あれからどれだけ経ったのだろう。この窓も時計も無い部屋で、ただただ眠っては目覚め、を繰り返し、時の流れも分からないまま人間なのか家畜なのか分からない生活をしている。あれから何ヵ月も経った様にも思えるし、何日しか経っていない様にも思える。私の体内時計はすっかり狂ってしまっている様だ。

「なまえ、食事を持ってきた。食べると良い」

この男は柳蓮二と云い、彼と私は以前から交際していて所詮、恋人同士と云う関係らしい。"らしい"と云うのは、私が最初にこの部屋で目覚めた時以前の記憶が無いからだ。彼から聞いた話しによると、私は以前、職場で上司や同僚から陰湿な虐め受けており、そのストレスから鬱病を発症し、自殺を図ったのだそうだ。そして睡眠薬を大量に服用した際の後遺症として一時的に記憶喪失になったのでは無いか、と彼は自分の名前も、恋人であった彼の名前も分からなかった私にそう教えてくれた。言われてみれば自分の腕を見ると利き腕では無い方の腕には幾つもの真新しい切り傷の様な物があり、自傷行為の後が見られた。彼は、今まで気付いてやれなくてすまない、どれだけ時間が経っても良い、共にゆっくり歩んで行こうと言ってくれた。彼の事は全く覚えていないけれど、とても優しい人だと思った。それから私はこの部屋で生活している。

「どうだ、味付けは薄く無いか?」
『大丈夫です…柳、さん』
「治療への第一歩として、恋人である俺の事は名前で呼んでくれと言った筈だが?」
『すいません』
「いや、恋人に名前を呼んで貰えなくて俺も焦ってしまった様だ。ゆっくり、慣れてくれれば良い」

いくら恋人だったとはいえ、記憶も全く無い状態で名前で呼ぶのはどうしても気が引けてしまう。でも柳さんは優しく笑って微笑んでくれた。そして、食事をしたら眠くなってしまい、私はそのまま深い眠りについた。そして、次の日(本当に次の日なのかは分からない)目覚めた時、何やら腕がじんじんと痛むので見てみると包帯が巻かれており、血が少し滲んでいた。取って見てみると、私の腕にはまた新しい切り傷が増えていた。たが、私には自傷行為をした記憶が無い。私の記憶は食事をした後に眠ってしまった所で終わっているけれど、その後に自傷行為に及んでいたのか。そんな事を考えていると、柳さんが部屋に入って来た。手には消毒液と新しいガーゼと包帯を持たれていた。

「おはよう。腕を見せてくれ。包帯を新しいものに替えよう」
『あの、これ…私が?』
「あぁ。昨日眠っていたら急に目を覚まし、錯乱状態になっていた。ひとまず落ち着かせる事は出来たが、温かい飲み物をと部屋を出て戻って来たら腕から血を流して倒れていた。」
『すいません。全然覚えて、無いです』
「あぁ、かなり錯乱していたようだからな。幸い傷はそんなに深くは無い。清潔にしておけば直ぐ治るだろう。だが、こんな事は止めてくれ…恋人が血を流して倒れているなんて心臓に悪すぎる。死んでしまったかと思った」

柳さんはとても辛そうな顔で私の腕を包帯の上から優しくそっと撫でた。そして私がごめんなさいと呟けば「お前が生きていて良かった」と私の背中を抱いてくれた。そうして包帯を交換し、しばらく二人で抱き締め合って時間を過ごした。そして柳さんが用意してくれた食事はなんだか昨日よりも優しく感じて涙が出た。お腹が一杯になった私は幸せな気持ちでまた眠りについた。今日は良い夢が見られそうだ。

だけど、また目が覚めたら傷が増えていた。昨日柳さんと約束したばかりなのに。しかもその時の記憶が無い。私はまた錯乱状態になってしまったのだろうか。柳さんはとても悲しそうな顔をしながら包帯を替えてくれた。そして食事をしてまた私は眠った。また次の日傷が増えていた。また次の日、次の日も。私は目覚める度に腕に新しい傷が増えてる。そして柳さんは悲しそうな顔をする。そして次の日も傷が増える。もうあれから何日経ったか分からないけれどある日、部屋に一人で居るときに誤って躓いてしまい、危うく転びそうになった。私は危ない物が無くて良かったと安心したがふと、1つ疑問を抱いた。この部屋にはベッドとソファー、そして大きな本棚しか無い。この部屋の鍵は外からも中からも鍵が必要になるので私は外には出られない。では、こんな状況で私はどうやって自傷行為に及ぶのか。そして私は何故、食事をすると毎回眠ってしまうのか。考えられるのはただ1つ。柳さんしかいない。しかし何故彼がこんな事をするのか。色々考えていたら私の記憶がフラッシュバックしてきて少し思い出した。私は職場で虐めなんて受けていなかったし、勿論自傷行為も自殺もしていない。そして何より、私の恋人は柳さんでは無いということだ。

『じゃあ、柳さんって誰…』

(20130525)
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