「目蓋の裏」 After...? [ 31/50 ]
暗く、深い、冷たい底から何か救い上げられるような気がした。
閉じていた目を開くと、そこは自分の墓のの上だった。芝生が青々と茂り、風が木々を、自然を揺らしている。
体もない自分に体感などがあるかは分からないが、体感的にどうやら今は夏のようだ。
自分の中でくすぶっていた何かが強い風に運ばれていったような、心地のいい感覚が自分の中にあって、目を閉じてその感覚に身を委ね、目を閉じる。
すると、意識はどんどんと眠気に誘われるように、また落ちていくのだった。
それでも、今まで囚われていた心の底から恐怖を覚えるようなものではない。むしろ暖かい、安心して体を預けることができるようなものだった。
いつまでそうしていただろう、誰かに呼ばれた気がして目を開ける。
そうして墓の前に立つ人物を見て、私は自身の心が高揚していくのを感じた。
自分が知っているものよりも遥かに大人らしくなった顔つき。自分の知らない右目の眼帯。大きくなった背丈。
黒いスーツ姿に身を包んだその人は、自分の知っている姿ではなくとも、間違える筈もない。
自分の想い人であった琉生がそこにいた。
琉生は花束を墓に置くと、一人墓石の前に座る。
それと同時に、ようやっと自身を縛り付けていたあの恐ろしい魔物が、あの一度目覚めた時に討伐されたのだと、心の中で理解した。
琉生はどうやら今は日本の学院で教師をしているらしい。
同じ教師であり、後輩でもある教師の人に惚気を聞かされている事。生徒が思ったよりもわんぱくで手がかかる事。
色々と心配になる時もあるが、子供というのは意外と強いものでなんだかんだで壁を乗り越えてくれる事。
色々と琉生の口から語られる言葉に、琉生が楽しくやっている事を知り、嬉しくなった。
自分の横で見たかった、その言葉も大層嬉しかった。自分も、どうか貴方の横に立ちたかった。
「いい加減俺もけじめつけようと思ってさ、ようやっと、目を背けずに来れると思った」
ああ、そんな事なんて気にしなくて良かったのに。
まず思ったのはそれだった。琉生が歩めている。それだけで十分だった。
でも、自分にとっては歩めているように見えても、彼のなかでは歩めていなかったのだろう。
「思い出は全部持っていくけど、この気持ちはここに置いていかせてくれよ」
どうぞ、貴方はどうか、前に歩みだしていってください。
私の時間はもう止まってしまったから、貴方についていく事はできないから。
貴方の時間はまだ動いているのだから。
琉生はそう言いながら、ポケットに入れていた小さな黄色い宝石のついたイヤリング──あの日、私が落としたものだ──と首にかけていた二つのリングが通ったネックレスを墓石に置いた。
「俺は、貴方を。ルシア・オズバーンを愛していました」
風が琉生の髪とスーツを弄んでいる。それがどこか心地よくて、私は目を閉じた。
しばらくそうしてから、琉生が私の墓に背を向け、歩き出す。届くかは分からない。
でも、これだけは言っておきたかった。
「琉生」
呟いた声に反応してか、琉生が振り返る。
彼の綺麗な金色と目が合った気がして、嬉しくなって小さく笑ってしまう。
「私も……」
そこまで言いかけて、はっとして口をつぐんだ。これは言ってはいけない。
彼と私の時間の流れはもう違うのだから。
小さく首を横に振って、改めて琉生の顔を見る。
「いってらっしゃい」
自分にできる精一杯の笑顔で、琉生を送り出す。
やはり琉生には自分の姿が見えているのだろうか、琉生は空を仰ぐと、一筋、涙がこぼれるのが見えた。
風がすべてを運んでいく。私の中に燻っていたものも、きっと彼の中に留まり続けていたものも。
例えこの言葉が彼に届いていなかったとしても。
これが一時の夢だったとしても。
「ありがとう、ルーシャ。行ってくる」
どうか、真実であればいい。
琉生は右手で乱雑に涙を拭うと、私に背を向けて歩き出した。
その姿は自分が知っている頃よりも遥かにかっこいいもので、隣を歩けない事に悔しさを感じながら。
「私こそ、ありがとう、琉生」
笑いながら、彼の背中に大きく手を振る。琉生がこちらをちらりと見た気がした。
私は、風に運ばれていく感覚に身を任せながら、目を閉じる。
「さようなら」
さようなら、琉生。
さようなら。
どうか、貴方にたくさんの栄光と幸福がありますように。