お話 | ナノ

 身体がリズムを覚えている。あの高揚感も、緊張感も、劣等感も、すべてが混ぜこぜになり心臓が張り裂けそうなあの瞬間も、目の前で笑う彼の顔も。頭のなかで流れ始めるメロディは、まるで本当に聞こえているかのように鮮明で、わたしはそれが苦しい。いつになったらぼやけるだろう、この光景は。

「またブサイクな顔してんな、お前は」

 嫌味と共に飛んできた手のひらは、がっしりと頭を掴んで上へと引っ張った。首がぐんと伸びて、思わず息が詰まる。

「ちょ、せんごくさん、わたし女」
「そうは思えないほどブサイクだったぞ」
「ブサイクなの、は、いつもです」
「そうだったな」

 ぱっと手を離され、止まっていた呼吸が動き出す。本当に死ぬかと思った。受け付けカウンターに座る私を立ったままじいっと見つめると、彼はそのままヘルメットをカウンターに置いてわたしの隣の椅子を引いた。そしてどかりと、腰を下ろす。仙石さんと並ぶと、自分がより小さく見えるんだろうなぁと、ぼんやりそんなことを思った。ワルツを楽しそうに踊るたたらくんを見ながら、つま先で床を叩いた。ヘルメットが蛍光灯の光を反射する。

「踊りたそうだな」
「……仙石さんには、そう見えますか」
「誰から見てもだよ」

 右足首と膝に、ガチガチに巻かれたテーピングを思い出す。わたしはもういい。もうコリゴリだ、と、思っていた。それでもわたしは教室に通うことは辞められなくて、ついでに言えばドレスだって捨てられない。大学生活すべてをかけてもいいと思えたダンスへの執着は、怪我という怪物のせいですっかり消え失せていた。たたらくんが、ここに来るまでは。

「彼を見ていると、踊りたくなりますよね」
「そうかぁ?」
「仙石さんだった、天平杯のたたらくんとまこちゃんの最後のクイック見て、すごく踊りたそうな顔してたじゃないですか」
「……おっまえ、可愛くねぇなー」

 苦虫を噛み潰したような表情でカウンター肘をつくと、手のひらに顎を乗せた。仙石さんの視線は、まっすぐたたらくんに向けられている。どうして仙石さんはここに座ったのかを考えていると、彼のつま先がトントン、とリズミカルに動きはじめた。クイックのリズム。思い出しているのだろうか、あの天平杯のことを。

「もし、怪我してなかったと、するじゃないですか」
「ん? お前が?」
「そうです。もしまたフロアに立てるなら、わたしはたたらくんとパートナーになりたかったです」

 以前組んでいたパートナーが嫌いになったわけじゃない。今でも好きだし、感謝もしてる。だけど、それとは違う感情を、たたらくんにはいだいてしまう。一緒に勝ちたい、踊りたい、楽しみたい。そんな風に思うことが、わたしはまだ出来るのに、もうフロアに立つこともできないなんて、信じられなかった。心はまだ踊っている。くるくると笑いながら、花が咲くように。綺麗なドレスを着て、太陽が眠り月が目を覚ますまで、踊り続けている。
 仙石さんはわたしの目を見ると、わずかに驚いたような表情をした。長く鍛えられた腕が、わたしの首に周りぐっと引き寄せられた。とん、とおでこに触れた彼の肩は、じんわりと暖かい。こども体温、と笑う余裕はなかった。

「妬けるな」

 その言葉が妙に優しくて。頭を包み手のひらが優しくて。
 踊りたい、という気持ちだけが存在していた。熱くなった瞼からこぼれたわたしの一部は、もう踊れない足に落ちてじんわりとシミを作った。わたしはここから、きっと、永遠に動けない。
 
13.05.10