コンコン、と研究室のドアが二回ノックされたかと思えば、聞き覚えがある声した。私は返事をせず、今行っているレポートの採点の手を止め、杖で扉を開けば予測通りの人物がにこにこと微笑みを携えながら佇んで居た。

「……また来たのかね」
『すみません、いけませんでした?』


そうは言いつつも全く悪びれる様子も無い緑のネクタイを締めた女生徒を一瞥し、入る様に促せば、彼女はこれまた本気で思ってもいないように『失礼します』と気持ち程度の会釈をし、室内に入った。全くこの女生徒ーなまえ・みょうじは此処を己の寮の談話室かの様に慣れた動作でソファに座る。教師の研究室…ましてやこの私の所を訪れているのにも関わらず、こんなに寛いだ様子で悠々としていられる生徒が居るとはこの生徒の図太い神経には毎回感心させられる。魔法薬学が得意で私も何かと気をかけて居たが、少々甘やかしすぎたのだろうか。とはいえ、私としては他の生徒よりもこれを特別扱いしたつもりは毛頭無い。


「それで、何か用ですかな」
『いえ特には。私は居ないものと思って頂いて結構です』
「用も無いのに教師の部屋を訪れるとは感心しませんな。君がスリザリンの生徒でなかったら容赦無く減点した上に追い返している」
『あら、なら私はスリザリンに入った事、今日初めて組み分け帽子に感謝しなくてはいけませんね』


私の嫌味など意に介して居ないと言わんといった表情であっけからんと言葉を返す。この生徒は私の寮の生徒にしては珍しく、変わった生徒だ。成績は極めて優秀だがそれを鼻にかけず、自分の寮以外には否定的な生徒が多い中、それらにも愛想良く振る舞い、スリザリンお得意の狡猾さもあまり見られない。頻繁に私は、組み分け帽子はこの生徒の組み分けを間違えたのでは無いかと考える程だ。(事実、この生徒はレイブンクローとスリザリンかで危うく組み分け困難者になる所であった)まぁ実際に間違えて居たとして、アレが自分の間違いを認める等といった事は絶対に有り得ないが。


「…そんな事ばかり言うからスリザリンで浮いた存在になるのだろう」
『寮に友達は居なくても、スリザリンの生徒という事で教授が私を無下に扱わないでくださるなら全然苦ではありませんわ』


私は曲がりなりにも客人であるみょうじに杖でティーセットを寄越してやると、いつものにこにことした表情で紅茶を淹れ始める。彼女を横目に再びレポートに目をやり、それから採点を再開させた。それからは会話も無く、作業を進めて居ると、ふと、紅茶の良い香りがして手を止める。私の机にティーカップが置かれて居て、彼女は『どうぞ』と勧め、自分のティーカップに砂糖を一つ加えた。ティーカップは一つ分しか用意して居なかったが、どうやら私が作業している間にもう一つ呼び寄せていたらしい。一口紅茶に口を付けた彼女は紅茶の出来に口元を緩ませ、今は鼻いっぱいに香りを楽しんでいる様だった。ー彼女がスリザリンにとって異質な存在である事は、この学校全てに知られている事である。故に排他的なスリザリンの生徒からは距離を置かれ、普段の授業や食事時等は一人で居る事が多い。他の寮に友人は居ても、寮で行動する事の方が圧倒的に多いホグワーツではさぞかし窮屈だろうと思われるが、彼女はそれすらも気にして居ない様子でまた一口紅茶に口を付けた。


「…フン、全く手のかかる生徒で困ったものだ。早く卒業して私の手から離れて頂きたいものですな」
『ふふ、言われなくてももう卒業しますわよ』


微笑みながら此方を見るみょうじからは何処かいつもとは違う、何やら悲しみ、の様な物が見て取れた。私は一瞬、常に纏っている、最早無表情に近いあの微笑み以外にもこれは表情を作る事が出来るのかと少しばかり驚いた。(それくらい彼女は常に微笑みをたたえ、本当に笑って居るのか、はたまた腹の中では怒って居るのか解らないくらい同じ顔をしている)私は自分が思って居たよりも長くみょうじの顔を眺めて居た様で、不思議そうな顔をしたみょうじに『どうかされました?』と聞かれ、少し気恥ずかしくなり、誤魔化す様に一つ、咳払いをした。


