「目蓋の裏」 06 [ 29/50 ]
頭では空からの雷と隻眼のライガ種の雷を無理やり合わせた放電である事は認識していても、体にやってきた衝撃によって一瞬何が起きたのか分からなかった。
自分が今どこを向いているかはおろか、立っているのか座っているのかも分からない。
隻眼のライガ種はどこにいる。
このまま混乱し続けるのは分かっていても、様々な考えの波が押し寄せて思考が追いつかない。
自分はちゃんと武器を持っているのか、手は放していないつもりでも、今の状態ではそれすらも正常に判断できない。
隻眼のライガ種。
そうだ、奴は。
「琉生!」
遠くで誰かの声が聞こえて、混乱していた頭がすっと冷えていく。
正常でなかった意識が覚醒して、ようやっと視界がクリアになった。
武器はしっかりと持っている。琉生は今地面に倒れていて、少し痺れこそしているものの、まだ体も動く。
しかし、少し顔を上げても見える範囲に隻眼のライガ種はいない。
どこだ。
体を起こして、膝を突きながら周りに視線をめぐらせようとした瞬間に、何かが凄まじい勢いと力で鳩尾に飛び込んできた。
息が詰まり、一瞬意識が飛びかけそうになるのを無理やり呼び起こそうとしたところに背後からの衝撃でまた胸が詰まる。
「ッ……ゲホッ」
胸と背中からの苦しみを何とか逃がそうと一度咳と言う形で吐き出せば、それが引き金だったかのように何とか正常な呼吸を取り戻そうと繰り返し、止まらなくなる。
鼻から目から口からあふれ出る体液をどうにか拭って、胃からこみ上げてくるものをなんとか必死に飲み込んだ。
手から放れていってしまった刀が遠くにあるのが見え、隻眼のライガ種の追い討ちから逃れようとした刹那、琉生の元に大きな影がかかる。
「ッ!が、あ……!!」
影の正体は言うまでもない隻眼のライガ種だ。
隻眼のライガ種は琉生の喉から胸にかけて片足を置くと、いたぶるかのようにじわじわと体重をかけていく。
「琉生!」
「馬鹿野郎、テメェの獲物に集中しろ!」
「でも!」
「あいつの落とし前はあいつにつけさせてナンボだろうが!」
どんどんと息ができなくなっていく。
必死に酸素を取り入れようと口と鼻が動こうとも、喉を押さえられてしまえば何の意味もなさない。
離れた場所でルチルダの慌てたような声とアルバートの怒号を、どこか遠くで捉えている琉生がいた。
体がどんどんと冷えて行く。左腕の感覚は雷を受けた時から既に無くなっていた。
「テメェもいつまで寝てやがるこのまま死ぬか!?とっとと起きろクソ琉生!」
アルバートの声が琉生の脳内でやたらと反響して行く。
終わる?
増す苦しみとは逆に目が段々と閉じていく。
目蓋が下りた瞬間、あの日の彼女が見えた。
ここで?死ぬ?
まさか。
自然と琉生の口が弧を描く。閉じかけていた目を開き、琉生が隻眼のライガ種を睨み付け、不敵に笑った。
「調子こいてんじゃねえぞ、ネコ風情が」
やっとの思いで搾り出した声と共に、琉生が首を右にずらす。
地面から朦朧とする意識の中練り上げていた大きな岩が鋭い勢いで飛び出し、隻眼のライガ種に鋭いアッパーを食らわせるように顎を殴りつけ、空へと飛んでいった。
顎を強く打ちつけられ、脳に振動がいった隻眼のライガ種は琉生にかけていた体重をとき、朦朧としながらも危険を感じてか琉生から距離を取る。
ようやっと解放され、一気に入り込んでくる酸素に琉生は噎せながらも体勢を整えようと寝ていた姿勢から状態を起こし、膝を付いてなんとか立ち上がる。
だが誰から見てもその姿は満身創痍だ。とても隻眼のライガ種を迎撃できるようには見えない。
隻眼のライガ種は最初こそ朦朧としていたが、琉生が体勢を立て直している間に正気を取り戻すと、琉生へ駆け出した。
一歩、二歩とたった数歩で琉生の前まで戻ってきた隻眼のライガ種が、満身創痍の琉生にトドメをさそうと大きく跳躍し、口を開ける。
隻眼のライガ種の鋭い牙が琉生に触れそうになる。
しかし、琉生は先ほどまでの起き上がるのもつらそうな動きとは一変し、まずは大きく首をそらせ、続いて振られた頭の重さによって動いたように体も隻眼のライガ種の軌道からそらし、隻眼のライガ種の牙を髪一重でかわした。
もう獲物を捉えた気でいた隻眼のライガ種が空を切った動揺からか、上手く体を止めることができずに前へと倒れこむ。
隻眼のライガ種に影がかかった。
「ビンゴ」
してやった。今にもそう言いたげな琉生の声と指を鳴らした音が隻眼のライガ種の耳に届いただろう瞬間、空から落ちてきた大きな杭が隻眼のライガ種の体を貫いた。
その大きな杭は、先ほど琉生の能力で作り出し、隻眼のライガ種の顎を強く打ち抜いたものだった。
隻眼のライガ種の大きな体がぐらりと傾き、やがて地に伏した。
琉生はそれを見届け、動かなくなった事を確認してから、ぐるりと周りを見渡す。どうやら琉生以外の三人は既に戦闘を終わらせていたらしい。
