目を覚ませばあなたがいる | ナノ

 初夏とはいえ、気温はすっかり真夏日だ。コンクリートの照り返しに汗を落としながらランニングを終えると、自分の肺や筋肉が悲鳴を上げているのがわかった。十分間の休憩を言い渡され、どさりと木陰に腰を落とした。
 水道水をたっぷり蓄えた胃がたぷりと揺れて、飲み過ぎたと後悔をする。こめかみを伝っていくを汗を手の甲で拭う。すると後ろから「大丈夫か」と声をかけられる。聞き慣れた中性的な声に、顔を上げた。

「……お前は涼しい顔をしているな、赤司」
「そう見えるのはお前が俺以上に疲れているからだろな」

 隣に腰を下ろした赤司は、少し汗をかいているくらいで、疲れているようには見えなかった。生ぬるい風が額の汗を乾かしていき、心地よさに目を閉じた。
 赤司は手に持っていたドリンクボトルをこくりこくりと飲んでいる。首筋を流れる小さな汗が流れている。空になったボトルを地面に置いて、前髪を掻き上げた。

「……暑いな」
「緑間の髪の毛は涼しそうだな」
「まぁ、赤司の色に比べたら涼しいだろうね」

 体育館へと戻っていく部員たちが、珍しいものでも観るような目をして去っていく。確か二軍の選手だ。拭っても溢れてくる汗を、シャツの裾で拭った。晒された下腹部が涼しく、気持ちがいい。
 赤司はいつも紫原とセットでいるイメージが強い。緑間と灰崎はそれぞれその近くにいるか、一人で練習をしている。珍しく自分の隣に座っている赤司に、自分はなにかしただろうかと考える。これといって思い当たるフシはなく、やはりこいつはよくわからないなと改めて思った。
 カーマインの髪の毛がサラサラと風に揺れる光景は、ひどく神秘的だった。自分の髪のことはさておき、やはり美しい。赤司が「そういえば」と話を切り出した。

「緑間のお姉さんと話したよ」
「姉さんと?」
「そう、生徒会でな。俺は副委員長で、この間少し」

 髪と同じ瞳に捉えられ、緑間のカラダは少しだけこわばる。それすら見透かしたような彼は、くすりと笑った。中学生らしからぬ笑みに、また緑間は少しだけ緊張する。彼は子供であり、子供でない。大人ではないけれど、大人に近い。

「仲がいいんだな」
「そう、だな。いい方だと思うが」
「緑間……会長が、すごくお前を自慢気に話していた」

 その言葉にぱちりと瞼を動かし、照れた顔を隠すように眼鏡のブリッジを押た。第三者からそんなことを言われると思ってもいなかったので、「そうか」とそっけない切り返ししか出来ない自分はまだまだ子供だ。

「すごく綺麗な人だな。お前にも似ている」
「似ているか?」
「ああ、似てる」

 それはそうだ。だって、姉弟なのだか。わかってはいるのに、やはりその事実は鉛のように重く煩わしい。どすんと胸の中に居座ったままなかなか出ていってくれない感情の名前はなんだろう。姉のことが好きで好きでたまらないのに、“姉”のことを考えるとどうしようもなく苦しくなるのだ。
 ざぁざぁと木が揺れ、青々とした葉っぱが落ちた。赤司はそれをひょいと掴んでみせた。あまりにも簡単にやってみせるので、思わず「さすがだな」と言ってしまった。赤司はその葉っぱをひらひらと振って、息をふきかけた。押し出された葉は赤司の手をするりと離れ宙を舞った。

「羨ましいよ、あんな綺麗な人がお姉さんとは」

 地面に置いていたドリンクボトルを手に取り、赤司は腰を上げた。何もいうことが出来ず、ただじっとその横顔を眺めていた。通った鼻筋に形の良い唇。お前も“美人”だと行ってやろうか。そんなことを思っていると、赤司がくるりと顔を向け、笑った。

「羨ましい」

 それだけ言うと、赤司は歩き出す。汗が染み込んだ体操服をただ呆然と見ていると、先輩に「休憩が終わるぞ」と声を掛けられた。「今、行きます」。口から飛び出した声は凛として、澄んだ空気によく通った。目に焼き付いた彼の笑顔が、はやく消えてしまえと考えながら、すっかり汗の引いた自分の額を拭った。
 やっぱり赤司は、なにを考えているのかわからない。ぬるい風からはすっかり夏の匂いがした。

13.02.11