「目蓋の裏」 03 [ 26/50 ]


 アドルフはどうやら簡易的な手当てをしてから、自分の口から琉生に事実を伝えたいがために現場から飛び出したらしい。
 アドルフが少し遅れて到着した討伐団の救護団に連れられて姿を消した後、琉生は大雨の中寮から走り出し、その日定期試験が行われていた試験会場にもぐりこんでいた。
 アドルフがいなくなった後、魔物の居場所、ルシアを殺した個体として判別できる情報などを仕入れていたのだ。
 ちゃんといるかも分からない。琉生達はまだこの時在学一年目である事から、規定外の大きさ、強さの魔物が出て三人の被害を出している時点で、既に討伐団が動いているだろう。
 ちゃんといると確信もできないというのに、体が勝手に動いていた。
 試験会場であった森の中を、邪魔な枝を払い落としながら駆け抜け続けると、やがて広い空間に出た。
 どうやらこの場所だけ何かの偶然か、誰かの能力か木々がドーム状に伸びているらしい。
 きれいな円を描いて、ぽっかりと空いた穴のように口を開けた空から見える月明かりが周辺を照らしていた。
 その場所にたどり着き、あたりを見回した瞬間に琉生は言いようのない寒気と、全身が粟立つのを感じて、自身の立ち位置から丁度離れた真正面にある大木をにらみ付ける。
 やがてパキ、パキと言った音が聞こえてきて、それがこちらに向かってきているのだろう、段々と音が大きくなってきているのがよく分かった。
 そしてそれはバキバキと周りの木を倒し、ズシン、ズシンとその巨躯を自ら示すような足音を立て、ゆっくりと姿を現した。
 それは一見すると、漫画やゲームなどに出てくる合成獣、もといキメラと揶揄される事だろう。
 たてがみの生えた、例えるならばライオンのような頭部に、ライオンのような体。ただし、尾は爬虫類のような尾で、鱗が生えており、真ん中あたりから二股に分かれている。そして爪の鋭い鳥類のような、爬虫類のような足。
 現在では「ライガ種」という名前が付けられている魔物である。
 そしてそのライガ種は右目に何か鋭いもので抉られたような生々しい傷跡が、額近くから頬にかけて存在していた。
 その姿を見た途端に、琉生はこの魔物こそが、ルシアを殺した犯人であると確信すると同時に、自身の感じた寒気がこの魔物が放つ殺気である事を理解した。
 だが、琉生の中に湧き出たのは恐怖ではなく怒りそのものだった。

「お前がルーシャを」

 それだけ呟くと、呟く際に伏せていた目線を改めて、ライガ種に向ける。
 睨み付けるように向けたその視線が、右目に傷を負ったライガ種とぶつかった瞬間、ライガ種は普通の人が聞けば恐ろしく感じて動けなくなるだろう程の咆哮を上げた。
 普段の琉生なら普通の人同様、動けなくなっていただろう。
 だが、その時は怒りと復讐心に満ちていた琉生は全く物怖じもせずに、ライガ種へと駆け出した。
 次いで、ライガ種も同じように琉生に向けてその四肢で大地を蹴り上げながら向かってくる。
 こうして琉生とライガ種の戦闘は始まったが、琉生はまるで赤子と遊んでいるかのようにライガ種に翻弄された。
 なんとか力を振り絞り、ライガ種の右目に更に傷を負わせたものの、それが逆鱗となり、怒り狂ったライガ種が暴れだした。
 そうしてライガ種の爪を避け切れなかった琉生は、右目に爪を受け、勢いによって弾き飛ばされた。
 そこで意識を失った琉生が目を覚まし、見たのは、学院の生徒が贔屓にしている病院の、病室の真っ白な天井だった。
 その後やってきたライラインズからお叱りを受け、偶然ライガ種の行方を追っていた討伐団員が、ライガ種の咆哮を聞きつけ駆けつけた事。
 討伐団員がたどり着いた時にはライガ種の姿はなく、明らかに戦闘した跡のある広い空間で琉生が右目から血を流し、倒れていた事を聞いた。

「復讐も怒りも、私が怒る事ではない。それだけルシアが大切だったのだろう?しかしだ、君がした事は私は叱らねばならない。なんてったって、君はその大切な人の分も背負うだろう命を、無駄に捨てようとしたのだからね」

 あの時のライランズの言葉を琉生は忘れないだろう。
 握り締めた手の中からチャリ、とリング同士の擦れる音がする。
 リングを握り締めた右手を額に当てると、琉生は大きくため息をつき、そのまま後ろに倒れこんだ。
 ばふっと硬くもないがそこまで柔らかくもないベッドのマットレスに体を受け止められ、少し体が反発する。
 雨はまだ止まない。連続して降り注ぐ雫によってできる大合唱が、寮の部屋でルシアを待ち続けていたあの日と重なる。
 ズクリ、ズクリ、と一定のリズムを刻みながら疼き続ける右目の傷を、眼帯の上からなぞりながら、琉生はそっと目を閉じた。

「あの日からずっと、目蓋の裏に映るお前の姿が、消えないんだよ。ルシア」

 雨はまだ止まない。止みそうにない。
 目を閉じた琉生の目蓋の裏にあの日の、涙を流しながら、月明かりの下のルシアが、綺麗に笑う。
 目を開けても、当然ルシアの姿はない。
 これだけ精神が不安定になっても、ルシアの事を思い出して悲しくなろうとも、涙一粒すら出てこない事に、琉生は一人嘲笑した。。
 あの日に流した涙が一生分だったのか。起き上がった病院のベッドで、声が枯れるほど泣いてからは、どれだけルシアの事を思い出して悲しくなっても、自分のやるせなさに悔しさがあふれ出ても、琉生の目から二度と涙が流れた事はなかった。
 それ以降は、「女子寮」というものが嫌で寮を飛び出し、一人暮らしを始めた琉生以外の事で、たいした事件が起こる事もなく一年目を無事に過ごし、二年目に入ると同時にあの場所から逃げるように日本へ留学してきた。
 普段はその提案に乗らないが、チームメイト達としても思うところがあったのだろう。
 三人に相談、提案したところ丁度日本には行ってみたかったと快く了承された。
 その後も一度卒業のためにアメリカに戻ったものの、卒業資格を無事に取り、卒業試験も難なくパスすると、琉生はまたも逃げるように日本へ戻ってきた。
 いや、逃げるようにではない。「逃げた」のだ。
 その逃げの一手に、チームメイト全員が乗ってきた事に琉生は驚いたが、今思うと三人は琉生をそれなりに心配していたのだろう。
 日本の学院で教師を始めてから……もとい、日本に留学してから──いや、それこそ病院で起き上がったあの日から。
 ルシアの墓には一度も赴いた事はない。

「……だってなぁ」

 一人、呟く声がやたらと大きく、響いて聞こえるのは何故だろうか。
 そう考えながら、琉生は握り締めていた右手を離し、そのまま上に上げる。

「今更、どんな顔して行けってんだよ」

 何より、自分は未だにルシアの死を認められずにいる。偽りの笑顔で、墓参りに来たなど。
 当人の死も受け入れられないまま墓参りに赴くなど、それこそ言語道断だ。
 空中を彷徨っていた右手を握り締める。
 しかし、掴めるものは何もない。
 琉生は両手で顔を隠すように、手の甲を顔に当てると、そのまま小さく呟いた。

「ああ、もう一度会いたいよ。ルーシャ」

 やはり、小さく呟いたつもりの声でも、部屋に大きく、まるで心に響くかのように聞こえた。



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