最近思う事がある。私は嘗て鍾士季と言う人間だったが、今は名も境遇も違う全く別の他者として生きている。それは彼も、彼等にも同様に言える事だ。ならば私は――恐らく「私」の感情を受け継いだであろう私は、彼では無く「彼」に好意を抱いているのではないか。焦がれていたのは目の前の彼では無く、司馬子上唯一人だったのではないか。ならば、これは何だ。
まるで、彼を代わりにしている様だ。



「…え、何?」

「だから、したいんですよ」

「いや、何を?」

「キスとか」

告げた言葉は彼の驚愕を誘った訳では無く笑いのツボを押してしまった様だ。飲んでいた珈琲牛乳が気管に入ってしまったらしく激しく咳き込む彼を見ながら、ああその儘だ、と目を細めた。彼は間違い無く「彼」だ。それは確信している。

「っおま、もっとエロい事要求するだろ普通」

「残念ながら一応ノンケだったので」

「じゃあ俺は何だ、お前からだと女に見えるのか?」

「先輩は男前ですよ」

「っ、意味わかんね、腹筋、死、ぬ、!」

腹を抱えながら屋上でのたうち回る彼の手首を掴んで引き寄せる。行動に移すとは思っていなかったのだろう、一瞬だけ怯んだ彼の頬を撫でてから何もせずに離した。あ、間抜け面。写メ写メ。

「――ちょ、消せよそれ」

「嫌ですよ、待ち受けにします」

「な、」

端から見たら仲の良い先輩後輩が戯れているように見える光景だったが、それで間違いないのかも知れない。実際自分も心地好ささえ感じていた。ただ、彼に対する好意を疑ったままで。

「拗ねないで下さい、何か奢りますから」

「え、許す」

彼の言動の一つ一つがあの影を掠めて落ちる。記憶とはかけ離れた日常を謳歌している自分に嫌気が差した訳ではない。寧ろ、可能な限りこの日常を過ごして行きたいのが自分の本音だった。けれど気が付きそうだ、私が見ているのは彼ではない事に。それが結果として彼を利用している事実に繋がる事に。

「先輩」

「何だよ」

「いえ、何も」

駄目だ、もう私は気付いている。



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