目を覚ませばあなたがいる | ナノ

 生徒会の副会長になった少年について、私が少しだけ説明をしよう。中学一年にして“天才”の名をほしいままにしているバスケ部のキャプテンであり、緑間真太郎――つまり私の弟――のチームメイトである。「副委員長への立候補はいませんか」という私の言葉に、静かに、綺麗な左手を上げた彼のことは、数ヶ月たった今でも鮮明に思い出せるほど美しい姿だった。
 ああ、彼は神に愛された少年なのだと、そのとき感じ、脳にピリリと痛みが走った。それは弟である真太郎を見ているときにたまに感じる痛みと同じだった。彼の鮮やかな赤色が、網膜を焼きつくす気さえした。「お名前を」。私の言葉に彼が口角をあげてふわりと笑った。まるで洋画にでも出てきそうなオーラを纏った少年は、まだ幼さの残る声で言う。「赤司征十郎です」。名前まで美しいなんて。私はちょっとだけ笑って、「よろしく」と言った。神に愛された少年は、私の瞳を見て小さく笑った。



 成長期を終え、楓の身体は女性へと変化を続けている。変わったことがいくつかあるが、それは父親の面影が薄れてきたことだろうと、楓は思った。長い睫毛や鼻の高さはもちろん父親譲りだが、どことなく丸みを帯びてきた身体やしゅっとした首元などは、やはり柊二というよりは小百合に近い。女子トイレの全身鏡でくるりと一回転しながら自分の身体を確認して、やはり自分は女であると確認する。そしてどんどん、彼と、真太郎と離れていくことも感じた。
 生徒会室へ入ると、そこにはすでに副会長である赤司征十郎が椅子に腰掛けて窓の外を眺めていた。楓に気がついた赤司が、ふんわりと口角を持ち上げた。

「お疲れ様です」
「お疲れ様です。部活が忙しいなら、そっちを優先しても大丈夫だよ」
「いえ、平気ですよ」

 彼はまた窓の外に視線を投げた。楓は生徒会長が座る、すこし大きな椅子に腰掛けた。引き出しから生徒会のクリアファイルを取り出して、会議資料を机の上に広げた。赤司は頬杖をついて、楓の顔を凝視する。「なにか?」。その問いかけに、赤司が「いえ、」と言葉を少しだけ濁した。それから先程のように綺麗な笑みを浮かべ、頬杖を崩し楓を真正面から捉えた。嫌な目付きだと、楓は思った。挑発的なソレは、あまり馴染みのないものだからだ。赤司は「緑間先輩は、」と言って、一度口をつぐみ、もう一度訂正の言葉を述べるために口を開く。

「会長は、緑間真太郎くんの姉と聞いたのですが」
「……ええ、まぁ、そうね」

 真太郎から、赤司のことは少しだけ聞いたことがあった。「勝てない」。悔しそうに言った真太郎を、楓は鮮明に覚えていた。強く、美しく、そして天才だと。彼が認めていたのだ。楓が肯定の言葉を述べると、赤司がにたりと笑った。挑発的であったその赤い目が、嬉しそうに揺れる。

「髪色、違うんですね」
「……私は母親に似たから」
「なるほど」
「真太郎は、父親そっくりよ。髪の毛も、眼も」
「確かに、綺麗な緑色だ」
「そうでしょう?」

 ふふ、と声を出して笑うと、赤司が少しだけ驚いた。目をわずかに見開き、そして楓の顔をじっとみた。そして、「緑間先輩」と楓を呼ぶ。その瞬間、彼女の口元がピクリと動いたのを赤司は見逃さなかった。

「緑間先輩、と、あまり呼ばれたくないんですか?」
「……どうしてそう思ったの?」
「言うとあなたは、少しだけ顔をひきつらせる。悲しそうに目を伏せる」

 何故? その問いかけを赤司がすることはなかった。よくあることだ。親のことが嫌いだと嫌悪し、自分の苗字が嫌になることなんて、思春期にはよくあること。しかし彼女はきっと違う。

「緑間が、嫌いですか」
「……親も、弟も、愛しているわ」

 その答えに、赤司はなにも言えなくなる。彼女がふんわりと笑い、しっかりと赤司の目を見たからだ。言葉に詰まる赤司に「でも、」と楓が続けた。窓から差し込む光が彼女の顔を隠す。赤司は少しだけ目を細めた、彼女を見た。

「でも、……弟は、特別愛してるわよ」

 無表情で淡々と、いつもより低い声で告げられた愛の告白は、赤司の心臓を締め付けた。目元をほころばせたそんな慈しむような表情からは想像も出来ないほど温度のない、諦めや後悔が滲んだ声だった。窓の外の木が大きく揺れた。ざあざあと嘆く風に揺れ、木も泣いているようだった。赤司は言う。

「悲しくはないのか」

 ひどく失礼で、残酷な質問を投げかけているという自覚はあった。けれど彼もまだ中学一年生の少年で、愛などはわかることのない幼い子供だった。二つだけ年上の少女は、大人の輪郭を見せて言う。赤司は小さく息を飲んだ。カラカラと乾いた喉がピリリと痛み、不快感に顔を歪ませた。窓から降り注いでいた光は途絶え、窓の外の青い空は、いつのまには灰色になっていた。楓は言う。小さく、囁くように。赤司にだけ教える秘密のように、小さく。

「幸せよ。すごく、すごくね」

13.02.11