつなげるだろうか。彼にまとわりつく女子たちに、嫌悪の眼差しを向けずにいられるだろうか。楓は、心臓を握りつぶそうとする絶望に言う。「きっと無理ね」。そうしてやっと、楓は呼吸ができる。ゆっくりと、真太郎と同じ空気を肺へ取り込むことができるのだ。

13.01.10