お話 | ナノ
昼は眠り、夜が目を覚ます。空は青からオレンジ、そして濃紺へと移り変わる。 「花井ってさ」栄口が神妙な顔をして歩く。わたしはその隣で、どんな顔をしようか考える。いまさらそんなことを言われても、わたしはきっと驚けないし、また傷を作るだけなんだ。コンビニでかったパピコを割りながら、泉と田島がバカみたいに騒いでいて、その隣で三橋は魚のように口をパクパクと動かし阿部と会話を試みている。優柔不断の花井は、まだじゃがバター味かチーズ味かで悩んでいるのだろう。
「栄口さぁ」
続くはずの言葉を止めた。無理やり割った。
「最近隣のクラスのミキちゃんと良い感じらしいじゃん」
もういいでしょ。わかってるよ。花井より、栄口より、わたしが誰よりもこの世界をわかっている気がした。すべてが見えている気がした。それはわたしが主人公でも、登場人物でもない、部外者だからだ。当人たちよりも、外からみたほうがよく見える。わかる。わかってしまう。 栄口はわたしの言葉に顔全体を赤く染めて「え、あ、そ、」と言葉になってない音ばかりを口にした。
「最近調子いいのもミキちゃんのおかげかなー」 「それとこれとは別だよ!」 「はいはーい」
それはそれ。これはこれ。言い訳を口にする栄口を片手であしらって、自動ドアから出てきた花井の手を見れば、お茶とじゃがバター味のお菓子がぶらさがっていた。ほら、やっぱりね。という囁きに、栄口は気が付かない。
いつかは消えると思っていた。杞憂であれと願った。もしかして、というわたしの中で作られた仮説が真実に姿を変えたのは、そんな可哀想な願いを唱えたすぐあとだった。千代の手伝いで合宿の間だけ野球部のマネージャーをやっていたら、いつしかそれが日常になったように、あっさりとひっくり返った仮説は、便利なナイフでわたしの心をズタズタに引き裂いた。
「またじゃがバタにしたの」
わたしのことばに振り返った坊主頭は、小さく頷いて「やっぱこれが一番だよな」と聞き慣れたセリフを言った。 栄口と花井に挟まれるように歩き、ペットボトルのキャップを捻りながらふたりの会話に耳をすませる。野球の話をしているのかと思えば、いきなりどこぞの女子の話になる。バリバリと菓子を食べる音と聞き取りやすい花井の声に、すこし高い栄口の声。後ろからは阿倍の怒鳴り声が聞こえてくるから、きっと三橋くんが何かしたんだろう。千代ちゃんと水谷がネコの画像を見せ合って和んでいる姿はまるで女子高生の集いだ。あそこだけマイナスイオンが出ているかもしれない。
「花井は好きな人とかいないの?」 「ぶっ、」 「ぎゃあ、汚い」
栄口のイマドキの男子高校生らしい話題提供に、そういうことに疎い花井は勢い良くお茶を吹き出した。逃げるように栄口のほうへ身体を寄せると、「なんだよいきなり!」と眉間に皺を寄せてわたしたちを睨む。後ろからも「花井きたねー」などと笑う声が聞こえてくる。通行人が他にいなくて本当によかった。あれやこれやと言葉を付け足す栄口の隣を歩きながら、なんだか居心地の悪さを感じていると、花井はため息を吐いてしっかりと前を見据えた。
「今は野球だけでそんな余裕ねーよ」
言い切った花井に対して、栄口はなんとも中途半端な表情で「そっか」と言った。わたしはそんな二人の会話に参加することも出来ず、ただペットボトルの蓋をいじっていた。そうしていないとダメだ。耐えられない。いつもの調子を取り戻した花井の横顔からはなにも読み取れないけれど、ああそっか、と、妙に納得してしまう。そんな顔をするようになっちゃったんだね。
「モモカンの夢も背負ってるしね」
わたしはそこにいないんだよね。君の頭のなかに、存在していないんでしょ。 踵に体重をのせてくるりと回る。花井が「おい」とわたしを呼び止めるよりもさきに足を動かした。「名前」田島がわたしを呼ぶ。花井の顔を見たくない。どんな顔をしているのか、想像することは簡単だ。 優勝することが一番のプレゼントになるだろう。教え子に裏切られるよりも、夢を叶えてあげる事のほうが彼女は何十倍も喜ぶはずだ。花井は気づいていない。自分の思いにも、私の気持ちにも、興味がないのかな。 そうなんだ。 心の中で呟いてみたら、なんだかとても悲しかった。彼はやっぱり、恋をしている。
13.04.29
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