「目蓋の裏」 02 [ 25/50 ]


 その日は随分な大雨だった。
 学院は既に夏休みに入り、季節は七月から八月となっている中で、珍しく豪雨となった。
 夜になっても止む事はなく、粒が大きく、量の多い雨が屋根を叩き、それなりに大きな音を出し続けている。
 琉生は自分が暮らしているアパートの寝室で、雨の音もあり中々寝付けず、体を起こして片膝を抱き締めるような体勢で大雨が降り注いでいる窓の外を眺めていた。
 ライランズからの依頼は、来週アメリカに行く事に決まっていた。

「……Lucia」

 ぽつりと呟いて出た女性の名前であろう単語に、琉生の片膝を抱く手に力が篭る。
 琉生は寝る時も自身の首にかけているネックレスに触れると、そのネックレスに通っているリングに手をやった。
 そのネックレスは、シンプルな形のシルバーのリングが二つ通されている。
 そう、彼女が帰って来なかったのは、今日のようなやたら雨が強く降っている日だった。



 琉生は生まれこそ日本だが、五歳の時に父親の仕事の都合で転勤する事になり、それからはアメリカで育った。
 能力は生まれ持っていたわけではなく、開花した理由は友人たちと人気のないところで遊んでいたところに魔物が現れ、どうにか友人と自分を守ろうとした事だった。
 それがきっかけで、中学校を卒業すると同時にアメリカの討伐団養成学院に入学し、実家が遠かったのもあり寮に入る事となった。
 アメリカの学生寮は基本的に相部屋が多い事は知っていたし、だからどんな子と相部屋になるのかとどきどきしていたのを覚えている。
 そこで琉生は初めてルーシャと出会った。

「貴方がルイ?日本人なのよね、私日本が大好きなのよ、私はルシア・オズバーン。仲が良い人はルーシャって呼ぶのよ、よろしくね」
「ルーシャだね、俺は琉生。ルイ・イツミ。こちらこそよろしく」

 ルーシャは笑顔が魅力的で、優しく、芯の強い女性だった。昔から大して今と変わらないような男勝りな性格であった琉生とは真逆で女の子らしい性格。
 好みも色々と真逆だったが、琉生とルシアは短期間で驚くほど仲良くなった。
 そして、いつしか琉生のルシアに対する感情は友人へのそれから、異性に対するものへとなっていった。そこで琉生はようやく気付く。
 自分は、体こそ女であれど心は男なのだと。
 今までそういった事の片鱗がなかったわけでは決してなく、強いて言うなら周りも自分も気付く事がなかった故に、遅れて気付いた事だった。
 だが琉生はその気持ちを押し込め、できるだけ平静を装ってルシアに以前となんら変わりない態度を取るようにする事にした。
 ある日、次の日には定期試験があるにも関わらず遅くまで雑談に花を咲かせていた琉生とルシアは、時計を見て驚き、流石にもう寝ようと苦笑しあいながらそれぞれベッドに潜ろうと話を止めた。
 だが、寝ようとする琉生をルシアが引き止めた。
 振り返って見たルシアの顔はどことなく不安げで、憂いを帯びた顔で月明かりを浴びるルシアは、目を離せば消えてしまいそうな気がした。

「ねえ琉生、同性を好きになってしまう事って罪なのかしら」
「……え?」

 一瞬、金槌で頭をぶん殴られたかのような衝撃が琉生を襲った。続いて、冷静になった頭に様々な思考が浮かんでは消えていく。
 何故そんな事をルーシャが言い始めた?自分の気持ちがバレたのか?それともルーシャが自分ではない、別の女性を好きになったのか?
 思考がとどまる事を知らず、次々と浮かぶ内容が切り替わっていく中、窓から視線を外し、ついで琉生を見たルシアの目には涙が溢れており、一滴、頬を伝って流れ落ちた。

「……ッ!」
「……琉生?」

 次の瞬間、琉生はルシアを抱き締めていた。耳元で困惑するようなルシアの声が聞こえるが、返事をする余裕もないまま、ルシアを抱き締める腕に力が籠もる。

「俺は、罪でもなんでもないと思う」
「琉生……」
「好きになろうと思ってなるもんじゃないだろ、そういうのって」

 ああ、自分の想いがばれてしまうだろうか。
 琉生はそう思案しながらも、ルシアの背中を優しく撫でながら、思った事をぽつりぽつりと告げていく。
 ルシアは琉生の言葉にしばらく沈黙を返すと、しばらくしてそっと琉生の背中に手を添えた。

