「目蓋の裏」 01 [ 24/50 ]


 時は七月。天に昇る太陽はジリジリと我々の肌を焦がし、セミが大合唱を始める季節。しかし今はその太陽もほぼ沈みかけ、琉生のいる喫煙所と、琉生自身をオレンジ色に染めていた。
 夏休み前にある定期試験も何とか終わり、あとは夏休みが来るだけだと生徒たちがそわそわしているのを見るのは、毎年ほほえましいものがあった。
 しかし、琉生にとって夏休み前、という感覚はどうにも気分によろしくない。短くなった煙草の火をもみ消し、灰皿に落とすと、本日何本目かも分からない新しい煙草を箱から取り出し火をつけた。
 吸った煙を肺に入れ、吐き出す。喫煙所とはいえ、他の場所に比べると簡易的であるここは周りと灰皿周りを隔てる柵しかなく、座るような場所もない。
 屋根など当然あるわけがないため、吐き出した空気は上に昇って行き、霧散して消えた。
 それを眺めていると、ふと琉生の耳に足音が届く。
 足音の方を眺めていると、やがて足音の主が姿を現した。

「あれ、先生」
「……宗像兄か。珍しいなこんなところで。お前吸うような奴だったか?」

 それは在学二年目であるチーム宗像のリーダーである宗像新介だった。いわゆるコワモテの顔とは裏腹に、実に真面目で優しく面倒見の良い青年。
 そんな新介が煙草を吸うイメージというものがなかった琉生は、自分の吸っていた煙草を持ち上げながら疑問を問うと、新介から「まぁ」と返答される。

「付き合い上の関係で、たまに。しーちゃん……妹の体が丈夫ではないので本当たまにですけど」
「あー……志織だっけか」
「そうです」

 志織、というのがまさに新介の妹の名だった。宗像志織。新介と同じ在学二年目のチームキュートのリーダーであり、ここ最近はどうも一年目に比べ、色々と慌しくすごしているようにも見える。

「最近どうにも怪我が多いもんで、兄としては中々心配で」
「あーなるほど。お前シスコン入ってたなそういえばな」
「妹がいなくなったら俺は死ぬ」
「生きてくれ」

 遠い目をする新介を横目で見つつ、最近怪我が多いという一言を聞いて、言われてみると現時点で例年よりも遥かに問題発生の多い年だったな、と琉生はぼんやり考える。
 定期試験だったり実践演習だったり、はたまた学院の関係ないところなど発生する場所は様々だったが。
 チーム名決まらんの斎宮路は特にここ最近の時期にやたらと問題に巻き込まれていた気もする。

「まあ子供なんて俺らが知らない間に知らないところで成長してるもんだからなあ」
「そうですね。子供が離れていくのは嬉しいけど、少し寂しいもんです」
「まったくだ」

 話している間に長くなってきていた灰を灰皿に落とす。そのまま短くなった煙草をどうするか、もう一本吸うか悩んでいるところで、丁度新介がまだ少し吸えるだろう煙草の火をもみ消して、灰皿に捨てた。

「それじゃ、妹も家で待ってるでしょうから俺はこれで。失礼します逸見先生」
「おう、お疲れさん宗像兄。気を付けて帰れよ」

 琉生に一度頭を下げ、持ち歩き用の消臭スプレーを自分にかけて立ち去っていく新介の背中を眺めながら、吸い続ける気分も削がれた琉生は迷っていた煙草をそのまま灰皿に捨てる。
 喫煙所を出ながら、自分の消臭スプレーを探していると、ふと見慣れた顔が視界に入り、顔を上げる。そこにいたのは、琉生の元チームメイトであるルチルダ・デューイだった。

「ルチルダ」

 ルチルダは琉生に対して何かを言おうと口を開いたところで、ルチルダの眉間に皺が寄る。

「ずいぶんと煙草くさいわね、どれだけあそこにいたの?」
「……あー、さぁ?時間見てなかったからイマイチ……ってもうこんな時間かよ」
「全く……気持ちは分かるけど少し影響されやすすぎね。アルが呼んでるのにも気付いてないみたいだし」
「アルに?」

 ルチルダに言われ、琉生はそこで初めて自身のポケットの中に入れていたスマホを取り出すと、そこにはアルからの連絡が数件。
 中身を見てみれば、話があるから学院の中にある給湯室に一旦集まれとの事だった。アルからの連絡が届いてから、一時間近く経とうとしている。

