お話 | ナノ


 手の持ったマグカップに息を吹きかけながら、彼は薄く笑った。

「たくさん心配も、迷惑もかけました。いつも彼女から動いてもらってばかりでしたから、」

 お揃いのマグカップは、数年前に二人で買ったものだ。私は、テツヤが大好きだった。

「今度はボクが、彼女を迎えに行きたいんです」

 嬉しかった。心の底から。彼が幸せになれるなら、なんでも良かった。私はそんな彼を真正面から見つめながら、頷いた。頑張って、と。たったその一言に、また彼は嬉しそうに破顔した。
 彼の幼馴染として、姉として、妹として。異性としてではなく人間として好きだった彼から聞いた、初めての告白だった。


  ▼
  △
 

 留守番電話に切り替わりそうなほど長い間コールが続き、やっと電話に出た青峰は至極めんどくさそうな声色で「なんの用だよ」と吐き捨てた。ひどい。泣いてしまうわ。電話口からは彼の声以外聞こえず、彼の性格を考えると部屋で寝ていたのだろう。昼過ぎだというのにのんきで羨ましいことだ。

「会いたくなっちゃった」
『キモイって、そーゆーの』
「うるさいなぁ。とにかく会いたいの。いつものマジバ集合ね」
『はぁ!? 嫌だよ黄瀬誘えばいーだろめんどくせぇ』
「黄瀬くんは仲良くないからイヤ」
『あ? そうだっけ?』
「あんま喋ったことない」
『チッ……しゃーねーな』
「ありがとう青峰愛してる」
『黙れ殺すぞ』
「はーいサヨナラ」

 返事を待たずに電話を切った。なんやかんや言って優しい男、青峰大輝。きっといつものマジバに来てくれる。一時間くらい待つことになるだろうけど。
 私の予想通り、青峰は電話をしてから一時間後マジバに登場した。女の店員さんが少しビビリ気味である。それくらいかれの目つきはよろしくなかった。無理もない。私が電話でたたき起こした挙句一方的に、ではないけれど、通話を終了させたのだから。

「こんにちは、今日も一層目付きが悪いね」
「テメーのせいだわ」
「口も悪い」
「いつもだろ」
「そうだった」

 氷の解けたアイスティーをすする。ストローは丸から四角へと姿を変えている。いつものこと。それに対して青峰が欲求不満かよ、と笑うのも想定の範囲内。ビッグマックを二つにポテトのLサイズを一つ。それからホットコーヒー。トレーを乱雑に置くと、ゆっくりと椅子に腰掛けた。

「お前も暇だな」
「青峰もでしょ。さつきがいないから」
「暇じゃねーよ」
「うっそだぁ」
「お前から呼び出されることくらいわかってたんだよ」
「……なにそれ」

 大きな口でビッグマックにかぶりつく。口の端についたソースを、ぺろりと舐めた。まるで黒豹のようだ。肉食獣。
 今日、テツヤとさつきは水族館へ行っている。誘ったのはテツヤのほうだ。それに対する相談を、私も青峰も両者から聞いていた。「どこに連れて行ったらいいでしょう」「テツくんてどんな服が好きかな?」、など初々しいったらない。さつきにとって、これが初デートのようなものだろう。テツヤからデートに行きませんか、などと誘われたのだから。
 青峰も私と同じように、元相棒として、幼馴染として、彼らの相談に乗っていた。私と青峰は初々しいカップルの幼馴染同士、という場所に立っている。
 ビッグマックが一つ消え、くしゃくしゃに丸まった紙くずが生まれた。

「寂しくないの、青峰は」
「はぁ?」

 何言ってんのお前。ポテトを二本咀嚼しながら、彼は虫けらを見るような目を向ける。

「さつきがさ、いなくなるっていうのとは違うけど、もうあの“距離”にはならないわけじゃん」
「あ?」
「妹みたいな、姉のような、そんな感じだったでしょ?」
「……お前さぁ」

 ごくりとポテトを飲み込み、ふたつ目のビッグマックを開けた。

「俺に押し付けてんなよ、お前の感情」
「そういう、」
「つもりだろーが」
「……あー、」

 ごめん。青峰は私の謝罪を左手で追い払った。大きな口がブラックホールのようにビッグマックを吸い込んでいく。はみ出たソースがぱたりとトレイに落ちた。気まずさを隠すようにアイスティーをすすってみたけれど、アイスティー味の水はまったく気分が落ち着かない。滅入っていく一方だ。青峰がビッグマックを完食するまで、私はただひたすらにストローを噛んでいた。ふたつ目の紙くずが出来上がる。

「俺はお前と違って、清々してるぜ。やっとくっついたのかって」
「それは、私も同じだけど」
「俺はお前と違って、さつきのことをオンナとして見たことなんかねーよ」

 不愉快な言い方だ。図星すぎて、なにも言い返せない。青峰はポテトを三本口に入れ、私をじっと見つめていた。舌の先でストローに触れれば、真っ平らになっている。口から離して、彼のトレイの上に置いた。くしゃくしゃになった包み紙と真っ平らになったストローが、なんだか現実的だった。

「私はテツヤと、付き合いたいなんて思ったことないよ」
「……」
「本当に、ないんだよ」

 男として見ていた。弟のようにも、兄のようにも、ただのクラスメイトのようにも思っていた。私の中で彼は男の人であり、大切な人だった。幼馴染として彼の側にいられるだけでよかった。彼以外に付き合った人だっている。けれど泣いた私を慰めてくれたのも、応援してくれたのも、いつだってテツヤだった。唯一の人。

「全然寂しくなかったの」

 唐突な質問に数回瞬きをしたあと、青峰は「おう」と頷いた。「そっか」、とこぼれた声は、しっかりしていた。ちゃんと私の声だった。

「青峰は強いね」
「俺を誰だと思ってんだよ」
「案外優しい青峰クン」
「わかってりゃいーよ」

 この気持は恋ではない。テツヤに対して恋愛感情を抱いたことは、一度だってない。それなのに、失恋よりも辛く、ずっとずっと寂しかった。だからこそ、幸せになってほしい。ずっと、私と青峰は彼らのことを見守ってきたのだから。今日のデートがうまくいっているだろうか、と考えて、少しだけおかしくなる。彼らが二人でいて楽しくないなんてことは、起こることのない事件だ。
 青峰はポテトを食べきり、指についた塩を舐めた。

「青峰、これから暇?」
「あ? まぁどっちかっつーと」
「じゃあ、どっか行こうか」
「……しゃーねーなぁ、ホント」

 手触りの良さを確認するようにカップを撫で、ホットコーヒーを飲んだ。青峰の目尻からこぼれるような優しさが、今はとても痛かった。

13.01.31
Happy birthday TETSUYA.