お話 | ナノ

 凍てつく寒さに体を震わせ、着替え終わっていないみんなを待つ。部室前に座り込み、バーバリーのマフラーに顔を埋める。手袋はしない主義。かじかんだ指先同士をこすり合わせ、わずかな摩擦熱を頼りに指を動かす。タッチパネルを触りながらメルマガの削除作業に精を出す。カントクが体育館の鍵を返しに行ってしまい、わたしはすごく暇なのだ。鼻から息を吸うだけで、のどがひんやりとする。夏もすきじゃないけれど、冬も大概だ。マフラーからあふれる白い吐息をぼんやりと眺めていると、ガチャリと部室の扉が開いた。
 ひょいと首を上に向けると、驚いた顔をする木吉先輩が立っていた。私と同じマフラーをしている。これは全くの偶然なのである。ぺこりと頭を下げると、にっこりと笑う。

「名前か。ただでさえ小さいのにそんなに縮こまってるから見えなかったぞ」
「失礼極まりないですね」

 人のコンプレックスをびしりと言い放つ先輩に苦笑すらできない。もう慣れてしまった。あなたの身長から見たら誰だって一緒だろう、と。先輩は私の隣に腰を下ろした。肩幅は広く、胸板は厚い。座高もやはりそれなりに高い。

「寒いな」

 横目で見ると、先輩も同じように目線だけを私に向けていた。

「…そうですね」

 さっきと同じように手と手を合わせ、かじかむ指先に息を吐いた。トクン、トクン、と心臓が脈打つ音が聞こえて、心地が良い。この人といると、落ち着く。恋はときめくだけではないと知ったのは、この人が初めてだ。ほう、と吐いた白い息が、木吉先輩のほうへと流れて消えた。もう一度、息を吐いた。

(好き、です)

 思いを込めた白い息は、さっきと同じように先輩の方へゆらり流れる。伝わんないかな、なんて、自分勝手。言葉にしなきゃ伝わらない思いを口にする勇気もないくせに。

「貸してみ」

 横から伸びた大きな手が、私の両手を掴んだ。じんわりとした暖かさが手に伝わってくる。先輩は手もあったかいんですね、という言葉を寸前で飲み込んだ。天然のこの人を前に、下手なことをいうと自滅してしまいそうだから。

「子供体温ですか、先輩」
「いや、ホッカイロ」

 ポケットに入ってんの、と秘密を教えてくれる子供みたいな笑顔を浮かべた。さすり、さすりと私の手と先輩の手が擦れ合う。ボールを片手で掴んでしまう、大きな手。暖かい手。みんなを守ってくれる手。

「ホッカイロあるなら、それ貸してくれればいいのに」

 気恥ずかしくてそんなことしか言えない自分に、とてつもない劣等感を抱く。可愛らしいことが言えたらいいのに。そしたら先輩が真面目な顔をして「そうか、その手が合ったか!」と言った。やはり天然である。天然ボケ男。口には出さないけれど。思わずくすりと笑うと、先輩も笑った。

「でもな、俺は、お前の手を自分で温めたかったんだよ」
「え…?」

 ふんわりと、柔らかく笑った。部室がガチャリと開いて、ぞろぞろとみんなが出てきた。カントクも合流し、これで全員揃ったことになる。

「遅いぞみんな」

 離そうと手を引くと、それをさせないようにと木吉先輩がぎゅっと握る。そのまま立ち上がり、私も引っ張られ足を延ばす。繋がれた手をそのまま先輩のスラックスのポケットへ押し込まれた。

「ホッカイロあるから、あったかいぞ」
「は、い」
「家帰るまで手入れとけ」

 日向先輩たちは、私たちの行動に気づかずに前を歩いて行く。ぎゅ、と繋がれた手は暖かく、ホッカイロなんていらないくらいだった。みんなの後ろをゆっくりと歩く木吉先輩の天然さに歯噛みしながら、白い息を吐いた。

(この天然!)

 ふわりと舞った息は先輩に届くことなく空へ消えた。赤くなった顔はきっと、寒さのせいだと思われますように。隣で木吉先輩が苦笑してたことに、私は気がつかず、ただもくもくとコンクリートの地面を踏みしめた。

「お前って、鈍いって言われない?」
「先輩には言われたくないです」

 お互いに真っ直ぐ前を向き、ただただ歩いた。心臓が壊れそうなほど動いているのに感じるのは幸福感で。ああ、やっぱり好きだと再確認した。

(好きです)

 吐いた息に込めた願いが、どうか先輩に伝わりますように。この幸せが、出来るだけ長く続きますように。繋がっている手に、少しだけ力をこめた。

「マフラー、お揃いだな」
「…ええ、そうですね、お揃いです」

 冷たい風に肌を刺され、ずるりと出てくる鼻水を引っ込めた。帰りたくないって言ったら、どんな顔してくれるんだろう。言えないまま、偶然にお揃いのマフラーで口元を覆った。

12.08.18