お話 | ナノ

 行きたくなったら行けばいい。そう言って背中を押すでもなく引くでもなく隣に座ってくれた彼女に「今日は部活に行く」と言えば、ふふっと鼻で笑って「あっそ」と俺の背中を叩いた。今度は押された。一歩前に進むと、後ろからいってらっしゃい、といつもより高い声で送り出された。きっとあいつには、“今日は”じゃなくて“今日から”だということも、バレバレなんだと思うと、少しだけ悔しかった。
 関係性を言葉にするなら、友情と愛情のちょうど半分くらいの位置。勇気のない俺は自分の気持ちを言葉にすることもできない。素直でもない。さつきからは「いい加減にしなよ」と母親じみた説教までされる始末。お前はテツにあんだけ言ってるんだからそりゃあ怖いもんなんかねぇだろうよ、とバカにすればそこから一時間あいつのどこがステキだ、かっこいい、だの熱弁し始めるのだからたちが悪い。めんどくさい。中身の無いメールを送るのにかかる時間はひとつにつき五分。送れなかったメールのが多い。そんな自分に嫌気がするが、こればっかりはどうすることもできないのも、また事実で。
 やかましい新主将の声と良の叫び声を聞きながら、新しくかったバッシュの紐を結ぶ。ちらりと視線を寄越しては耳打ちしあう一軍の連中は無視だ。かまっている余裕はない。ボールが跳ねる音も、掛け声も、すべてが懐かしかった。こんな気持ちに戻れるなんて、思ってもなかった。

「大ちゃーん」

 独特の愛称に振り向けば、髪の毛を高い位置でくくりそれをしっぽのように振っている幼馴染が楽しそうに俺を見ていた。その髪型AVで見たなぁと最近みたばかりの映像を思い出しながら「おー」と返事をする。

「久しぶりの練習だから、大ちゃんはまずこのメニューね」
「はぁ? 別に同じでいいだろ」
「ダメだよ。前までアップくらいしか参加してないじゃない」

 眉間に皺を寄せて紙を突きつけられ、ああだこうだと指示をされる。なんだか本当に俺の母親に似てきた気がする。というかさつきの母ちゃんもこんな感じだったな。

「あと十分で部活始まるからちゃんと読んどいてよ!」
「うっせーなわかってるよ」

 エナメルバッグの中を漁りながらシッシと手を振れば、さつきは文句を言いつつ監督と顧問のところへと走っていった。遠くから良の「スミマセン!」が聞こえて、なんやかんや声でけえなと驚く。制汗剤とスクイズボトルとタオル。あと、黒いリストバンド。もう使わないかもしれないと思いつつ捨てられなかったバスケットの道具は、まるで今までもそうであったかのようにきちんと存在していた。懐かしくて、少しだけ胸が痛んだ。
 ヴヴヴ、とバッグが震える。
 液晶画面に光がついて、文字が映し出された。メール一件。差出人は名前。底に沈んでいた携帯を手にとって、周りから見えないようにバッグの中でメールを開いた。

“頑張って。こんど練習見に行く。俊敏に動く青峰楽しみ。”

 あいかわらず飾り気の無いメール。もう少し女子力というものを高めろよな、と思いつつ、表情の筋肉は緩んでいく。これが男子高校生か、とわけのわからない思考回路を突き進む。
 まだ中学のとき、黄瀬やテツに言われたことがある。俺のバスケは、男でも惚れ惚れするくらいだと。そのときはどうでもよかったけれど、今は違う。名前が俺のバスケを見て、少しでも、惹かれてくれればいい。一瞬でもいい。
 体育館の二階に立って俺を見下ろす名前が、「すごいじゃん」と笑う姿を想像する。カッと身体の体温が上がり、手に汗が滲んだ。画面の上に指を滑らせ、返事を送る。

“惚れるなよ”

 本心と真逆のことを書いて送信ボタンを押すと同時に監督が笛を鳴らした。膝を伸ばして立ち上がり、天井を見上げる。大きく深呼吸をして、コートに足を入れた。ここは俺を待ってくれていたような、そんな気がした。

13.05.14 / 青に染まったアスファルト