お話 | ナノ

 突然のプレゼントに驚いていた真太郎は、その中身を見て驚きを呆れへと変えた。まあるく見開かれた目には、私が彼につきつけているプレゼントであり、嫌がらせであり、現実であるそれが映し出されている。彼は現実から目を背けたくて仕方がないらしく、眼鏡のブリッジをこの短時間で二回も押し上げた。
 高校時代に出会い紆余曲折を経て交際へと実を結んだ私達の恋はもう一年以上実ったままで、それは朽ちていくことなく、日々赤く大きくなっているのはわかっているし、彼の相棒である高尾には嫌味まで言われる始末だ。ごうごうと音を立てる部屋のエアコンの音だけがこの部屋で唯一息をしているかのようだった。それくらい、彼も私も口を開かなかった。彼がなにも言わないなら、と小さく口を開けば、真太郎は慌ててストップをかけた。私と彼の間に、テーピングを巻いた左手が「止まれ」を示す。その左手を忌々しそうに見つめると、彼はもう一度眼鏡のブリッジを押し上げた。

「俺に拒否権は?」
「ないよ?」
「意味がわからないのだよ……」
「せっかく買ったんだよ?」
「頼んでないだろう」

 呆れと後悔が滲んだ表情だ。もう逃げられないことをわかっているのだ。ぐっと眉間に力を入れ私を見る真太郎に、私は手に持っているプレゼントのボクサーパンツをひらりと揺らした。

「履いてみてよ」

 変態だねぇ、という高尾の声が聞こえた。まぁ幻聴だけど。
 このボクサーパンツは、とても可愛らしいもので、黒地に大きなしろくまが描かれている。そして、その白クマのまわりには赤と白のスペードが散りばめられているデザインで、とても私の好みだった。ネットで見つけた瞬間に、これを真太郎に履かせないわけにはいかないと、妙な使命感に駆られた。前に2匹、後ろに1匹。2匹の白クマに見つめられ、真太郎は身動きが取れなくなっていた。私はパンツを彼の左手に握らせる。テーピングを施した指が、ゆっくりと、彼の意識とは関係なく動いていく。彼の手とパンツを両手で包み込みながら、私は口角を釣り上げた。

「ねぇ、今、ここで、履いてみせてよ」

 二度目のセリフに、彼はぽきりと折れた。反撃の余地はないと気がついたのだろう。賢い。私は絶対に折れない。もし「嫌だ」と言われていたらきっと襲い掛かりパンツを脱がせていただろう。
 ボクサーパンツをひったくりソファから立ち上がる。「そこから動くな、後ろを向け」と二つの命令をされ、私は「お安いご用」と頷いておいた。彼はきっと、着替えている最中に振り向くことなど考えてもいないのだ。そんなところが愛おしくて可愛いと、しみじみ思う。アホ可愛いというワードは彼のためだけに作られ、存在しているのかもしれない。というか、きっとそうだ。思考回路と脊髄がとろりと溶けていくような感覚が、どうにも心地よかった。興奮している証拠。大人しく彼に背を向けて、ベルトのバックルが外れる音を聞く。身体の隅々まで見ている関係だというのに、なぜそうも恥ずかしがるのか。大きなため息を吐く真太郎に反して私のテンションはひたすらに上がっていく。
 ごめんね真太郎、と心中で謝りながら首を曲げて振り向くと、そこには今、まさに履き替えている最中の彼の後ろ姿があった。履いていたパンツを足から抜き取り、プレゼントされたそれに足を通す。言いようのない満足感が、ふつふつと湧いてくる。心臓の奥の奥が痛くてたまらない。ワイシャツとカーディガンを着ていた彼の上半身はそのままカチリとまとめられているのに、下半身には可愛らしい白クマの布一枚。振り向いた彼が、この世の終わりだと言わんばかりの表情をする。ああ、バレてしまった。彼は右手でぐしゃりと前髪をかき混ぜた。

