お話 | ナノ
手の持ったマグカップに息を吹きかけながら、彼は薄く笑った。
「たくさん心配も、迷惑もかけました。いつも彼女から動いてもらってばかりでしたから、」
お揃いのマグカップは、数年前に二人で買ったものだ。私は、テツヤが大好きだった。
「今度はボクが、彼女を迎えに行きたいんです」
嬉しかった。心の底から。彼が幸せになれるなら、なんでも良かった。私はそんな彼を真正面から見つめながら、頷いた。頑張って、と。たったその一言に、また彼は嬉しそうに破顔した。 彼の幼馴染として、姉として、妹として。異性としてではなく人間として好きだった彼から聞いた、初めての告白だった。
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留守番電話に切り替わりそうなほど長い間コールが続き、やっと電話に出た青峰は至極めんどくさそうな声色で「なんの用だよ」と吐き捨てた。ひどい。泣いてしまうわ。電話口からは彼の声以外聞こえず、彼の性格を考えると部屋で寝ていたのだろう。昼過ぎだというのにのんきで羨ましいことだ。
「会いたくなっちゃった」 『キモイって、そーゆーの』 「うるさいなぁ。とにかく会いたいの。いつものマジバ集合ね」 『はぁ!? 嫌だよ黄瀬誘えばいーだろめんどくせぇ』 「黄瀬くんは仲良くないからイヤ」 『あ? そうだっけ?』 「あんま喋ったことない」 『チッ……しゃーねーな』 「ありがとう青峰愛してる」 『黙れ殺すぞ』 「はーいサヨナラ」
返事を待たずに電話を切った。なんやかんや言って優しい男、青峰大輝。きっといつものマジバに来てくれる。一時間くらい待つことになるだろうけど。 私の予想通り、青峰は電話をしてから一時間後マジバに登場した。女の店員さんが少しビビリ気味である。それくらいかれの目つきはよろしくなかった。無理もない。私が電話でたたき起こした挙句一方的に、ではないけれど、通話を終了させたのだから。
「こんにちは、今日も一層目付きが悪いね」 「テメーのせいだわ」 「口も悪い」 「いつもだろ」 「そうだった」
氷の解けたアイスティーをすする。ストローは丸から四角へと姿を変えている。いつものこと。それに対して青峰が欲求不満かよ、と笑うのも想定の範囲内。ビッグマックを二つにポテトのLサイズを一つ。それからホットコーヒー。トレーを乱雑に置くと、ゆっくりと椅子に腰掛けた。
「お前も暇だな」 「青峰もでしょ。さつきがいないから」 「暇じゃねーよ」 「うっそだぁ」 「お前から呼び出されることくらいわかってたんだよ」 「……なにそれ」
大きな口でビッグマックにかぶりつく。口の端についたソースを、ぺろりと舐めた。まるで黒豹のようだ。肉食獣。 今日、テツヤとさつきは水族館へ行っている。誘ったのはテツヤのほうだ。それに対する相談を、私も青峰も両者から聞いていた。「どこに連れて行ったらいいでしょう」「テツくんてどんな服が好きかな?」、など初々しいったらない。さつきにとって、これが初デートのようなものだろう。テツヤからデートに行きませんか、などと誘われたのだから。 青峰も私と同じように、元相棒として、幼馴染として、彼らの相談に乗っていた。私と青峰は初々しいカップルの幼馴染同士、という場所に立っている。 ビッグマックが一つ消え、くしゃくしゃに丸まった紙くずが生まれた。
「寂しくないの、青峰は」 「はぁ?」
何言ってんのお前。ポテトを二本咀嚼しながら、彼は虫けらを見るような目を向ける。
「さつきがさ、いなくなるっていうのとは違うけど、もうあの“距離”にはならないわけじゃん」 「あ?」 「妹みたいな、姉のような、そんな感じだったでしょ?」 「……お前さぁ」
ごくりとポテトを飲み込み、ふたつ目のビッグマックを開けた。
「俺に押し付けてんなよ、お前の感情」 「そういう、」 「つもりだろーが」 「……あー、」
ごめん。青峰は私の謝罪を左手で追い払った。大きな口がブラックホールのようにビッグマックを吸い込んでいく。はみ出たソースがぱたりとトレイに落ちた。気まずさを隠すようにアイスティーをすすってみたけれど、アイスティー味の水はまったく気分が落ち着かない。滅入っていく一方だ。青峰がビッグマックを完食するまで、私はただひたすらにストローを噛んでいた。ふたつ目の紙くずが出来上がる。
「俺はお前と違って、清々してるぜ。やっとくっついたのかって」 「それは、私も同じだけど」 「俺はお前と違って、さつきのことをオンナとして見たことなんかねーよ」
不愉快な言い方だ。図星すぎて、なにも言い返せない。青峰はポテトを三本口に入れ、私をじっと見つめていた。舌の先でストローに触れれば、真っ平らになっている。口から離して、彼のトレイの上に置いた。くしゃくしゃになった包み紙と真っ平らになったストローが、なんだか現実的だった。
「私はテツヤと、付き合いたいなんて思ったことないよ」 「……」 「本当に、ないんだよ」
男として見ていた。弟のようにも、兄のようにも、ただのクラスメイトのようにも思っていた。私の中で彼は男の人であり、大切な人だった。幼馴染として彼の側にいられるだけでよかった。彼以外に付き合った人だっている。けれど泣いた私を慰めてくれたのも、応援してくれたのも、いつだってテツヤだった。唯一の人。
「全然寂しくなかったの」
唐突な質問に数回瞬きをしたあと、青峰は「おう」と頷いた。「そっか」、とこぼれた声は、しっかりしていた。ちゃんと私の声だった。
「青峰は強いね」 「俺を誰だと思ってんだよ」 「案外優しい青峰クン」 「わかってりゃいーよ」
この気持は恋ではない。テツヤに対して恋愛感情を抱いたことは、一度だってない。それなのに、失恋よりも辛く、ずっとずっと寂しかった。だからこそ、幸せになってほしい。ずっと、私と青峰は彼らのことを見守ってきたのだから。今日のデートがうまくいっているだろうか、と考えて、少しだけおかしくなる。彼らが二人でいて楽しくないなんてことは、起こることのない事件だ。 青峰はポテトを食べきり、指についた塩を舐めた。
「青峰、これから暇?」 「あ? まぁどっちかっつーと」 「じゃあ、どっか行こうか」 「……しゃーねーなぁ、ホント」
手触りの良さを確認するようにカップを撫で、ホットコーヒーを飲んだ。青峰の目尻からこぼれるような優しさが、今はとても痛かった。
13.01.31 Happy birthday TETSUYA.
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