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 ジリリリリ、と聞き慣れた音がどこか遠くでなっている気がして、やがて透真の意識は浮上した。寝ていた体を起こして、うるさく主張する時計を叩いて止める。
 昔から使っていて、実家から持ってきたそれの時間を見ると、八時二分。どうやら二分間目覚まし時計が鳴り続けている間寝ていたらしい。
 寝惚けた頭を覚醒させるために冷たい水で顔を洗えば、嫌でも目が覚めた。
 気付けば学院に入学してから一ヶ月が経とうとしていた。本日の日付は四月の最後の週をさしており、世間はゴールデンウィークで賑わっている。
 学院に入学する前なら長い休みに歓喜して遊びほうけていただろうが、今となってはそういうわけにもいかない。この長い休みが終わったあとには、在籍一年目である透真たちにとって初めての実践演習が待っている。
 この長い休みを使って特訓を続け、実践演習への準備を万端にこなしている人もいると思うと自分もじっとしていられないのが本音だった。
 更にゴールデンウィークには観月の特訓に付き合う約束もしているため、一日二日ならいいかもしれないが、流石に昔のように遊びほうけることはできない。

「っと、のんびりしてたら観月が来ちまう」

 昔から起こされているというのは事実だが、流石に寮に入ってまでやられると恥ずかしいものがある。朝に弱い透真が悪いのかもしれないが、いかんせん早起きというものは昔から苦手だった。
 時計を見れば二つの針は八時十五分をさしている。あと十分ほどちんたらしていればすぐに観月は来てしまうだろう。透真は慌てて服を脱ぎ捨てて着替えると、寮にある食堂へと向かった。
 寮の廊下を歩き、食堂のある棟について食堂に足を踏み入れると、どうやらそこで少しの間待っていたらしい観月の姿が目に入る。

「おはよう観月!」
「あ、おはよう透真。今日はちゃんと起きたんだ?」
「俺はいつだって進化し続けるからな」
「はいはいそのまま一人で毎朝起きてくれると手がかからなくていいわ」

 反論ができないために無言でじとっと異議を訴えるが、それもかわされ「ほらご飯食べましょ。時間終わっちゃうわよ」と観月が席を立ち上がる。
 その手に握られている財布を見て、透真は思わず「あ」と間抜けな声を漏らす。それを聞いて何をしたのかと観月が振り帰り、透真の顔を見て、透真の手を見て、溜め息をついた。

「財布忘れた」
「やっぱり……」

 焦って着替えて出てきたために財布を部屋に置いてきてしまった。それを声に出せば、観月はもう一度大きな溜め息をつく。今回ばかりは俺も仕方ないと思う。うん。

「しょうがないから今朝のは出してあげる。今度おごってよね?」
「悪いな、任せろ!」
「まったくもう……」

 何を食べるかはもう決めていたから「注文もその調子で頼む!」と言うと、観月に「それは却下」と即答されたので、渋々観月の後をついて注文に行く。
 朝ごはんを注文して、受け取ってから席について食事を取ろうとした時、ふと見知った顔を見つけて、思わず目がその人を追う。
 確かこの前観月に話しかけてた……東西だっけ?
 自信がないだけに首をひねるが、それで答えが出るかと聞かれたら勿論否だ。観月の方を見れば観月は気付いていないようだったので、透真も気にしないことにして食事を再開した。

「それにしてもお前から特訓に付き合ってほしいなんて言われると思わなかったよ」

 透真がみそ汁をすすりながら話しかければ、向かいで白米を口に運ぼうとしていた観月はその手を止めた。茶碗と箸を持ち上げていた手を下ろす。

「……ちょっとね。私だって悔しいとか感じる事もあるんだよ」

 そう言って笑った観月の顔は、一瞬今までに見た事のない顔で、笑っているけど泣いているような、悔しがっているような、よく分からない顔だった。
 それにあっけにとられて動きが止まっている透真を不思議に思ったのか、観月の「透真?」という自身を呼ぶ声ではっとする。