「後ろを向けと……!!」
「まぁまぁ細かいことはいいじゃんか」
「細かくなどないのだよ!」
「はーい真ちゃんうるさい」

 ソファから腰を上げ、真太郎の手を掴む。ベッドに行こうしていることに気が付いたのか、彼は無言で腕を引いた。行きたくない、と目でうったえるけれど、そんなことは許さない。ぐい、と力強く引っ張れば、観念した様子の彼の足がゆっくりと動き出す。
 入学当時、まだ唯我独尊だった彼のワガママを聞いていたバスケ部員は、真太郎が私を振り回しているものだという認識だが、実際はその逆。私が笑顔で彼を振り回すのだ。高尾やキセキの友人たちにはそんなことはないのだが、彼はどうにも、私に甘い。自分にだけ弱い、というトクベツな態度に喜ばない“彼女”はいない。
 ベッドに寝るように言えば、彼はは渋々体格に見合うほどの大きなベッドに身体を横たえる。肘で上半身を起こし、馬乗りになる私の顔を見上げる彼の瞳には嫌悪の色で塗りつぶされている。そっと白クマを指でなぞると、彼の足が逃げるように動く。

「やっぱり可愛いね、この白クマパンツ」
「……良かったな」
「よく似合ってるよ」
「嬉しくないのだよ」

 吐き捨てるような言い方に思わず笑う。そんなに不機嫌にならなくてもいいのに、という一言に、彼は目をそらした。
 195cmを組み敷く、というのは一種の快感でもある。退かすことも突き飛ばすこともできるのに、彼はそれをしないのだから、愛されているのだと実感する。好きなデザートを買ってきてくれるところも、絶対に車道側を歩かせないところも、私が寝るまで寝ないところも。全部全部食べてしまいたいと思うほど、真太郎のことばかりを考えている。日がな一日、彼の生活を見ているだけで生きていける自信すらあるほど。
 ――白い肌も背骨の窪みも、パンツの色も。全て私だけが知ってればいい。

「んじゃまぁ、マーキングといきましょうか」
「は?」

 ギシリ、とベッドがきしみ、真太郎の口がうっすらと開く。ベッドサイドに置かれたエアコンのリモコンを手に取り設定温度を一度上げた。用済みになったリモコンを投げ捨て、重くないように気をつかいながら彼の太ももに腰を下ろす。

「教室で着替えたとき、パンツと背中が見えたんだってよ?」
「……は?」
「私たち、違うクラスだからさ。そういうの耐えられないっていうか、他の女子がそうやって騒いでるの腹立つし」
「……なんのことだ」

 口角がひくりと動いたのが自分でもわかった。彼は自分で結論を出したときに「なんのことだ」と言うクセがある。わかっているくせに、面倒事は嫌いだと遠回しに牽制するのだ。ボクサーパンツのゴムに指をかけ、引っ張る。持ち上がった布にぎょっと目を見開いた彼に、「わからないなら、わからないままでいいよ」とゴムを離す。パチンと小気味良い音がして、独占欲に塗れた汚い心が少しだけ明るくなる。

「とにかくさ、ヤらせてよ。マーキング」

 なんなら背中に私の名前でも書こうか。大きく、名前って。
 綺麗に割れた腹筋を撫でると、彼が小さく身じろいだ。ほんの少しでいいのだ。ほんの少し私のわがままに付き合ってもらえれば、それで満足できるはず。真太郎は小さくため息を吐いて「キスマークだけだぞ」と弱々しくつぶやいた。これではどっちが攻めだかわかりゃしない。

「仰せのままに」

 パンツを少しだけ下げると、彼の左手が私の頬へと伸びる。テーピングのざらつきも、今では気にならない。もう慣れてしまったし、それが彼の“手”と思うようにもなってきた。目尻を下げた真太郎に、首を傾げる。

「お前のモノだ。好きにしろ」 


  * * * * *


 いつも通り部活を終え、レギュラー陣で着替えをしているときだった。ハーフパンツを脱ぐことを躊躇っている緑間に気がついた高尾が、「どうしたの今日勝負パンツ?」とにこやかに茶化す。というか、いつもはすばやく着替える緑間がやたら脱ぐのを躊躇っているのが気になっていたようだ。にこやかに聞いてくる相棒に、系統はまったく違うが、こういうところが宮地に似てしまったなぁと卒業した先輩に思いを馳せた。高尾は何も言わない緑間を不審に思い、上半身裸のまま緑間へと近づく。

