お話 | ナノ

 あられもない声をあげて、しみもニキビもない白く滑らかな背中にしがみついた。爪は立てない。立てても傷がつかないように短く切りそろえてある。コイビトでもないのに、彼のカラダに私の影を残すことはできない。それに、商売道具を傷つけたら私の立場が危ぶまれる。

「名前っち明日撮影?」
「…いえ、学校だけです」

 シャワーから戻った彼にくっついた水滴がキラキラと輝き、完璧とも言えるカラダに思わず目を細めた。鍛え抜かれた無駄のないカラダ。触れたらわかる滑らかさと艶。同じ事務所の後輩として、鼻が高い。よいせ、と小さな声を出しながらベッドに腰掛けて、フローリングに投げ出されたショーツを拾い上げた。右足、左足と通して、パチン、と小さくゴムが跳ねた。はき心地は抜群。この間自分がモデルをやったブランドのものだ。高校三年にしてはなかなか売れているタレントだと、思っている。この空間にいる男は別格だけれど。

「黄瀬サン、明日休みでしたっけ」
「んー、」

 冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを飲み、私に投げ渡す。返事になってない受け答えは、否定だと気がついたのはこの関係になってからだ。ミネラルウォーターを受け取って、それを一度ベッドに置いた。黄瀬さんのパーカーを羽織ってから置いたそれを手にとってベッドから立ち上がる。テレビをつけソファーに腰掛ける姿ですら絵になるだなんて、羨ましい。立派なソファーにカラダを投げた黄瀬さんの隣に、そっと腰を下ろした。ふんわりと薫る、シャンプーの匂いに吐き気がしそうだ。彼のまとう空気が私を包み込み、やんわりと拒絶するのだ。リモコンを弄る手を見ながらぽつりと口を動かした。

「バスケ、するんでしょ」

 ぴくりと反応を示した指に、笑うことも出来なかった。成人してもまだ、まだ、彼は中学の時から時計が動いていない。秒針は動いているのに、時間が進まない。延々と、同じところをめぐり進まない。

「関係ないっしょ」

 ほら、そうやって拒絶する。吐いた息が肌にかかるほど近く、あなたの欲が私の中に入るほど触れ合い、気を飛ばすほどの快感を共有しても。あなたの中にいるのはいつも『彼』だ。白く、儚い、それでいて芯のある強い人。俺を導いてくれた人なのだと語ったあの時の黄瀬サンは、きっと一生忘れない。一生、恨んで生きていく。
 ミネラルウォーターをテーブルに置いて、深夜のつまらないアイドル番組に視線を逸らした。セフレと言うには気持ちが通じすぎていて、きっと私たちの関係を表す言葉なんてないのだろう。強いて言うなら、同種、同類。テレビの中にいるアイドルが暴露話をするたびに笑う芸人が、ひどく滑稽に見えた。

「会ってみたいのになぁ、ミドリマッチさん、とか」

 あえて『彼』でない名前を出すと、彼がゆっくりと息を吐いたのがわかる。ばかね、ほんと。黄瀬サンは悲劇のヒロインなのだ。終わらない愛に巻き込まれて身動きできなくなり、翻弄されて、涙を飲んで愛する人の幸せを願う。ばかな人。

「名前っちから緑間っちの名前が出るとかいい気分じゃないスわ」

 妬けちゃうッス、なんて思ってもない科白を私に吐き捨てる。私を抱く理由は、色が白いからでしょう。薄い体型が、重なるからでしょう。妬く要素なんて、一つもありゃしない。私と彼の間に、愛という柔らかな感情なんてない。私の肩を押して、ご立派なソファーがきりしと歪む。ズルい人。

「まだヤれるんですか?」
「元天才バスケットボールプレイヤーなめんなッス」

 得意気に笑うと、上唇を舐めた。ゆっくりと上体を倒し、私の首筋に歯を立てた。ズルい人。わかっているはずだ。私があなたを好きなことくらい。あなたが叶わぬ恋に身を焦がしているように。私はあなたへの想いに身を焼かれているのに。それを全部知ってる上で私を抱いて不毛な恋を繋ぎとめる。あなたの立場を、私に押し付ける。
 視界が滲み、彼の艶やかな顔が見えなくなる。目からこぼれる涙は、快楽のシルシなのか、悲劇のアカシなのか。私にはわからないし、理解したくはないと、彼の欲を掻き立てるためだけに、声をあげた。あなたのたった一人の“女”なのに、たった一人の“特別”になれない。

12.08.21