お話 | ナノ

 完全防水だけど、長時間水の中に潜っているのはダメ。シャワーくらいなら問題ない。だから人間とほとんど同じように生活は出来る。ほとんど。パソコンに向かいながら私の質問に一個一個答えてくれる彼に「じゃあ海に行こう」と言えば、タイプしていた手がゆっくりと止まる。

「はぁ?」

 口をぽかんと開けて眉間に皺を寄せる彼は、本当に、人間らしい表情をしていた。にやりと笑えば、彼は至極面倒そうな顔で「君ってほんと意味わかんない」と毒を吐かれた。




゜。



 海だ―! おもいっきり叫んだら、後ろの方から小言が飛んでくる。ショートパンツにクロックスを履いて、藍のデザインしたTシャツを着て。潮風が髪に絡まっていく。帰るころにはギシギシになっているんだろうな。
 作りかけのメロディーを鼻で歌えば、藍はなにも言わずに隣に並んだ。ざざ、と波が打ち寄せて、白い泡が消えていった。どこか懐かしそうな表情で地平線を見る彼の横顔は、とても、とても綺麗で儚い。手を伸ばして触れれば、そこには確かな体温があった。

「なに?」
「べつになんでもないよ」

 ぱっと手を離して、その手をクロックスにかけた。すぽんと足を抜いて、地面に置いた。

「ちょっと、まさか入るの?」
「え、ここまで来て入らないとかありえない」

 どうか考えても入るでしょうと両手を広げてみるけれど、彼はむすっとしたまま動かない。彼の革靴は砂浜にはとても不釣り合いで、けれどそれが好きだなぁと思う。わたしの言葉を一番に優先してくれることも、今だって、タオルを持ってきてないとかそういうことを考えているんだ。けれどわたしは入りたい。海に。

「しょうがないな」

 ほら、ね。
 誰にでもなくつぶやいた言葉は、潮風に乗って彼の頬を撫でる。少しだけ上がった口角も、優しさの滲んだ目尻も、彼が人間じゃないなんて、思わせない。彼は心のある機械で、終わりの見えない人間だった。そしてわたしは心のある人間で、ただ歌を作るだけの機械みたいなもんだ。
 透明な海水が砂の上を走っては逃げていく。白い泡を追いかけるように海に足を入れれば、彼は小さくため息を吐いて革靴を脱ぎ、わたしの選んだキャラクター靴下をそこに置いた。真っ白な皮膚に覆われた彼の足。ゆっくりと近づいて、ちゃぽんと音を立てて水に沈む。
 誘ったのはわたしだし、確認もとったのに、それでも少しだけ不安だった。

「もうすぐ夏だね〜」
「まだ梅雨も来てないけど」
「むしろ今が夏みたいなところあるよね」
「ないよ、全然ない」

 膝丈で揺れるスカートを少しだけ持ち上げて進むと、ジーンズをまくっただけの藍が「行き過ぎないでよ」と止めに入る。振り返ると、そこには目を細めわたしを見ている藍がいた。つま先で砂を掴んで、離して、波に乗る。ざわざわと耳に優しい波音に、どうしようもない幸福感が湧いてくる。藍は左足で波を蹴ると、とても楽しそうな表情で微笑んだ。

「まだ冷たいね」

 その言葉に、私は頷いた。春の海は冷たくて、冷たくて、少しだけぬるかった。

13.05.26
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