お話 | ナノ

 さらりと着流しを身にまとって茶菓子片手に本を読む、だなんて。まるでタイムスリップでもしたような錯覚に陥る。チリリン、と仕舞い忘れていた風鈴が音を鳴らして、開けた窓から涼しい風が頬を撫でて通りすぎていった。中学三年とは思えない色香をまとった彼の横顔にうっとりとしてしまう。畳の匂いがこもった彼の部屋の一つ。茶色くつるりと光る木のテーブルに置かれた私の湯のみは空っぽだけれど、どうでもよかった。
 涼しい顔で活字を辿る視線が美しい。すべてが洗礼されているようだ。伸びた前髪がそよそよと揺れるたびにすうっと目が細められ邪魔くさそうに表情を強ばらせる彼を見て、あとで切ってあげようと勝手に決めた。彼はあまり、はさみが上手ではない。すぐ邪魔だからと前髪を切ろうとするのを、いつも必死で抑える。ページをめくり紙のこすれる音だけが部屋にひびく。すぐそばで寝転がる私なんて気にもしていない態度はもう慣れてしまった。突然発せられた「喉が渇いた」という言葉が、私の存在を忘れているわけではない、と遠まわしに言われているようだと、そんなふうに考えてしまう私は相当な末期なのだろうと自覚はある。
 彼の望みを叶えるために部屋を出て廊下を歩いて台所に足を踏み入れる。彼がいつも使っている湯のみをだして、玉露を出す。慣れた手つきでお茶を入れる自分を、こっそりと褒める。おぼんに乗せたお茶をこぼさないようにそおっと歩きながら、彼の隣の座布団に腰を下ろした。

「はい」

 ことん。彼の横にお茶を置くと、小さく頷いた。部活がない休日はこうして朝から一緒にいる。それから一緒に夕飯を食べて、お風呂にはいって、彼の部屋で寝る。朝練に向かう彼を送り出すように、私も帰る。両親は彼を信頼していて、小言を言われたことはなかった。
 まだあと三分の一ほどページが残っている本を閉じ、彼が小さく息を吐いた。

「あかしくん?」

 どうかしたの、と問えば、彼は首を回しながらにっこり笑った。なんでもないよ、と音になった彼の脳で作られた言葉が私に向けられるだけで嬉しい。幸せだ。彼の隣にいるだけで。彼の形の良い薄紅色の唇がゆっくりと揺れる。

「おいで」

 私の方へ身体を向けると、正座していた足を崩し、あぐらをかいてすこしだけ両手を開いてみせた。ルージュの双眸は細められ、私を見ている。彼に従い、腰を上げた。正面から抱きしめるように彼の太ももに座ると、彼は満足そうに私の頭を撫でた。

「どうしたの?」
「熱い視線に耐えられなくなったのさ」
「…そんなに見てた?」
「俺が本を読んでからずっと、一度も視線を外さなかっただろう」

 そう言われてみれば、そうかもしれない。いつもそうだ。わたしを気にせずに飽きるまで自分のしたいことをする。たまに緑間くんと将棋をしたりもする。私はそれを、彼のそばでじっと見ているのだ。同じ空間に居るだけで文句も言わないし声もかけない。ただじっと彼を見て、満喫している。

「お前は俺がどんなことをしても待っているな。文句も言わない」

 不思議そうに、それでいてどこか嬉しそうに笑う赤司くんは、まるで絵画のように美しい。愛おしい。信仰心に近いと緑間くんに言われたことがあったけれど、きっと本当のことなのだと思う。末期だと自覚はあるけれど、信仰している自覚はない。けれど、彼と私をいつも近くで見ている彼が言うのだから、そうなのだろうと思う。
 チリリン、とまた風鈴がなった。彼がするりと私の腰を撫でる。

「わたしは赤司くんがそばにいるだけでいいの。家に誘ってくれただけで、いいの。あなたと関わっていられるならどんな状態でも満足できるよ」

 彼の胸板におでこをくっつけると、トクントクンと、身体のネジが動く音がする。彼を動かしている音。生きている音。彼がそっと頭を撫でた。

「…お前のそういうところが、気に入っているよ」

 そっけない言い方の裏に滲んだ優しい色が私の心に広がって、赤く染まる。いまなら死んでも、いいかもしれない。好きで、愛しくて、幸せで。ぎゅっとつかまれた心臓が、真っ赤に染まるのを、はっきりと思い知った。

12.08.23