「目蓋の裏」 05 [ 28/50 ]
ルチルダが右方、ニコラスが左方、アルバートが後方へ駆け出し、それぞれが一体ずつライガ種と敵対し、戦闘が始まる。
そんな中、琉生は特に動くことも、構えることもなく、前からやってくる隻眼のライガ種を見つめた。
「久しぶりだな」
グルル、と隻眼のライガ種が唸る。
「十年ぶり」
琉生は、まるで十年間会っていなかった旧友に声をかけるかのように、隻眼のライガ種へと言葉をかけた。
琉生が隻眼のライガ種を見、隻眼のライガ種もまた、琉生をじっくりと、まるで品定めでもしているかのように睨みつけている。
「お前も待っていてくれたらしいじゃねえか」
ニコリと琉生が口元に笑みを浮かべ、隻眼のライガ種が上半身を低く構える。
「さあ、終わらせようぜ。十年間の話を今、ここで」
琉生が笑いながら、そう言うと同時に隻眼のライガ種が低く構えていた姿勢から、全身をバネのようにして琉生の下へと跳躍するが、琉生もまた、言い終わると同時にその場を跳躍して離れた。
人間の何十倍もある体をやすやすと人間の身長以上まで宙に運んだ隻眼のライガ種の脚力が、全体重を乗せたような勢いで琉生の元いた場所の地面を爪が抉る。
その隻眼のライガ種とすれ違う方向に飛び、木の枝の上に着地した琉生は隻眼のライガ種がつけた爪跡を見ると、口笛を吹いた。
「すげえ威力」
茶化した口調で言う琉生に、隻眼のライガ種はゆったりとした動きで琉生の方を振り返った。
振り返ると同時に、また先程と同じ様に上半身を低く構え、後ろ足に力を溜めて跳躍する。
が、今度の狙いは琉生ではなく、琉生の乗っている木に対してだった。その強靭な脚力で体当たりをしたのだ。
大きな音を立てて、木が倒れていく。琉生は大きな衝撃に少し身を崩しながらも、難なく木の上から地面に着地すると、少し隻眼のライガ種を距離を取った。
「じゃ、次はこっちの番だな」
そう呟き、琉生は隻眼のライガ種から視線を外さないまま、右足で足元の地面を軽くトントン、と二回叩いた。
次の瞬間、地面が盛り上がり、それが大砲のような形を作ったと思うと、大きな──それこそ人の顔の倍ありそうな大きさだ──土で出来た玉が隻眼のライガ種へと飛んでいく。
隻眼のライガ種にその玉が命中すると、玉は砕けた。だが、その大きさあってか隻眼のライガ種にはかなりの衝撃を与えたようだ。
隻眼のライガ種が少しよろめいたが、倒れる事はしない。すぐにしっかりと地面を踏みしめとどまり、強い一撃を当てた琉生を強く睨み付けた。
──バチリ。
その音をきっかけとでも言うかのように、静電気が発生した時の音を何倍も大きくしたような音が連続的に鳴り始める。
音と同じくして、隻眼のライガ種のたてがみが、溜め切れなくなった電気を音を立てて放電させながら、それでもなお電気を溜め込んでどんどんと逆立っていく。
──バチリ、バチリ。
回数がどんどんと増えていくにつれて音も大きくなっていく。
パっと見は隙のように見えるが、この時こそ近づいたら放電に巻き込まれ危険である事を理解している琉生は、隻眼のライガ種から目を離すことなく、警戒をしながらその様子を眺める。
やがて、その音が一旦止まり、隻眼のライガ種が天に向けて咆哮した。
すると、隻眼のライガ種の足元から、まるで隻眼のライガ種を囲むかのように電撃が噴出してきた。
噴出した電撃は止まっても、放電が終わるわけもなく隻眼のライガ種の全身からバチバチと放電が繰り返され、隻眼のライガ種が改めて鋭い目付きで琉生を見た。
本番はここからだ。
この魔物がライガ種と呼ばれ始めたのはこの能力にこそあった。ライガ種は日本語の漢字では「雷牙種」と表記され、文字の通り、能力である雷が最も危険視されているからだ。
そして、名前に乗っている時点で、次いで注意するべきは、爪よりも牙であった。
強靭な顎とするどい牙は、例え太い丸太であっても噛み砕いてしまう、とはライガ種を語るにあたってよく言われている事である。