「悪い悪い、ちょっとぼーっとしてた」
「まだ寝惚けてるんじゃないの?」
「流石に起きてますー」
「それはようござんした」

 くだらないやり取りをしながら朝食を取り終え、そろそろ行こうかと椅子を引いて寮を出るべく立ち上がる。
 各自既に動きやすい格好に着替えてはいるから、観月に待っててもらって、透真は部屋に財布を取りに戻る事にした。
 男子寮の自分の部屋に入り、机の上に投げやりに置かれている財布を手にとる。
 正直な話、観月から特訓をしようと言い出した事はなかっただけにとても驚いた。それが観月にとってどんな心境の変化なのか、どんな考えをした上での結論なのか、そういったことは透真は観月ではないから分からない。
 驚いたと共に、心配でもあった。観月は透真とは違う。戦闘とかそういった事が得意なわけでもなければ、討伐団に夢を持っているわけでもない。それが学院に着いてくるというだけでも心配だったのに、更に彼女はしっかり戦おうというのだ。
 止めたい、かは分からないけどお勧めはしたくなかった。透真についてきただけという理由で、観月が巻き込まれる必要は無い。
 でも、と考えかけて、考え事をうだうだを続けるのも自分らしくないと、透真は一旦手にとった財布を机に置いて、ばちん!と両手で顔を叩いた。

「……よしっ!」

 一つ大きく頷いて、再び財布を持って部屋を出る。あの観月が協力をしてほしいと透真に言ったからには、それに答えないと、という想いが強かった。

「悪い観月待たせた!」
「遅い!」
「責めるなよー、どこに置いたか忘れたんだって」
「もう、寮に入ったからには少しはしっかりしなさいよー」

 待たせた観月に謝罪をして、学院の裏山を使わせてもらうためにも学院の生徒課に向かうべく、寮を出て学院への道を歩き出す。
 ゴールデンウィーク一日目である本日の天気は良好で、青く澄み渡った空にはわたあめのような白い雲と、春らしい暖かさで照らしてくれる太陽が浮かんでいる。風が吹いて、透真たちの髪を揺らした。
 学院に着くまでの道はいつも通り他愛ないやりとりや、やれ宿題やったかだの能力についてだのといった世間話をして、生徒課に辿り着いた。

「はい、オッケーですよ」
「ありがとうございます」

 生徒課にいる事務員さんに許可を貰い、観月がお礼と共にぺこりと頭を下げるのに習って、透真もお礼と軽く会釈をすると、森に入るために今度は北門へと歩を進める。
 ちらほらと見える学院生たちを横目に、北門から森に入って、それなりに歩いて中腹あたりに来た辺りで、足を止めた。

「この辺で良いだろ」
「そうね」

 着いたはいいけど、何をしたものか。観月の特訓に付き合うという名目で来たのはいいが、観月からどうしたいという話を聞いているわけでもないし、正直何も考えていなかった。
 どうしたものかな、と透真が頭を悩ませていると、観月が「透真」と一言。透真が観月の方に顔を向けると、真剣な顔をしている観月がいた。

「私に、戦い方を教えてほしい」
「……俺は観月にそれは」
「透真、私怒るよ」

 話している間に無意識に俯いていた顔を上げれば、観月は真剣な顔のままこっちを見ていた。その顔は本人が宣言しているように怒っているように感じて、思わず視線を逸らす。

「透真が気乗りしないのも分かる。でもね、私が決めた事なの。ここに来る事を選んだのも、今こうやって透真と向かい合ってるのも私が選んだ道。私は、後悔したくない」
「観月」
「それに言ったでしょ。手伝える事はあれば声かけてって。協力してくれるって言ったのは透真なんだから、責任取ってもらうからね」

 ――あぁ、こいつは、観月はこんなに真っ直ぐな目をしてたっけ。
 怒る観月の顔を見てぼんやりとそう考え、今まですぐそこにあった筈の遠く懐かしい記憶に透真は意識を飛ばして探ってみる。が、記憶の中にはない。
 思えばずっと自分の後ろを歩いていた観月が、横に立とうとするのは初めてかもしれない。透真が手を引く事もなく、観月自ら。
 前に観月に宣言した事もある。観月の覚悟もある。それならば、透真がやる事はただ一つだった。