「え、なにそんな勝負パンツなの?」
「別にそういうわけじゃな……おい!?」

 背を向けていた緑間のハーフパンツをがっしりと掴み、そのまま下へと勢い良く下ろした。中学の時に流行った「ズボン下ろし」に、他のレギュラーたちが笑う。だが、現れたパンツにその笑いをピタリと止めた。緑間は、大きく舌打ちをする。しかし高尾だけはそんな緑間のパンツに腹を抱え地面に転がっている。相棒である彼からしたら、彼の舌打ちくらいなんてことはない。あとでお汁粉を買ってやればすぐに機嫌も直るのだ。緑間という男は案外単純な生き物だ。笑い転げている高尾の背中を緑間は足で蹴る。高尾はそれに痛いといいつつも、笑いを止めようとはしない。

「なにこのパンツ、白クマ!!」
「うっせーのだよ! いきなり脱がすな!」
「え、うっそでしょ、白クマ! いつもはもっとこう、ははっ、シンプルなやつじゃん! さすがにうけるわー笑うわー」
「やかましいのだよ!」
「こりゃ、人前で脱ぐの躊躇うわなー! ひー、やばい腹筋痛い。まじかよ真ちゃん、めっちゃ勝負してんなー」
「これのどこが勝負パンツだ、刺すぞ」
「宮地サンかよ! つーかこれどこで買ったわけ?」
「……知らん」
「いやいや、そういうのいいから! 俺も今度連れてってよ!」
「だから知らん! 名前から貰ったのだよ!」

 今までうるさかった高尾の笑い声がピタリと止まり、緑間以外の部員が「あ、やばい」という顔をした。非リアの恨みというものは大変恐ろしい。高尾はガバリと起き上がると、そのパンツに包まれた緑間の尻にビンタをした。バチン、といういい音がして、緑間の口からは小さくうめき声が漏れる。先程までのバカにしたような笑顔からかけ離れた、般若のよな形相。ただの八つ当たりなのは本人が一番わかっている。

「ノロケかよ!!」
「お前が聞いたんだろう!」
「あーくっそまじリア充腹立つわ! パイナップル投げつけてやりてぇ!」
「宮地さんか!」

 緑間の背後に立ちパンツのゴムに指を引っ掛ける高尾に、緑間は昨日の光景を思い出し思わず身体を硬くする。そんな緑間に気が付きもせず、高尾はぐいっとパンツを下ろそうとするが、その手は途中で止まる。ゴムで隠れた部分に散りばめられた真っ赤なキスマークの数々に、高尾は言葉を失った。ちらっと見えた背中には、真っ赤な爪あとも残っている。独占欲の塊だ、と、高尾は名前の顔を思い浮かべる。嘘でしょ、という小さなつぶやきは何に対するものだったのか検討もつかない。彼へなのか、彼女の独占欲へなのか、痛いくらい真っ赤なキスマークへなのか。

「お前は……いい加減にしろ!」

 頭上から降ってきた緑間のげんこつに、高尾は頭を抱えてもう一度床にうずくまる。じんじんと脳みそから背中へと伝う痛みに、今度は高尾が大きな舌打ちをした。他の部員は着替え終え、各々荷物をまとめ出している。

「いってぇな! 力強すぎんだけど!」
「バカにはそれくらいが丁度いいのだよ!」
「もっとバカになったら真ちゃんのせいだかんな!?」
「知ったこっちゃねーのだよ!」

 Tシャツに白クマパンツの男と、ハーフパンツに上半身裸の男が顔を付き合わせて喧嘩をする様に、レギュラー陣はもう何も言えず、「先帰るわー」と聞こえていないであろう別れの言葉を告げて次々にロッカールームを立ち去る。三匹の白クマだけが、可愛らしく緑間の尻に佇んでいた。

13.02.16
企画:服底の攻防さまに提出