▼ ムーンライト
「見て見て!ユウくん」
たまたま通りかかったユウくんの背中にぎゅっとしがみつく。ぐえっとユウくんの口から変な音が漏れた。
「首ッ!しまってるしまってる」
「あっゴメンね。つい」
パッと手を放す。振り返ったユウくんにほっぺたを引っ張られた。
「いひゃひゃひゃひゃ」
「おー伸びる伸びる。モチだなこりゃ」
「モチじゃないわぁっ!!そーれーよーり!見て!このネックレス」
ハートのトップのネックレスをつまんでホラホラと見せびらかせば「なんだ。お前ようやくオトコが出来たのか」と顎をさすさすしながらユウくんは感心したように言った。あんたは親戚のエロオヤジかっての。
「違うよ、キヨくんがくれたの!私に似合いそうだから買ったって!ちょっと遅れたけどクリスマスのプレゼントに〜って!」
「…ったく兄貴は名前のこと甘やかしすぎなんだよな。昔っからどこ行ってもお前になんかしら土産買って帰ってきてさ。しっかもお前のが一番高えし。社会人になってついにそんなモンまで買ってきて…。高校生が小生意気にネックレスねぇ」
ユウくんがネックレスを長い指に掛けて、挑発するようにちょいちょい引っ張ってきた。その手を払い落とす。
「うるさいうるさーい!僻みよくない!」
ぽかぽかお腹を殴ると、右手で頭を鷲掴みにされた。
「まあ、お前もそろそろ兄貴離れしろよ。兄貴も結婚するんだし」
耳を疑った。
ぴたりと動きを止める。
ゆうくんの瞳が、動揺したように揺れた。
その黒目には、何も知らない赤ん坊みたいな顔の私が映っている。
キヨくんが、結婚?
嘘でしょ。そんなの。
ーーーーーーーーーーー
もやもやした気持ちのまま、年を越した。
元旦は朝早く目が覚めたので、初日の出でも見に行くかと外へ出た。
暗い道を一人、身体を縮めて歩く。一段上がるごとにトンカントンとなる歩道橋に上がると、そこには真っ赤なはんてんを着込んだキヨくんがいた。
「………キヨくん」
小さくつぶやくと、彼はこちらを向いた。
「おう、名前。あけましておめでとう」
「あけましておめでとうございます」
キヨくんのとなりに行って、手すりにもたれかかる。
「珍しく早起きだな」
「去年の私とは違うのですよー」
「そーかい。俺にはわからないけど」
じっと、キヨくんを見つめる。彼の鼻も、耳も、寒さで赤くなっていた。
ああ、見れば見るほど。声を聴けば聴くほど、好きなんだよなぁ。現実を知ったって、諦めきれないんだよなぁ。
「あっ、ほら、見てみろ」
キヨくんが嬉しそうな声を上げた。彼の指差す方に目をやる。すると、そこから一筋の光が射していた。
シンと尖った夜の空気に、じわじわと黄金色が染みてくる。
初日の出だ。
ほうっと、キヨくんが息を吐いた。白くて温かい彼の空気が、暗闇に溶けた。淡雪のように、儚く。
「………名前。俺、お前にはまだ言ってなかったけど、結婚するんだ。3日には、彼女もウチに挨拶に来る」
まっすぐに太陽を見つめながら、キヨくんは言った。私も、太陽を見つめる。
「知ってるよ、私」
ぐんぐんと太陽は上へと昇っていく。
真っ黒だった空も、今は群青と桃色と黄色と橙とでグチャグチャに混ざり合い、蕩けあい、混沌としている。
そうだ。私たちはいま、夜と朝の狭間にいるんだ。
私と彼だけを残してすべてが消えてしまったような、そんな世界。
そんな世界が、あったらよかったのに。
ああ、朝日が。黄金が目に染みる。
涙が出るのは、きっとそのせいだ。
「知ってたんだよ。キヨくん」
ーーーーーーーーーーー
「キヨくーん。遊びに来たよー」
ドアから半分だけ顔を出すと、キヨくんは苦笑して私を手招きした。
小走りしてキヨくんのそばによる。レンタルした淡いブルーのミニドレスを着た私を見て、キヨくんはちょっと笑った。
「似合ってるな。馬子にも衣装」
「何を〜?」
「ウソだよ、似合ってる。ネックレスも」
「ああ、これね…キヨくんから貰ったから、お気に入りなの」
キヨくんを見上げて、微笑む。
「キヨくんの白スーツ姿もかっこいいよ。花嫁のウエディングドレス姿は見た?」
「いや、まだ着てるとこは見てねぇ」
「あっそうなの。私さっき見て来ちゃった」
えへへ〜と笑ってみれば、例の悪い方の笑顔でほっぺたを引っ張られた。本当にこの兄弟はすぐに私のほっぺたを引っ張るんだから。
「いひゃい」
「俺より先に見た罰」
「けち」
「もっかい引っ張られたいのか」
「さっきのはウソ。ごめん」
プリプリしているキヨくんに、トンと肩をぶつけて「お嫁さん、すっごーく綺麗だったよ」と囁いた。
「当たり前だろ。俺の嫁だ」
ぶすくれた声のなかに、誇らしさが隠しきれていない。
私はひっそり笑って「そうだね、キヨくんのお嫁さんだもんね」と言った。
「キヨくんのお嫁さんだもん。世界一、綺麗だよ」
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夢のような、時間だった。
ステンドグラスから差し込む光が、白い服に身を包んだ二人を柔らかく照らして、それがまるで一枚の絵のように見えた。
花嫁が投げたブーケはまったく取る気のなかった私のところに何故か飛んできた。みんなに良かったね、と言われたけど、全然うれしくなかった。
式の夜に一人でブーケを抱きしめて泣いた。
瞳を閉じて、瞼の裏に浮かび上がってくるのは、まぶしいほどのオレンジだった。
あの日、二人で見た、まぶしい太陽。
あの時、あの瞬間、世界が滅んでしまえばいいとさえ思った。
白々とした、冷たい月光が部屋に射し込んでくる。
涙はまだ枯れそうにない。
デコルテのネックレスが、月光に反射してきらりと煌めく。
それを、手のひらが痛くなるくらいキツくキツく握りしめて、願う。
行かないで、行かないで。
遠くになんて行かないで。
他のヒトのところになんて行かないで。
嗚咽が溢れそうになって、唇を噛み締めた。
ないんだよ。
私には、そんなことを言う資格なんて、ないんだよ。
だって私は、彼に、キヨくんに、何一つ伝えられなかったんだから。
「好きだよ………好きだったんだよ」