「おう、任せとけ」
「そう言ってくれるって信じてた」

 透真が真っ直ぐに観月を見つめ返して、右の拳を差し出す。
 観月はへにゃりと脱力したように笑って右手の拳を差し出してきた。こつん、とぶつかりあうそれは、今までなら観月に受け止められていたものだ。
 変わろうとしているんだ、こいつは。それなら俺だって応えないと、観月の覚悟に、気持ちに失礼だよな。

「戦い方なぁ……俺に教えられるのなんて体術くらいだぜ?」
「それでいいの。私の能力なんてこれだから自衛向きじゃないし」

 言いながら観月がとんとんと自分の左手首にある紋章を右手の人差し指で叩く。まぁ、それもそうか。
 重力を操る能力、なんて敵にかけて妨害とか、仲間にかけてサポートとかはできるとはいえ、自分にかけて身軽にしたとしてもその自分が動けてなきゃ意味がない。

「あとはあれだ、俺だって正式に習ったわけじゃなくて親父に叩きこまれたもんだし、技とか型だってねえよ?」
「技とか型とか、魔物相手にそれを気にしたらそっちに集中しちゃうからまずは動き方だけでも、って思ったの」
「あぁ、なるほど。それは確かに」

 となると、と透真は続けて考える。問題は透真の教え方だ。
 透真はお世辞にも人に物を教えるのが上手いとは言えない。むしろ下手な部類だろう。というのも、何をするにも感覚とか直感的なものであるというのがまず第一だ。第二に、それを言葉で表す表現力やらがない。
 そもそも、透真が教えられた方法も父さんにまずは体感するのが一番良いと投げられたりだの殴られたりだのといったものだ。それを観月にそのままやるのはよろしくないだろう。

「観月投げ飛ばすのはなー……」
「別にそれでもいいけど」
「駄目だろ!」

 うーん、と唸りながら独り言のように飛び出た悩みを聞いた観月がきょとんとしながら返したのに対して思わず大きな声でツッコミを入れる。
 「別にそれも覚悟の上だったんだけど」と観月はけろりとしながら更に言ってくるが、流石に喧嘩相手でも同じ男でもない幼馴染の女の子相手にそれをやるのはどうなんだ、と思う。
 というか、父さん的に言えば男が廃る?

「流石に駄目だろ。つってもなー、俺じゃ教え方も下手くそっていうか」
「あーやっぱりそこよねぇ」

 そう言って観月は案の定と言った感じに溜め息を付いて少し肩を落とす。いや、流石にそれは俺に失礼だろ。

「実は東西くんにも一緒に特訓しないか、って誘われて……ゼロから迷惑かけるわけにもいかないからせめてって思ったんだけどやっぱ透真じゃ厳しいかぁ……」
「そういう事だったんだな。俺だって協力してやりたいけどなぁ……って待てお前今すげー失礼な事言わなかったか?」
「気のせいじゃない?」
「気のせいじゃない!」

 観月に対して透真が反論した瞬間、すぐ近くでガサガサという音が透真の耳に届く。咄嗟に音の発生源の方向を見ると、透真たちよりも少し距離のある草が揺れ、何かが動いているのが分かった。
 音を立て、揺れている草は人の姿が見えなくなるとか、そんなに背の高いものではないが原因は見えない。ここは危険区域ではないから、魔物ではないと思うけど危険区域の入り口が近いだけに一応用心をしておく。野生の動物か何かだろうか。
 透真が会話を止めたからか、観月も音には気付いているらしくそちらを見つめている。
 透真がかがみ、地面に触れて己の能力で作り上げた剣を引き抜いたその時だった。