しかし、ライガ種によって奥の手のように扱われているのか、普段ライガ種が獲物に対して能力と牙を使うことはない。
あるのは、自分の命を脅かすと判断される強い魔物、動物、もしくは討伐団員に対してだ。
琉生がまたも隻眼のライガ種に攻撃を加えようと、姿勢を低くする。とその瞬間、琉生の頬に何やら雫のようなものが一滴ぶつかった。
「げ」
思わず琉生が呟いて空を見る。曇天で振り出しそうだった天気は琉生達が戦っている間に更に雲が黒く濃くなり、雨が降り始めていた。
「振り出したか」
呟いたと同時に前を見る。しかし、その一瞬、琉生の中では雨が降ったという事実により嫌気が差し、ほんの少し、心に隙が生まれていた。
「ッ!」
琉生が気付いた時には、もう隻眼のライガ種は、その琉生の頭向けて大きな口を開け、今まさに首を噛み千切ろうと琉生の目の前へとやってきてるところだった。
寸でのところで回避し、琉生の頭が胴体と離れる事はなかったものの、どこかに当たったらしい。
衝撃により琉生の体が回転し、吹き飛ばされる。
互いの有する体の大きさも重さも違うが故の当然の事だ。
隻眼のライガ種は好機と見たのか、琉生を押し潰そうとその両足を琉生に向けて振り下ろしてくるのを、琉生は地面に横たわったまま転がり回避し続ける。
少しずつ体勢を立て直した琉生は、隻眼のライガ種の動きを見定めるようにじっと見ると、隻眼のライガ種がまたも両足を振りかざした瞬間に、隻眼のライガ種とすれ違うように前に跳んだ。
大きな体からは到底思いもしないような瞬発力や早さを持っている隻眼のライガ種と言えど、予測もしていなかった動きにすぐには対応できない。
自分の獲物である琉生を見失っている間に琉生はしっかりと体勢を立て直した。
当初は衝撃と混乱によりどこが痛むのか分からなかったが、こうして回避している内に左腕が痛み出しているあたり、どうやら牙にぶつかったのは左腕らしい。
自身の命を賭け、こちらを本気で殺そうとしている隻眼のライガ種と対峙している今、左腕を見る事も叶わない。
しかし、どうやら鋭い牙によって皮膚が切れてしまった事は確かなようだ。痛む場所からして、おそらく肩から少し下あたりだろう、血が滴る感覚が指先に届いている。
「油断してんじゃねえぞ!」
アルバートの怒号が琉生の耳に届く。周りの音からして、三人もまだ戦闘中なのだろう気配に、それはお前もだろ。と内心を愚痴を零した。
「いやだが本当に。全くだ」
少し自分の中で十年前とは違うと驕っていたところがあったのも事実だろう。だが、十年前から成長しているのは琉生だけではない。それは、十年間という長い間生き抜いた相手もそうなのだ。
隻眼のライガ種の目がまた琉生を捉えた。
たてがみがまたバチバチと音を立て、更に逆立っていく。
放電だ。
琉生はその場で足で地面を殴るような勢いで踏み込むと、ふわりと琉生の前に一つの球体が浮かんだ。
琉生がその球体を傷を受けていない右手で掴み、隻眼のライガ種に向けて投げたのと隻眼のライガ種が溜めた電気を放ったのは同時だった。
琉生の地面を能力で砂鉄を中心に集めたその球体が避雷針代わりになり、隻眼のライガ種が放った電気を吸収する。
ライガ種がこのような放電をした後は大きな隙になる。
琉生はその結果を見る事もなく、隻眼のライガ種に素早く肉薄すると、靴に仕込んであるナイフを出し、そのまま隻眼のライガ種の足の付け根につま先が当たるように蹴り抜いた。
だが。
「──チッ、浅いか」
想定していた程ダメージが入らなかった。どうやら長年傷付いただけあって、琉生が想定しているよりも皮膚が厚くなっているようだ。
だがその一撃でも、傷付けられた事に対して怒った隻眼のライガ種が琉生の方を向き、そのまま噛み付いてくるのをどうにか後ろに跳んでかわす。
足から崩す予定だったが、そのまま首を頂く事にする。
