お話 | ナノ

「お前のことが嫌いになったとか、そういうわけじゃないんだけど、ただちょっとさ、なんていうのかな。好きなのかって言われて即答できなくなってきてて、そこでマナミが、声かけてきてくれて。お前だって別に、女と遊ぶくらいだったらいいって言ってたじゃん。そうだよ、言ったよ。束縛したくないしされたくもない主義だってずっと言ってたじゃん。うん、うん……だから二人でファミレス行ったりカラオケ行ったりして、たり、して。お前はバイトとか忙しそうだったし、デートなんてずっとできてなかったし、メールも電話もあんま……だったじゃん。学校もさ、俺は大学だけどお前は高校で、時間も合わないし会話とかも続かないし、そしたらマナミとどんどん仲良くなって……嫌いになったわけじゃないんだって。そうじゃなくて、ただ、わかんないんだって。お前のこと好きだけど、付き合うってなったらお前よりマナミのがいいって思っちゃったし、もう、さ……ぶっちゃけどうでもいいっていうか」

 くそったれ。
 涙すら出ないほど唖然とした。そして元彼氏の言葉はぽとりと体の中へ落ちて綺麗に消化されていった。「私もだよ」笑いながら電話を切った。気分は晴れ晴れとしていたのに不思議と眠れず、瞼が自然と落ちたのは午前五時で、気がついたら昼の十二時を回っていた。全然寝た気がしない。家には誰もいないので自分で昼ご飯を用意しなきゃいけないのに、気分は最悪で食欲もない。胃はキリキリとするし昨日の会話を思い出しただけで吐瀉物をぶちまけそうになる。どうにかしてくれ、とつぶやいてみたものの、ひとりきりの家では拾ってくれる人もいやしない。ここでもひとりぼっちか。いや、ずっと彼氏なんていないようなもんだったのかもしれない。
 彼の家、好きでもない水族館、興味のない映画、どこにだって行ったのに、どこにも鮮明な記憶がない。ぼんやりとしたものしか頭のなかには残ってない。結局お前たちのお付き合いというのはその程度にしかならなかったということだ、虚しいな。と、携帯につけていたお揃いのマスコットがせせら笑う。舌を鳴らしマスコットを携帯から外して生ゴミに捨てたら、今にも呪い殺されそうな笑顔で私を睨む。
 タンスの角に小指ぶつけてコンクリートに顔面から突っ込んで固まって窒息死しろ。誰か私の頭をぶん殴ってくれ。元彼の記憶がすべて吹っ飛ぶくらい、強く、強く。あんなことを言われても好きだったな、と思う自分が、悲劇のヒロイン気取りで気持ち悪い。
 ピコン、と軽快な音と一緒に携帯画面が明るくなる。数秒遅れてチャットが送られたことを知らせる通知が現れた。あらきた、とひらがなで書かれた差出人。おい、という二文字のその言葉に笑った。

「運が悪い男だなぁ、荒北」



 徒歩でという指定通り、彼は自分の足で歩いてファミレスまでやってきた。学校から一番近いこのファミレスは高校生の間では溜まり場のような場所で、テスト期間になるとルーズリーフを広げ雑談を繰り広げる生徒がよく見かけられる。よくわからないキャラクター(なんか猫みたいな生物)の書かれた黒のTシャツに学校指定のハーフパンツを装備した荒北は歯を見せて「テメーはいきなりすぎんだよ」と悪態をついた。

「高校生のスケジュールなんて行き当たりばったりなもんさ〜」
「うっぜ」

 さらさらの黒髪を揺らしながら目の前に座ると、愛想のないウェイトレスに「ドリンクバーひとつ」とこちらも愛想の欠片も見せずに言った。もう少し柔らかく言えばいいのになぁ。汗をかいたコップを持って、中の氷を食べる。

「荒北よ」
「あァ?」
「彼氏にフラレたんだけど私はこれからどうしたらいいのかね」
「はァ? いや……なんで東堂みてーな喋り方なんだよ」
「ねぇ荒北」
「……んだヨ」
「フラレた途端、こんなに憎いもんなんだね」

 ぐいっと眉毛が持ち上がり、彼の小さな黒目がわずかに揺れた。見開いた目で私を見ると、荒北は馬鹿にするかのようにハッと鼻で笑った。ストローの刺さった私のオレンジジュースを奪うと、戸惑うことなく口をつけた。がっちりとストローを噛んで。

「今のお前の顔、マジやばいぜ」
「まじ荒北に話聞いてもらおうと思ったのが間違いだったかもしれない」
「俺ほどの適役なんてお前の友達にはいないんじゃなァイ?」

 そう言われてみると誰も思い浮かばないし、きっと彼から「読書感想文ってなに書きゃいーの」という高校生のするべき質問でない質問がなくったって、私は彼を誘ってこのファミレスにきていただろう。ついでにファミレス行こうよ、ではなく、ちょっと面貸せよファミレス集合な、という言葉に変えて彼を煽ったはずだ。
 彼はオレンジジュースを全部飲み干すと、そのコップを持って立ち上がった。がやがやとしたファミレスの中でも、彼の背中はとても静かだ。口を開けばこんなにもうるさいのに、荒北の存在はとても穏やかにさせる何かがある。言いたいことを言ってくれるし、でも引っ張ってくれる力がある。角を曲がって、彼の背中は消えた。
 今年の夏は、海に行こうって約束した。連絡が少なくなったって、彼の態度が少し冷たくなったって、どこかで別れを確信していたって。私は考えて、考えて、悩んで、とびきり可愛らしい水着を買った。羽ばたいていった諭吉さんの気持ちはどうなる。あのとき、少しでも夢を見ていた私の気持ちはどうしたらいい。憎い。憎いのに、それ以上に虚しく、寂しかった。
 両手にコップを持った荒北が「そこの女子高生にめっちゃ睨まれたんだけどォ」と愚痴をもらしながら帰ってきた。差し出されたオレンジジュースには氷が4つ入っていて、さすがわかってるなぁと関心してしまう。彼はペプシがないからメロンソーダにしたようで、しゅわしゅわと夏にピッタリの音と色が私の脳を刺激する。

「荒北ぁ」
「んだよ」
「海行こうよ、明日」
「はァ!? お前バカだろ!」
「荒北より頭いいってば」

 テーブルに突っ伏して笑ってみるけれど、自分でもわかるくらい気色悪い笑い声だ。感情なんてどこにもない。頬から伝わるテーブルの冷たさに目を細めると、荒北は私の足を思いっきり踏んだ。あまりの痛みに飛び上がると、ギロリと私を睨む荒北とばっちり目が合う。それでも怖くないのは、これがデフォだと知ってるから。

「涼んだら買い物行くぞ」
「どこに?」
「決まってんだろォ、俺の水着を買いにだよ」
「やだ、さすが箱学一のツンデレ。惚れるぅ」
「るっせェよボケナス」

 クローゼットの中に小さく畳まれた新しい水着を思い出しながら、それを着て海に行くことを想像してみる。隣にいるのはあの人ではなく、目の前の荒北靖友だけど、きっとあの人と行くよりも楽しい。だってあの人はきっと水着姿の私を見て「可愛いね」って言うだろうけど、荒北は絶対に言わないから。だからきっと、絶対楽しい。ペプシ持って砂浜を走る荒北の姿を思い浮かべながら「私の水着姿めっちゃ可愛いよ、多分ね」と言えば、荒北は「小学生みてーなカラダだもんネェ」とにまにま笑った。

13.08.03