「全く気付いてなかったのね……。私達も丁度学院に用があって来てたのよ。それで、指定された時間になっていつまで経っても貴方が来ないから喫煙所を回ってれば会えると思ったわ。ほらさっさと消臭して、行くわよ」
「……ああ、悪い」

 とすると自分はどれだけ長い間あの喫煙所にいたのだろうか。消臭スプレーを吹きかけた後にふと思い至ってごくたまに、一本しか吸わない煙草の中身を見ると一本も入っていなかった。
 確かこの箱を買ったのはつい最近ではなかったか。そう思い自分がかなり長い間あの喫煙所にいた事をようやく自覚した琉生は、小さく自嘲するような笑みを零す。

「お待たせ、連れてきたわ」
「悪い、待たせた」
「久しぶりだね琉生」
「ああ、久しぶり。ニコ」

 優しく笑いかけるニコラスと琉生は久々だが、ニコラスの笑顔はいつもと変わらない。
 そこに少し安心しつつ、琉生もニコラスに笑いかけると、遅れて来た琉生を見てからここまで黙っていたアルバートが口を開いた。

「遅い」
「悪かったって」

 いかにも不機嫌なアルバートに琉生はもう一度謝罪する。
 すると、アルバートは一度深くため息を付いてから改めてこの場に集まった三人を見渡した。続いて、回りに人がいない事を確認してから、日本語ではなく、英語で話し始めた。

「実は先日アメリカの学院で世話になったミスター・ライランズからメールが来てな」
「ライランズ先生から?」
「そうだ」

 出てくるとは思っていなかった名前に、思わず琉生が目を丸くして名前をアルバートに続いて呟いた。
 アメリカの学院にいるライランズ先生というのは琉生達チームItsumiがまだ学生の時にやたらと真摯に声をかけてくれていた学院の先生だった。
 学院を卒業して数年経ったとはいえ、恩師とも言えるその先生の名前を忘れる事はない。

「内容は、どうも向こうの実践演習で使う場所にかなり大型の魔物が数頭棲みついているらしくてな。それの討伐を討伐団ではなく俺らに頼みたい、との事だった」
「て事は俺も?」

 討伐団に頼むのであれば、ニコラスとルチルダにメールを出せばいい。そもそも、討伐団自体に依頼を出せばいいだけの事だ。
 それが、討伐団ではなくアルバートに来ている時点で、琉生も含む「元チームItsumi」への依頼である事が分かった琉生は、少し眉間に皺を寄せる。
 アルバートはその如何にも嫌そうな顔をしている琉生を真っ直ぐに見据え、答えた。

「当たり前だ」
「……だよな」
「他の連中だったら討伐団に回せ、と即答するところだがなんせ依頼主はあのミスター・ライランズだ。邪険にするわけにもいかねえだろ」
「それはそうね。私達全体的に彼に迷惑かけたもの」
「ライランズさんの頼みとなったら私も受けたいかな」

 嫌そうな顔をする琉生とは裏腹に、肯定的な態度を取るルチルダとニコラス。
 琉生もライランズ先生の事が嫌いなわけではない。むしろどちらかといえばこのチーム内でライランズに世話になったのは琉生だった。
 故にライランズの依頼を受ける事には反対ではない。ないが、琉生にとって場所が悪い。

「とはいえ俺も琉生も今やこの学院の教師だ。依頼とはいえおいそれと離れるわけにはいかない。だから夏休みが始まってからでいい、との事だった」
「それなら琉生もアルも行けるものね」
「そういう事だ。どうも俺たちの顔も久々に見たいらしくてな。彼もそれなりの歳だ、そろそろ退職を考えているのかもしれん」
「それなら尚更だね」

 次々と話を進めていく三人に対し、琉生の表情は晴れない。ニコラスは、琉生の肩にそっと触れると、優しく微笑みかけた。

「ライランズさんの頼みとなったら琉生は尚更なんじゃないかな?」
「そう、だけど」
「何をグズグズしてやがる、そんなに嫌ならとっとと依頼を終わらせて挨拶して帰ればいいだけの話だろうが」

 琉生の表情が晴れない理由を知らない三人ではない。かといって、琉生を甘やかすような三人でもない。
 ここまで言われてしまい、且つ頼みはあのライランズ先生だ。そこまで来てしまうと、琉生としても断固断る気持ちにもならず、一度大きいため息をついた。

「分かった、分かったよ。良いと思う。行こう」
「決まりだな。細かい日程は後々連絡する。俺からの話はこれで終わりだ」

 リーダーは自分の筈じゃなかったか、と仕切るアルバートを眺めつつ、諦めるしかなくなったという事実に、琉生はまたもやため息をつくのだった。



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