お話 | ナノ

 久しぶりにオフだという真太郎を家に呼ぶと、母親はよろこんでいた。ちょっと夕飯のお買い物ついでにケーキ買ってくるから真太郎くん待っててね、といい車の鍵を指でくるくる回す。「ありがとうございます、」という緑間の返事は聞こえているのか否か。バタリと玄関が閉まる。そして私は、ため息を吐く。女家系の私は、母親にそれはもう盛大に期待されていたのだ。

「私の初めての息子なのよ? かっこよくなかったら息子に思えないでしょう」

 やつは笑顔で言い切った。たしかに、母親は見た目よりの若く見えるし、美人なほうだと思う。しかしその遺伝子を素直に受け継がなかった私は、いかんせんモテない。好かれたとしても、一癖も二癖もあるような人、だったりする。まぁそれがこの真太郎なのだけれど。今までの彼氏が彼氏だっただけに、友人からの親からも"B専"のレッテルをはられていたのだが、真太郎と付き合った瞬間、みんなソレを破り捨てた。顔で付き合ったわけではないけれど、確かに整った美人な男だと、私も思う。真太郎は「あいかわらずだな」リビングのソファに腰を下ろし、リモコンを手にとった。

「ごめんね、いつもいつも喧しくて」

 左に開けられたスペースにこしかけ、母親が出してくれた麦茶を手にとった。真太郎は私の顔を見ると、ぽんぽんと頭を撫でた。こういうデレに、私は弱い。吹き出しそうになるのを抑え、手に持っていた麦茶をテーブルに戻す。彼の左手が私に触れているというだけで、私はとても嬉しくなるのだ。

「別に、気にしていないのだよ」
「ありがとう」
「それに、嫌われるより好かれていたほうが、いいに決まっている」

 将来的に、頭を下げる相手なのだから、と。無表情で言い切った真太郎の顔を、思わず凝視する。真太郎の視線は、テレビで、私の視線は、真太郎。こっちを見ないのは、見たら照れるからだろうか。そう思ったらなんだかとたんに心臓がぎゅーっと痛くなる。わしづかみですか、真太郎くん。真っ赤な顔を隠すように、真太郎の左腕に抱きつく。

「…なんなのだよ」
「真ちゃん好き」
「その呼び方はやめろ!」
「あたっ」

 ばちん、と頭を叩かれる。それでも振りほどこうとしない真太郎に、またまた顔がにやけてくる。学校ではツンケンしているのに、2人になると、甘くしてくれる。きっと本人は無自覚なんだろうなぁ。罪なオトコ。腕にぎゅっと抱きついてテレビを見ている真太郎の顔を見上げると、視線がばっちりあった。

「しん、」

 さらり、頬をなでられる。そのままテーピングが施された指が、横に垂れ下がっていた髪の毛を耳にかけてくれた。微かに耳に触れた指に、すこし身体が動く。まっすぐに目を見つめられ、気恥ずかしくなる。思わずそらすと、真太郎が笑った。彼の口角を上げる笑い方が、とても好きだ。だけどいま、ソレを見れる強いタフは心臓は持ち合わせていない。バクバクとうるさい心臓が、耳障りだった。真太郎は私の耳ダブをつかんだ。

「ピアス」

 その一言に、真太郎の顔を見ると、彼の視線はピアスに釘付けだった。ピアス? 聞き返すと「なんで開けたんだ?」と聞かれた。いまさらな質問に、あっけにとられる。なんで、なんでって言われてもなぁ。私の耳には一つしか開いてない。左耳に一つ。真太郎がピアスに触れる。

「これ開けたの、中2って言ったっけ?」
「中2…?」
「中2病って言われたら、それまでなんだけど、さ」

 それまでなんだけれど。私が言葉を濁すと、笑わないからはやく言え、と催促される。

「運命が変わるって、言うじゃない」
「…そうなのか」
「言うの。嘘だって、思ったんだけどさ。どうしても変えてみたくて。なにか変わるかもしれないって思ったら、開けずにはいられなくて」

 だから、開けた。そう言うと、真太郎は「真逆だな」と言った。私はするりとはなれていった真太郎の左手を未練がましく見つめた。その手はテレビのリモコンをとり、音量を下げた。今することだろうか、とその行為を見ていると、眼鏡の奥の目と視線がまじわる。

「俺は運命に従う。人事を尽くして天命を待つのだよ」
「そうだね、知ってる」
「でもお前は、変えようとした」
「うん」
「真逆だな」

 そうだね。私の言葉に、真太郎は笑ってキスをした。もしかしたら、あのときピアスを開けていなかったら、真太郎とこうして一緒にいることはないのかもしれない。あのとき諦めていたら、後悔してたかもしれない。真逆のようで、ほんとうは私も、彼と同じように「人事を尽くした」だけなのかもしれない。離れた唇が名残惜しくて、ワイシャツのえりを掴んで引き寄せた。もう一度唇を重ねると、真太郎が驚いて目を開く。至近距離で目が合うというのは、こんなにも恥ずかしいとは。思わず身体を引こうとするが、真太郎がそれを許さなかった。

「んっ、」

 真太郎は押し付けた唇から、舌をねじ込んできた。驚きと羞恥で、力が抜ける。何回しても慣れない。そしてゆっくりと、ソファに倒される。

「ちょ、しん、」

 隙を見つけてしゃべろうとするも、それを阻止される。あっけなく絡み取られ、水音が脳に響く。歯をなぞられたり吸われたり、しばらく真太郎のベロに翻弄されていると、ゆっくりと離れる。「いきなりなんなの、」力なく真太郎の肩を押すと、息一つ乱れていな真太郎が「抑えていたのに、お前からキスしてきたりするからだ」と変な言いがかりを付けられる。しかし待て、ここはリビング、そして親もいつ帰ってくるかわからないのだぞ、と。私は力が抜けしゃべることすらめんどうなので、視線でそう言ってやった。すると彼は「キスくらい平気だろう」「いやいや帰ってきたとき気が付かなかったら、」「テレビの音量は下げたから、車の音が聞こえる」と言う。そのためだけに音量下げたのか。真太郎ははぁ、と短く息を吐いて眼鏡を外す。

「やはり、よく見えない」

 眉間にシワを寄せて、顔を近づけた。ち、近い。そして眼鏡がないと美人度があがる。真太郎は顔を近づける。キスかな、と思ったが、そうではないらしい。顔の横に、真太郎の顔が埋まる。どんだけ見えないんだよ、と思った瞬間、鼓膜にぴちゃりという音が響く。

「ちょっ!」

 声を上げると、真太郎が調子に乗ってどんどん舐める。ピアスを弄ぶように、ベロで転がす。

「運命なんて、変えられないのだよ」
「しんたろ…」
「お前は、俺といる運命だからな」

 くすり、笑った吐息が耳に触れ、身体が跳ねる。もしかしたら、あの時本当に運命が変わったのかもしれないし、変わってないのかもしれない。私にはわかることがないことだし、Ifの世界は考えたくもなかった。真太郎の額にキスをすると、彼は私の唇へお返しをしてくれた。
 君が隣にずっといてくれるなら、このピアスはなんの意味もないのだろうね。

12.07.10