お話 | ナノ

 青々しい葉っぱが窓ガラスを叩いて落ちていく。ひらりと舞った一枚の葉っぱ。耳に入ってくるのはやけに眠気を誘う女性の柔らかな英文と、それを繰り返す生徒の声。英語が一番キライだ。意味はわからないしつまらない。というか、わからないからつまらないんだ。そしてわたしには理解しようとする気力もなかった。窓の外では激しい風が吹いている。大きな桜の木がしなっていた。くすくすと人の笑い声が聞こえ、もう寝ようかと考えていたとき目の前に座る男が振り向いた。すこし楽しそうな笑みに、こっちも自然と顔が緩くなる。

「なに」

 尋ねると、田島は四つに折りたたんだルーズリーフを机に投げた。ぴょいとわたしのテリトリーに忍び込んだそれを見ろ、と目で言われ、わたしは一度教師の顔色を伺ってからそれを開く。

「上手く描けた」

 自信満々の声に似合わない絵が描いてありあり、ご丁寧にも名前もきちんと書いてある。

「これはひどいよ」
「嘘だろ!? まじでそっくりに描けたと思ったんだけど」
「強いて言うなら、もうちょっと目付き悪い」
「ひっでえー」

 いつもよりひっそりとした声だけど、授業中にしては少し大きめな声に教師はちらりとわたしと田島を一瞥した。けれど彼の笑みは消えない。同級生の似顔絵に夢中になっている。身体を半分こちらに向けて座ると、消しゴムで目を消し、もう一度描き始めた。自分の机で書けよな、と思っても言わないのは、なんだか寂しいとも思うからだ。彼が前を向いてしまうのが。
 英文を読み終わったコンポが、明日の範囲を読み始めて慌てて止める先生の姿を見ながら肩の力を抜いた。左の友人を見れば、彼女はペンを握ったまま寝ている。まるで真面目に授業を受けているかのような、一番セコい寝方だ。彼女の十八番でもある。そしていつもしゃべりながら真面目にノートを取っているわたしに見せてくれとせがむんだ。ずるいなぁと思っていると、田島が「どうよ」とまた自慢気が声を出す。

「あー、うん、まぁそこそこ特徴は捉えてるかな」
「なんだよーその言い方」
「確実に先週より絵はうまくなってるよ」
「だろ!? 俺もそう思ってたんだよ」

 扱いやすいというか、単純というか。すこし赤い頬があどけなくて、とても愛らしく思えた。

「日焼けしたね。前はもうちょっと白くなったのに」
「まぁ、朝からずーっと外いるしな」
「高校球児の夏は大変だね」

 彼は笑いながら、何も言わなかった。半分だけ向いていた身体はそのまま、椅子の背もたれに肘を置いて黒板を見る。うなじを触る彼の左手がごつごつと骨ばっているのを凝視しながら、男であることを思い知る。心が落ち着かない。寝ている人も、しゃべってる人も、こっそり音楽を聞いている人もいるこの教室の人間に、見透かされているような気分になるからだ。田島への気持ちが気づかれているんじゃないかと、変なことばかりが頭のなかに浮かんでしまう。そんなことあるわけないのに。
 そわりとした自分を隠すように、彼のルーズリーフにシャーペンを走らせる。HBの芯は、うっすらと跡を残す。浮かんだフレーズを頭のなかで再生しながら、好きなアーティストが歌う歌詞を書いていく。
 振り向いた田島が、誰の歌? と小さな声で聞いた。

「教えてあげない」
「なんだよそれ」

 だって田島は知らないから。この人達が歌う片思いの歌で、わたしが毎晩泣いていることも、こうなったらいいなと想像しながら笑ってしまうことも、全然まったく知らないから。

「秘密だよ」

 ついっと飛び出た唇と、「ちぇ」という小さな子どもみたいな声に笑う。こんな風に、何気なくしゃべってるくせに、いつか田島とキスしてみたいなんて思ってるんだよ。その薄い上唇は一体どんな感触なんだろうかと考えて、わたしはノートの隅にハートマークを残した。田島には野球しか見えてないってわかってるくせにどうしても告白してほしい、なんて、わたしはどこまでもワガママな女だよね。

13.05.30