「グアアアアアッ!」
「ッ観月下がれ!」

 明らかに人の物ではない、かと言って獣にしては随分と高めの鳴き声を出すそれが飛び出してきた。噛み付くように襲いかかってきたそれを剣で防ぎ、剣を大きく振るって剣に噛み付いたそれを吹き飛ばす。
 大木に強く体を打ちつけた、樹が小さくなったような外見を持つそれは、生き物でいう足にあたる部分がタコのように樹の根っこらしき足が複数生えていて、うねうねと脈打っている。
 体の真ん中に付いている大きく開く口からは無数の牙が見えた。
 どう見ても魔物だ。どうしてこんな所に。
 観月が透真より後ろに下がったのを見て剣を強く握りなおす。実戦はゴールデンウィーク明けで、今はゴールデンウィーク。まだした事のない、しかも安全性は保証されていない実戦に、足が少し怯えるのが自分で分かった。
 魔物がどう出るか、一挙一動に集中する。魔物も様子を見ているらしい、ならばこちらからと、利き足を踏み込んだ瞬間――

「止まりなさい」

 ――それは踊るように現れた。
 背中ほどまであるだろうか、艶やかな漆黒の髪を持つ女性が、透真と魔物の間に割り込んだ。綺麗な漆黒が揺れる。手には、青白く輝く大鎌が握られていた。

「さっさと自分でケツ拭いてくれる?」
「うるせえな分かってらァ!」

 低めでドスの利いた男の声がした瞬間に、またもや影が割り込んだ。
 影が割り込むと共に、透真の位置からでは女性でよく見えないが、魔物が燃え上がる。魔物の断末魔のようなか細い悲鳴が聞こえなくなると、その女性は透真に背を向ける事をやめた。

「大丈夫?」
「え、あ……ハイ」

 動揺しながら女性に返事を返す。後ろにいる観月を見ると観月も動揺しているようだった。
 返事をした透真に女性は「そう」と返すとまたくるりと透真と観月に背を向けた。と同時に手にしていた大鎌の持ち手側で割り込んだ影――どうやら男性らしい。片手に剣を持っている――の頭を殴る。

「だから貴方とはやりたくないのよクズ原」
「まさかこんな雑魚取り逃がすと思わねえだろうが!」
「その雑魚に不意を突かれた雑魚はどこの誰かしら」
「そもそもこんなメンドクセー仕事持ってくるお前が悪いんだよ」
「仕事がないからって日々飲んだくれて暇だ暇だってうるさかったクズは……あぁ、目の前にいたわ」
「そりゃ悪うござんしたねェ!?わざわざアリガトウゴザイマス」
「ええ感謝なさい、そして感謝したからにはちゃんとその仕事をこなしなさい」
「へいへい。つってもコイツで終わりだろ」
「そうね」

 女性はたんたんと、男性はぎゃーぎゃーとやかましく口論をするのを見て、なんというか、透真の肩が無意識に落ちる。どうやら、話し方的に仕事中の討伐団員らしい。
 足の怯えは止まっていた。
 女性が大鎌を持つ手を腰にやって、次いでその手を振った時には大鎌は消えていた。いつの間に持ったのか、瓶に少量の水が入っており、女性はその瓶の蓋を閉めると、またもや身を翻した。

「この馬鹿のせいで迷惑かけてごめんなさいね」
「いや……助けてくれて、ありがとうございます」
「あ?この間すれ違ったガキじゃねえか」

 そう言って女性の後ろから顔を出したのは、銀髪の男性だった。目つきが悪い。
 あ、とそこでふと透真は少し前に学院ですれ違った銀髪の男性を思い出した。改めて男性を見ると、確かに似ている。
 するとその男性は「っと、ちょっと待てよ」と一言透真たちに声をかけると、その場にしゃがみこんで、剣を地面に突き刺す。
 すると剣は切っ先からどんどんと地面に飲み込まれていき、やがて見えなくなった。男性が地面から手を離してみても、その剣の持ち手は見えない。
 ――もしかして、と思った。透真にとって見覚えのある、感じ覚えのあるような感覚に思わず唾が喉を通った。

「あの!」
「あ?」
「能力!何ですか!」

 ぐっと拳を握って、男性にそう声をかける。男性は透真を見て、透真の右手に手をやると、一つ頷いた。

「茶だぜ。能力はきっとお前と同じもんだ」

 透真の胸が高鳴るのが、透真自身分かった。地面に付けている足から沸き立つそれに、全身が震える。

「俺に能力教えてくれないか!?」

 透真を見る男性がニヤリと笑った。

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