薄手のアウターを羽織りビル風を受けながら、まだ肌寒いオフィス街を歩く。本格的に舞い始めた花粉も相まって、油断すればずび、と鼻水がたれてくる。営業部からの急な依頼で、取引先に渡す手土産を買いに行くはめになった。営業部内で完結してもらえればいいものの、今日に限って引き継ぎなどで綺麗に出払っているらしい。そこで我が総務部に白羽の矢が立ったようだけれど、そうなってしまえばもちろん下っ端のわたしが行くしかない。忙しそうな先輩たちに代わって進んで手を上げ、外出の用事を承った。隣駅の百貨店まで行くのはまあまあ面倒くさいけれど、たまの外出は気分転換になるし、ランチも一緒に取ってきていいと言われている。
出来るだけゆっくり歩き、サボってやろうと思えばだんだん楽しくなってきた。依頼をしてきた営業部員は夕方前に一度帰社するというから、のんびりでいいのだ。

「名字さん」

信号待ちをしている車の横を歩幅を狭めてゆったりと歩いていれば、社用車に乗った卯木さんが、わたし以上にゆったりと優雅に手を振った。ただの社用車なのに、左ハンドルの外車のように見える。不思議だ。もちろんそんなことはなく、国産車だし右ハンドル。
ぺこりと頭を下げ、何事もなかったかのように歩き出すわたしに、卯木さんは左を指差す。なんだろう?そう考えている間に、信号は青に変わり、卯木さんの乗る車が左折して停車した。
・・・これ、無視したらどうなるんだろう。
そんなことを考えながら、恐る恐る車に向かって歩き出す。ちょっと考えてみただけだ。まさか、恐ろしくて本当に出来るわけがない。

「走って逃げられるかと思った」
「まさか、そんな失礼なことしませんよ」

バ、バレてる・・・。
っていうかこの人、なんでこんなところにいるんだろう。さすがに偶然すぎない?それに、よくわたしだって気づいたなあ。
・・・あ、まさか。

「失礼だな、ストーカーじゃないよ」
「え、また心読んでます?」
「全部口から出てるよ」
「えっ!?」

あはは、と大きな声で笑い出した卯木さんに、また騙されたのだと気づく。思わずむっとした表情をしてしまうわたしに、卯木さんはごめんごめん、と小さく謝り本題に入ろうとする。

「めずらしいね、外出?」
「はい、百貨店まで。営業部から手土産を買ってくるよう依頼があったんです」

だからついでにランチも、という言葉は、なんとなく言わない方がいい気がした。

「ランチは?」
「・・・こ、これからです」
「良かった、俺もなんだ。百貨店まで送るから、そのあと一緒にどう?」
「え、いや、でも」

この人、わかっているくせに、最早嫌がらせなんだろうか。今わたしが考えていることだって、きっともう心を読んでいるはず。

「そこのお店、チャイがとっても美味しいんだ」
「・・・・・・」
「ちかウサもおすすめしてたお店だよ」
「行きます」

決まり。にっこりと胡散臭い顔で笑う卯木さんが、早く乗って、と助手席を叩き乗車を促す。いや、でも。これはさすがに。社内で立ち話より、一緒にランチより、助手席に座ってるのを見られることが一番まずい気がするんだけど。いよいよ社内のキラキラ女子たちに抹殺されてしまうんじゃないか。
どこに座ろうかいつまでも考えのまとまらないわたしに痺れを切らしたのか、卯木さんは長い腕を伸ばし、運転席から助手席のドアを開けた。
・・・これはもう、腹を括るしかないようだ。

「いーんですか、こんな私用で社用車使って」

流されっぱなしのわたしはちょっとだけ嫌味を込めてそんな風に言ってみる。卯木さんはやっぱり少しのダメージもないようで、穏やかな顔でゆったりと運転をしている。

「うん。やることやってるからね」
「ああ、そうですよね」

卯木さんが言えば、「たしかに」という気持ちになってしまうから悔しい。この人、全然会社にいないし、会社というか国内にすらいないし、海外を飛び回り、帰ってきたら爽やかな笑顔で女性社員にお土産のお菓子を配り、また気づいたらいなくなっている。全然部署も違うのに、仕事が出来ることや成績が良いという話はあっという間に入ってくる。最近よく会社で見かけるのは、出張がないからなのか、それとも公演があるからセーブしているからなのか。

「辛いものは食べれる?」
「えっと、そこまで得意ではないです。卯木さんほどじゃ」
「俺だってそこまでだけど」
「激辛にまたスパイスかけるような人が何言ってんですか」

惚けたように言う卯木さんが、あはは、と笑いながらハンドルを切る。この人、運転もそつがなくて上手い。何をやっても上手に出来る人って、いるんだろうなあ。

今日行くお店のおすすめのメニューを聞きながら、整った横顔を盗み見る。どうしてこんなことになったんだっけ。大して話したこともない、電球が切れてるという依頼ぐらいでしか関わりのなかった、会社で一番のモテ男。いつの間にか一緒にランチに行き、助手席に座り、隣で肩を揺らして笑っている。
人生、何があるのかわからない。

「そんなに見られたら恥ずかしいなあ」
「!?」

き、気づいてる。この人、どこまで視野が広いんだろう。もしかして、シマウマぐらいあったり。・・・なんちゃって。

「さすがにシマウマよりは狭いと思うなあ」

よ、読まれてる!



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