「君は、スリザリンでは特異な生徒ではあったが、実に優秀な生徒でもあった。就職先は魔法省だったか。君なら卒業後どこに配属されても上手くやっていけるだろう」
『ありがとうございます。でも安定性を重視したとはいえ、魔法省に勤めるのはあまり気が乗りません。役人なんて柄ではありませんから』


そう言う彼女は、確かに魔法省に勤める様なタイプの人間では無く、どちらかと言うと、得意の魔法薬学を活かして研究職に就くものばかりと思って居た為、彼女の口から魔法省に決めた聞いた時は私も驚いた。研究職に就けば、今後少なからず付き合いが有るだろうと思って居たが、彼女が選んだのだから仕方ない。魔法薬学界は実に惜しい人材を逃したものだ。そんな事を考えて居たら不意にみょうじがまた先程迄の表情で口を開いた。


『ところで教授、年下の女はどう思われます?』


質問の内容が唐突過ぎて理解するのにはしっかりと10秒程掛かった。その間もみょうじは表情を崩す事無く此方を見て私の返答を待っている様だった。彼女が此処にくる様になって久しいが、この様な質問を投げ掛けれるのは初めてだ。みょうじがこんな事を言うとは思ってもみなかったので、正直面を食らってしまった。さも楽しそうに此方を見るみょうじに己の眉間にググっとシワが寄せられる感覚を感じたが、他の生徒にそんな質問をされ様ものならすかさず減点してやる所を今回はそんな気も起きないので、私はこの生徒をスリザリンだからというだけでは無く、他の生徒よりも可愛がっていると認めざるを得ない。

「………」
『質問には答えてくださらないのですか?』
「教師にする質問では無い」
『あら、教師だって人間ですもの。恋愛感情くらいお持ちでしょう?生徒の素朴な疑問に答えてください』
「………」
『先生?』
「………相手にもよる」
『私は、年上の男性が好みなんですけれども?』


そう言って彼女はまたいつもの微笑みで此方を見る。此方の反応を見て楽しむつもりなのだろうか、全く気に食わない。私は更に眉間にシワが寄るのも気にせず、訝しげな目を彼女に向けた。私がチッと舌打ちをしてもこの女生徒は表情を変えない。17歳そこそこの小娘にいい様にからかわれて居る。なんと忌々しい事か。


「言っている意味がわかりかねますな」


私がそう言うと、みょうじの顔からは、先程迄の私のあからさまに嫌そうな顔を見ても崩す事の無かった微笑みが消え失せ信じられない、と言った様に口をあんぐりと開けて目をぱちぱちとさせている。この様な表情をするみょうじを見るのも初めての事である。今度はみょうじがコホンと咳払いをし、『教授はそういう事に疎いとは思っていましたがこれ程とは…』等と小さく呟いた後、また微笑みながら口を開いた。


『教授が好きだと申し上げております』
「……それは一時的なものだ。閉鎖した学生生活で限られた相手の中で君の好みにかする男が私だけだったというだけの事。卒業したらすぐに無くなる。…忘れなさい」


私がそういうと、彼女は『そういうと思ってました』とにっこりと笑った。


『私もそういう可能性も考えましたので、一年間、魔法省で働いて色々な方と関わりを持ってみようと思います。一年後、また私が教授の前に現れたら、その時は、真摯なお返事、お願いしますね?』


それからきっかり一年後、彼女はまた私の目の前に現れ、『やっぱり教授以外の男性はみんなじゃがいも以下に見えてしまいますね』といつものように微笑んだ。

(20140712)
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