お話 | ナノ

 拝啓 黒子先生、お元気でしょうか。私は変わらず、忙しい毎日に託けて勉強を疎かにし、いつも通りアルバイトに励んでおります。最近は花粉症という不治の病に侵され、鼻水、咳、くしゃみ、それから目の痒みと共に生きています。先生はきっと花粉症ではないのでしょう。あなたが鼻にティッシュを詰めている姿など想像もできません。私はバイトがない日は朝から晩までずっと鼻にティッシュを詰めています。この病は治らないと聞き、とても絶望しています。

 春は好きですが、同時にとても、とても嫌いでもあります。理由のひとつは、先ほど書いたように私が昨年の春から花粉症になったからです。前まではこんな苦しい思いをしなかったのに、春というのはとても残酷です。私はなにも悪いことをしていないのに、なぜこんなにも苦しまなければならないのでしょう。いつこの苦しみから開放されるのでしょう。私は今も鼻にティッシュを詰め、机に向かいこの手紙を書いています。手紙が汚れないための最善策です。ノックもせず部屋に侵入してきた母親に「ただの妖怪だわ」と侮辱されましたが、これもすべて花粉が悪いのであり、私の目が死んでいたことなどまったく、これっぽっちも悪くないのです。

 先生は、春が好きだと言っていましたね。もうずいぶん昔の話ですので、あなたは覚えていないかもしれません。
 先生と出会ったのは中学二年の夏でした。志望校を合格するために母が家庭教師として連れてきた先生を見たとき、なんて存在感のない人だろうと思いました。今の私があのときの私に会えるなら、その失礼極まりない横顔をグーパンしていることでしょう。一目で先生の魅力に気がつけるほど、過去の自分はできた女ではなかったのです。
 ですが、そのファーストインプレッションはすぐに払拭されました。教え方が丁寧で、クールに見えて情熱的。そんな先生に、私はどんどん惹かれていきました。中学三年の学年末考査で学年三十位内に入れたのは、今でもキセキだと思うのです。こたつの上で玉露茶を飲みながら暖かい春を待つ私に、赤ペンを滑らせながら先生は「春はいいですよね。僕、季節で一番春が好きなんです」と言ったのを、覚えていますか。とても優しい表情で、暖かな声で言われたその言葉に、私はゆるゆると落ちていったのです。先生に、とも言えますし、恋に、とも言えます。とにかく私は落ちたのです。あの日、あの瞬間、あの先生の横顔に。

 先生が好きな春を嫌いになった理由が、もうひとつあります。
 春は、先生と別れた季節だからです。高校へ入学する少し前、暖かな春の日。入学祝いとしてマジバでマジバフルーリーを奢ってもらいました。教えてよかったとか、自分のことのように嬉しいだとか、本当に喜んでもらい、すごく嬉しかったです。だから、高校を卒業するまでは、私は先生の生徒だと思うことにしました。私の高校生活は、あなたのおかげで成立しているからです。そしてそれも、もう終わりました。私は、私の中でしっかりと、黒子先生の生徒という関係を完結することができました。
 春は出会いの季節であり、別れの季節です。私は生徒としてではなく、あなたを好きな、ひとりの人間として、あなたにまた出会いにいきます。どうか待っていてください。  敬具

13.03.13