「お疲れ」
琉生を不安そうに見届けていた三人へ、微笑みかける。
ニコラスは微笑み返し、アルバートがため息をつき、電話を取り出した。しかし、二人とは対照にルチルダは怒ったように眉間に皺を寄せながら、琉生の元へ足音を立てながら歩いてくると、琉生の手を取った。
「お疲れじゃないわよ!心配させて!」
そう怒るルチルダを見て、琉生がへにゃりと笑う。
「ごめんって」
ルチルダはまた何かを言おうと口を開けたが、琉生の顔を見て続ける気も失せたのか、口を閉じると琉生の肩へ顔をうずめた。
「貴方こそ、お疲れ様」
「おう」
ルチルダの頭を琉生が優しく撫でる。
ニコラスもまた琉生とルチルダの元へと歩み寄り、琉生にお疲れ、と声をかけるとルチルダの背中を優しく撫でた。
ふと、琉生の視界の隅で何かが光った。
琉生はルチルダに一言声をかけると、地に伏した隻眼のライガ種へと歩み寄ると、かがみこんだ。
琉生が隻眼のライガ種のたてがみに触れようとして、たてがみの中にある物に気付いてそれを拾い上げた。
「……これ」
「どうしたの?」
「いや、ちょっと」
その拾い上げた物に、琉生は見覚えがあった。小さい黄色い宝石のついたイヤリング。
琉生の想い人であるルシアが身に付けていたものだった。
琉生はそれを握り締めると、ポケットへと放り込む。アルバートの方を見るとどうやら先ほどの電話は待機していた医療班へのものだったらしく、四人以外の討伐団がやってきたのが見えた。
その中にまたもや見覚えのある人物が映り、琉生は驚愕した。
短く切られた髪、自分が知っている頃よりも遥かに大きくなった体と大人らしくなった顔つきに、目を見開く。
「ありがとう、ルイ。随分無茶したみたいだな」
「アドルフ」
驚く琉生をそのままに、アドルフは困ったように小さく笑うと、琉生の左腕を優しく持ち上げた。
「お前、辞めたんじゃ」
「お前には言って無かったよな。実はあの後辞めたんじゃなくて解散したんだ。俺一人じゃやってけないから、一年目からやり直したんだよ」
アドルフは自身の持っている鞄から手当てするためにいくつかの道具を取り出すと、少し痛むぞ、と琉生に声をかけて小瓶の液体を琉生の傷口へとかけた。
「一年目からやり直して、そこでまあ色々あって紫の能力が覚醒してさ、そこからは薬にして医療班やってるんだ」
「そう、だったのか」
琉生の左腕の傷を丁寧に、且つ手際良く処置していくあたり、医療班で随分場数を踏んで来たのだろう。
かつての旧友が心を折られたのではなく、立ち上がってくれていた事を琉生は嬉しく思いながら、アドルフが手当てしてくれる様子を眺めていた。
「これで終わりだ。改めて、ルイ。俺達の敵を討ってくれてありがとう。お前にそのつもりがなかったとしても、俺はこれでようやっとあいつらに顔向けできるよ」
アドルフが琉生と握手をして笑うのにつられて、琉生も笑った。
アドルフの目から涙が零れていくのを見て、琉生も泣きたくなったがアドルフと同じように涙を流すことはなかった。
やがてアドルフが泣き止むと、流していた涙を拭って、琉生以外の三人の処置も終えた事を同じ医療班の人に確認する。
琉生に他に痛むところなどを聞いて、何もない事を確認すると、アドルフは一つうなずいて、それじゃあ、と軽く挨拶をして、琉生に背を向けた。
「そうだ。お前も色々と向き合うのに時間はかかると思うけど、お互い頑張っていこうぜ、ルイ先生?」
「おう、そっちこそ頑張れよ、アドルフ医療班員」
少し歩いた後、振り向いて笑いながら言うアドルフに、琉生が軽く手を上げながら答える。アドルフはその返答に満足そうに笑うと、その場を後にした。
琉生はしばらく森に消えていくアドルフの背中を眺めると、ふと視界がぐらついてバランスを崩しそうになり、寸でのところで持ち堪えた。
「琉生、大丈夫?」
「あー、血ィ流しすぎたパターンだなこれ……左腕放置してたし」
きもちわりぃ。
そう続ける琉生にニコラスは苦笑すると、アルバートとルチルダを呼び、琉生の状態を告げてすぐに報告してホテルに戻る事を提案し、二人も応じた。
「とっとと帰るぞ馬鹿」
「はは、無茶しちまった。これ日本戻ったら櫻井先生にどやされんじゃね?」
「大人だろ、しっかりしろよ」
「うはは、全くだ!」
「今回のこれ全部香折に言ってやる」
「マジかよ馬鹿にされんじゃん勘弁してくれー」
アルバートと琉生が日本に戻ってからの軽口をたたきあいながら、元来た道へと歩いていく。
「あ、やべ」
琉生が小さく呟いたのにアルバートが反応してそちらを向く頃には、琉生の体は傾き、地に伏すところだった。
──琉生。
琉生は、貧血により意識を失う中で、彼女の声を聞いた気がした。
──ああ、受け止めるのに、時間がかかるから。どうか、冬まで待ってくれよ、ルーシャ。