お話 | ナノ

※ 花になってパラノイアの続編。


 浮気、になるのかもしれないなぁと、酒を飲みながら思っていた。モデルをやってれば頻繁に合コンに誘われる。今まではバスケやレポートを言い訳に逃げてきたのだが、今回はその誘いに乗った。もう二週間、彼女に会っていなかったからだ。俺が忙しいからと気を利かせてくれている彼女に少しの罪悪感を抱きながら、俺は酒を飲む。隣にまとわりつく胸のでかい女に愛想を振りまくと、おどろくほど簡単に釣れてしまった。ああ、イケメンって罪だわ、なんて考えながら心中毒を吐く。クソビッチめ。それでもキレイ系なみてくれは内心惹かれるものがあり、ああ、やっぱり男の心は下半身にあるのだと、やけに納得してしまった。

 酩酊状態になった俺は、ひっつく胸のでかい女を引き離すこともせず家へと帰った。ここ最近ヤってもないし、抜いてもいない。茶色い髪をふわふわに巻いた女の腰を抱けば、すっかりその気になった女は付いてきた。事務所が与えてくれたマンションに連れていき「今日だけの特別サービスっスよ」というと、女は目をハートにして「それでいい」と言った。女はたわわな胸を腕に押し付けて、俺にキスをする。べっとりとついたグロスに嫌悪を抱きながら、彼女の、名前のことを思い浮かべた。彼女の唇は、いつも甘い味がした。今貪っているソレは、無味無臭の、ありきたりなキスの味がした。

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 朝起きるとベッドにはもう自分の体だけで、テーブルに置かれたメモには「昨夜はありがとう」と綺麗な字が書かれていた。本当に、セックスをするために付いてきた物分りの良い女だったなぁとそれを丸めながら思った。習字でも習っていたのだろうか。そう思うほど、綺麗な字だった。名前の字はお世辞にも綺麗とはいえなくて、でも、好きだった。彼女がたまに置いていく走り書きは、丸めることなく引き出しに入れられている。
 時計は午前十時を示していて、大学は自主休講にしようとため息をついた。ベッドから起き上がりスウェットに足を通してキッチンへ向かう。お揃いのマグの、大きい方を手にとって、インスタントコーヒーを淹れた。昨日カラオケで誰かが歌っていたラブソングを口ずさみながら、ソファーに座った。テーブルの上に置いてあるテレビのリモコンを手にとって、適当にチャンネルを合わせた。リモコンをソファーに置いて、マグカップはテーブルに置いた。朝のニュースを聞きながら、バッグの中から携帯を取り出すと、そこには着信一件の文字。見慣れた番号と彼女の名前。俺はすぐにその番号にかけ直す。かけられてきた時間も見ずに。
 プルル、プルル。ツーコールで、その音は途絶えた。

「おはよう、名前」
『……おはよう、涼太』

 少しだけ硬いその声を疑問に思いつつも、「電話出れなくてごめんね」と謝った。

「飲み行っててさ、気づかなかった」
『そう、なの。たいした用じゃなかったから、平気』
「そっか。今日大学休みなんだけどさ、」

 どっか行かない?
 その言葉を、かきけす音が電話口から聞こえた。扉の閉まる、大きな音。そしてかすかに聞こえた「あっちー」という、男の声。名前が息を呑んだ。

「……ねぇ、名前、今どこいんの?」

 その言葉に、彼女は押し黙る。そして笑い声が聞こえ、それがやけに耳に馴染んだものであることに驚く。心臓がバクバクを動き出し、脳が正常な働きをしない。俺の言葉になにも言わない名前に小さく舌打ちをすると、「ちょっと、」と焦ったような声が聞こえた。

『よぉ黄瀬、昨日はお楽しみだったか?』

 その言葉に、プチリを何かが切れる音がした。よく知った声だ。一度は憧れ、焦がれた男。今どんな表情をしてるのかわかる。彼の家の配置だってわかる。青峰っち、と唇から漏れた声は、驚くほど震えていた。

「なんで名前と一緒にいるんだよ……」

 いつもより低い声に、また青峰が笑う。

『答えろよ、黄瀬。昨日は楽しかったか? 久しぶりに違う女を食った感想、聞かせろよ』

 ひゅう、と声帯が震えたのが自分でもわかった。どうして、なんで。そんなことばかり考えて、うまい言い訳さえ思いつかない。黙った俺を、面白そうに電話越しの男が笑う。

『ま、いーけどよ。明日にでも会おうぜ。色々話さねーとだろ、お互い』

 低く放たれた言葉に息を呑むと、「青峰、」と小さく彼を咎める声が聞こえた。聞き慣れた甘い声。優しさをにじませた愛しい声だ。携帯がミシリと音を立て、自分の手に必要以上の力が加えられていることに気がつく。パチパチと、窓を叩く音がして、雨が降っていることを知る。頭の片隅は、ひどく冷静だった。

「……名前、は」
『あ?』
「名前と、ヤったんスか」

 聞きたくなかった。わかりきったことだった。楽しそうな彼の声や、焦ったような名前の態度は、俺の質問を肯定していたのに、聞かずにはいられなかった。どうしたって、あの彼女の柔肌に触れたのは自分だけであって欲しいと思うから。窓の外から、ザァザァと雨の音が聞こえてきた。

『……だったらなに?』

 あざ笑うようなその声に、俺は下唇を噛み締めた。
 涼太とよんだあの声も、快感を噛み締めるあの唇も、誘うように震える瞼も、甘くトロけるようなあのキスも、全部全部、俺だけが知ってればよかったのに。心臓が破れるように痛い。俺はたまらず電話を切った。携帯をソファーに置いて、俺は髪をかきむしった。彼女が褒めてくれたそのツヤも、色も、今は煩わしいだけ。聞こえてくるニュース番組に舌打ちをして、リモコンを壁に投げつけた。壊れたリモコンを見て、ああ、間抜けだなと小さく笑った。

12.11.17