琉生はまたも隻眼のライガ種に接近すると、今度は首を狙って、先程よりも体重を乗せ蹴った。
確かな手ごたえが琉生に伝わり、隻眼のライガ種が怯む。
琉生はつま先にあるナイフを引き抜くと、すぐにまた隻眼のライガ種へ蹴りのラッシュをお見舞いする。
また首。
頬。
右目。
そしてまた首、と的確にナイフで傷付けたところで一度隻眼のライガ種から離れる。
雨はまだ降り始めのようで、先程よりも降ってくる頻度は上がったものの、まだ本降りというわけではない。
ライガ種の特性からして本降りになる前に済ませたいところだが、この様子では時間もかかるだろう。
琉生が舌打ちをする。
隻眼のライガ種はというと、先程の攻撃で完全に頭に来たらしい。その場で少し暴れると、琉生に向かって跳躍した。
今までよりも遥かに早いその行動に、それでもしっかりと見ていた琉生はなんとか右に大きく跳んで避ける。
琉生が隻眼のライガ種を見るが早いか、怒りにより瞬発力も動体視力も上がって入るらしい隻眼のライガ種が先程の勢いを殺しきらないまま、またも琉生の頭を噛み砕こうと大きく開いた距離を一歩で縮めてくる。
琉生はまたも避けるが、先程よりも余裕はない。それに加えて、先程から振り出していた雨が早速琉生に良くない流れを運び込んだ。
避けてから、踏み込もうとした左足が、雨によって濡れてぬかるんでしまった地面を上手く捉え切れず、ずっと琉生の足が滑る。
「やっべ……!」
それを逃す隻眼のライガ種ではない。元々まだ連撃を行うつもりだったのだろう隻眼のライガ種は、飛びついた姿勢から素早く体勢を立て直すと琉生の元へ素早くやってくる。
「一か、八か…ッ!」
琉生は呟くと、跳んできた隻眼のライガ種の足元をくぐり抜けるようにして飛び込んだ。今までは横の軌道もずらしていたためそこまでではないが、今回はそうではない。
高さしか余裕のないところに飛び込んだ事により、琉生の髪が、爪か足か、触れた気配を感じながら、避けた勢いのままに前転、慌てて振り返る。
隻眼のライガ種がまたも琉生を見失っている間に、琉生は背中に手をやった。
「流石に丸腰はきついんでな……!」
上着の中に手を突っ込み、上着の下に仕込んでいたあるものを取り出し、引き抜く。それは刀だった。
同時に、ポケットからも黒い手袋を取り出すと、琉生は素早くその手袋を両手に嵌めた。
そしてそのまま素早く振り返る隻眼のライガ種へと駆け寄る。
しっかりと琉生の動きを捉えている隻眼のライガ種が向かってくる琉生を返り討ちにしようと、体に力を入れる。
が、琉生はその隻眼のライガ種の読みを裏切るように、宙へと高く上がった。
上がったと言っても跳躍で、ではない。
自分の能力で、地面から足場を凄い速さで突き上げさせ、自身を大砲の弾のように飛ばしたのだ。
その一瞬の事に、咄嗟に追いつけなかっただろう隻眼のライガ種の動きが止まる。そうして、隻眼のライガ種が空を仰ぎ見た時には、琉生は隻眼のライガ種の後方へと着地していた。
琉生はそのまま少し離れた隻眼のライガ種に駆け寄る。
自分の体重を軸足に乗せ、見た目の短さからは想像するのが難しいような一撃の重さで隻眼のライガ種へ刀を振り下ろす。そして、その一撃では終わらせない。
琉生は続けざまに斬り上げ、薙ぎ、また薙ぎ、斬り上げ、斬り下ろした。
そこで一度攻撃の手を止めると、隻眼のライガ種に位置を正しく悟られない様に隻眼のライガ種の横へと回り込む。
隻眼のライガ種が死角からの攻撃に体をこわばらせ、琉生の位置を特定し、振り返った時にはそこに琉生はいない。琉生の思惑通り、また困惑し足が止まる隻眼のライガ種に琉生はまたも攻撃を繰り返す。
隻眼のライガ種を翻弄し、攻撃を繰り返しているとふと、琉生の頭上でゴロゴロ……と何かが響く音がした。
まずい。
咄嗟に頭はそう思ったものの、勢いづいた手を止める事はできない。琉生が連撃を繰り出している手を止めようとしたその時だった。
目の前で閃光が走った。