「うん、そうね。ありがとう」
「どういたしまして。ほら、明日は定期試験だ。早く寝よう」

 琉生は指で彼女の涙をすくうと、今までの自分の行動を誤魔化す様に早口で告げながら、優しく頭を撫でた。
 ルシアもそれに頷き、二人はベッドに入る。

「おやすみ。琉生」
「おやすみ、ルーシャ」

 そして琉生にとって忘れられない日が訪れる。
 その日は朝からどことなく落ち着かなく、気持ちがはやる中起床する予定の時間よりも一時間ほど早く起きた琉生は、早めに朝の支度を済ませていた。
 その中で、琉生の机の引き出しの中から、一つの箱を取り出すと、その中身を確認して、また引き出しの中に入れた。
 その箱の中身こそ、今の琉生の首にかかっているリングだった。ルシアに想いを告げるために購入し、渡すタイミングもないままずっと引き出しに入っていたものだ。
 琉生はこの日、とうとうルシアに自身の恋愛感情を告げようと決意していた。
 先日の夜の事もある、もしもルシアが自分以外の誰かが好きなのであれば、せめて想いだけでも告げたい、というのが本音だった。
 だが言いようのない不安が訪れている琉生は、険しい顔でリビングのソファに座り、その不安の正体を探ろうと空中に視線をさ迷わせる。

「怖い顔してる、どうしたの?琉生」
「びっくりした。おはよう、ルーシャ」
「おはよう」

 突如ルシアが琉生の顔を覗きこんだため、琉生の視界にはルシアのアップとなり、思わずソファからひっくり返るところだった琉生は、しかしなんとか持ち堪えた。
 若干ソファからずり落ちながらも挨拶をすると、ルーシャからも挨拶を返される。顔を見てみたところ、どうやらあの後特に眠れなかった事はないらしく、琉生は安心した。

「今日は定期試験の実戦だね」
「ええ、がんばらなくちゃ」

 ちらり、と窓の外を盗み見ると空はどんよりとしており、如何にも降りそうな気配だった。
 朝食をとり、寮を出る時間まで二人でのんびりと話をしていると、やがて寮を出なければいけない時間になった。

「そうだルーシャ、今日話があるんだ」

 荷物を持ち、部屋を出ようとするルシアに琉生が後ろから声をかける。するとルシアはドアノブに手をかけながら、不思議そうな顔をして琉生の方に振り向いた。

「今日?今じゃなくて?」
「そう、今日。大事な話があるんだ」
「そっか、分かった。じゃあ今日は真っ直ぐ帰ってこなきゃね」

 にっこりと笑ったルシアがまたドアに向き直り、ドアノブをひねる。
 その後姿にまた何か言いようのない不安が過ぎった琉生は、先を行くルシアの腕を掴みたい衝動に駆られた。
 しかし、遅れて伸ばしたその右手はルシアの腕を掴むこともなく、すり抜ける。

「さ、行こ!琉生」
「あ、ああ」

 琉生のすり抜けた右手は、無意識に自分の服を強く握り締めた。
 そうして集合場所でルシアと分かれ、チームメイトと合流し、定期試験が始まる。
 そして、定期試験が終わった後、どれだけ部屋で待とうとルシアは二度と学生寮の部屋には帰ってこなかった。
 代わりに慌ただしく寮の部屋を開けてやってきたのは、ルシアのチームメイトであり、琉生が学院で仲良くしている男子だった。
 顔には包帯が巻かれ、体のあちこちに傷を負っている彼は、泣きじゃくりながら、琉生に謝罪を続け、最後に、ルシアが今日の定期試験で死んだ事を告げた。

「すまない、守れなかった……!むしろ俺は、彼女に、ルーシャに庇われて、それで、俺一人だけのうのうと!」
「アドルフ」
「俺は、リーダー失格だ……!チームメイトを三人も死なせた、俺は」
「アドルフ!」

 思わず荒げた琉生の声に、アドルフが顔を上げる。

「……もういい、お前が生きてるだろ。大丈夫、俺は大丈夫だから」
「琉生……」
「お前だけでも生きててくれて良かったよ」

 それは確かに本心だった。本心であったが、俺はあの時しっかりとアドルフが安心できる表情を浮かべられていたのだろうか。




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