お話 | ナノ

 例えば。
 一言切り出すと、綺麗な指先でスマートフォンの画面を撫でていく。私はただそれを見ながら、これから行われるであろう白石の例え話に少々げんなりとする。
 彼はとても美しい人間だ。天は二物を与えずなんていうけれど、彼にはいろいろな物が与えられていた。まずはその美貌。その次に頭。そして外見に負けない優しい人柄。難癖をつけるのであれば、すこし危うい口癖くらいだろう。あれすらも魅力だとクラスメイトが言っているが、許されているのは白石だからで、あれを謙也が言ったら殴られるどころの話ではない。財前のあの毒舌が許されているのも、彼のあの外見があるからだ。白石の横顔は、いつみても綺麗で、飽きない。

「例えば俺が、家の鍵をなくしたとする」

 彼の話はいつも唐突で、いつも例えば、ですまない。私は知っているのだ。

「そうしたらお前、どうする?」

 私は人差し指に引っ掛けていた白石の鍵をくるくると回す。ちゃりちゃりとした金属音を聞きながら、「ここにあるんだけど」と言う。東京の有名なテーマパークで買ったとみられるストラップには、Kというイニシャルが付いている。白石はソファにスマートフォンを置くと、チャンネルを変えた。7回表、日本が負けている。

「例えばやって」
「……例えばね」
「俺が鍵なくしたら、どうする?」
「……うちに泊まっていけば、とか言うんじゃない」

 ヤカンが鳴った。
 鍵をローテーブルに投げ捨ててキッチンへと向かい、火にかけていたヤカンを持ち上げた。中でじゅわじゅわと沸騰している音がする。火を消して用意していたマグにお湯を注ぎ、中に入れておいたティーパックをゆらゆらとゆすった。ダージリンの香りが、気持ちを落ち着けてくれるような、そんな気がしたのだ。お揃いでも何でもない、柄も色も形も違うマグカップを両手に持ち、ひとつを白石の前に置いた。親戚の姉からもらった水色の、たしかどこかのブランドのマグカップでも、白石には似合ってしまう。
 お互いに大人と呼ばれる年齢になって、お互い違うところで暮らしている。私の家には、白石の物がいくつか置かれている。彼が来るたびに置いて行く雑誌だったり、薬だったり、漫画だったりそれは様々だ。
 ごくりと上下する喉仏。日本の誰かがヒットを打つ。私が質問を投げる。

「さっきまでここにあった鍵は」

 白石はにこりとバッドを振り回した。

「さぁ、どこいったんやろ」

 ホームランだ。私の投げた質問は遠くへ飛ばされた。
 置かれたマグカップからゆらゆらと湯気が立ち上り、隣に座った白石が「おおー」とテレビの画面から視線を外さない。ローテーブルに置いた鍵がなくなり、私の私物だけがそこにいた。爪切りとマニキュア、どこのかわからないスタンプカードの山。ソファの上で膝を抱えた。日本勝つやろか、なんてどうでもいいことに頭を悩ませている白石に、何も言えない。
 この間はなんて例え話だっただろう。そんなこと、忘れてしまった。きっかけなんて大切ではない。大切なのは結果だ。そこにいたるまでの汚い思惑も体裁もどうでもいい。私たちはいつでもハッピーエンドを望みながら、そこから遠ざかってばかりいる。騙されたふりをして、本当は騙されるのを待っている。彼の家の鍵だって、きっと明日になったら“見つかる”のだ。滞りなく、支障もなく。

「泊まってええ?」

 君の求める答えはなんだろう。私の求める質問は?
 まるで魚の骨でも刺さったように、喉の奥が痛む。いいよ、と小さく頷けば、白石は楽しそうにお礼を言った。彼に似合うだけの有終の美を、私は用意出来ていないから、いつまでもずるずると、汚く美しい関係を続けている。

13.03.11