お話 | ナノ

 間抜けと取るか、色っぽいと取るかは人それぞれだろう。一個旅団並みの戦力があると、羨望され畏れられる兵士長はズボンは履いていない。生々しい傷口を曝け出したまま、硬いソファーに重い体を沈め動かない。自由の翼が描かれたジャケットは、無造作にテーブルに置かれていた。床に放らないあたりが、かろうじて彼らしさを出していた。
 捧げたはずの心臓は確かに私の胸にあって、それは生きるために動いている。だから血が流れる。けれどこれは私の血ではなく、人類の血。リヴァイ兵長に流れる血は、私よりもっと重いだろう。引き出しの中から取り出した真っ白な包帯と留め具を持って、天井を睨みつける彼の足元に跪いた。空気はしっとりと濡れているようだった。頬に張り付いた横髪を耳にかけて、ゆっくりと息を吐いた。

「巻きますよ」

 返事はなかったが、彼はゆっくりと上半身を背もたれから起こし私を見た。地面についた膝に迷いなく足を乗せ、視線で指示を出す。会議のために本部へ来たが、あまりリヴァイを歩かせるのは良くないだろうとエルヴィン団長が一人で向かった。
 白い巻物をするするとほどいていき、彼のかっちりとした膝に巻きつける。怪我なんて珍しい。切り傷や打撲はあるが、ここまで大きな傷は久しぶりだ。私が彼と外に出ているときに一度見たことがあるくらいだ。そのときも、巨人から仲間を助けたときだった。終りの部分を金具で止める。銀色がきらりと光った。

「きつくないですか」
「ああ」

 膝の上から彼の足がどかされ、少しだけ軽くなる。ギシ、とソファーが軋み彼の頭は背もたれに乗せられる。さっきと変わらず天井を睨みつける彼の表情は見えないけれど、いつもより疲れきった、暗い顔をしているのだということはわかった。原因などありすぎて、どれが彼の頭にこびりついているのかはわからないけど。跪いたまま彼を見上げる。首から顎にかけてのラインを見つめていると、チッと舌を鳴らされる。

「うぜぇ」
「それは、まぁ、すみません」

 くっと首が曲がり、殺気のこもった目が向けられる。不思議と怖くはなかった。
 色んなことが立て続けにあれば、リヴァイ兵長とはいえ精神的に疲れるのだろう。可愛がっていた部下たちの死を、彼はまた背負う。誰ひとり彼に守ってほしいなんて考えていない。自分の足で立ち向かい、自分の足で帰るという意志がある。けれど兵長は違う。一人でも多くの人間を連れて帰りたいのだ。守ってやれなかったことを悔いている。
 私には理解できない。“生きて”といわれることが、どれほどの枷になっているのか。“あなたが守っていれば”という言葉は、どれほどの傷を作っているのか。

「兵長」

 人類に捧げた心臓が止まるとき、兵士は皆彼に心臓を託す。どうか生きてほしい、自分の分まで人類の進撃を、と。

「今日はコーヒーにしましょう」

 もっとうまくミカサ・アッカーマンを助けることが出来たかもしれない。彼が部下の死を見ていなければ。立ち上がると、兵長も畳んでおいたズボンを手にとってソファーから腰を浮かす。
 紅茶を淹れるのはわたしではない。味を比べられるなんて、そんな不毛なこと兵長はしないとわかっていても、どうしても嫌だった。わたしが思い出すからだ。味も、匂いも、顔も。泣くよりもひどい顔を晒すことになる。

「お前が淹れたのクソ不味いんだよ」
「すみません、不器用なんで」

 私もいつか巨人に殺される日がくる。足を折られ、頭を割られ、巨人の胃袋で溶かされる。そうしてぐちゃぐちゃになり、私だと判断がされなくなったら吐き出される。それが理想だ。いや、生きるという意志はある。壁の外を見るという、目的がある。
 けれど死ぬなら、そうやって死にたい。
 二本の足がしっかりと地を踏み、ゆっくりと歩き出す。ドクンと脈打つ心臓が、規則正しいリズムで動き出す。生きている。心臓はここで動き、自分の足で歩き、自分の意志でここにいる。だから私は最後まで自分で生きるんだ。兵長に心臓なんか託してなるものか。鼻から吸い込んだ湿っぽい空気はクソまずくて耐えられないけれど、彼らの血の香りがついた北風なんかより新鮮な気がした。

13.05.18